遠くに見える街の灯に
憶える感情は何だろう。
□■□
囂々と、風が鳴る。
振り仰げば。
空には、薄い三日月。
その弱々しい光に呼応するかの様に、瞬くたくさんの星。
そして。
空を水面に映すかのように、足元に広がるたくさんの灯。
小さく息を吐けば。
とん、と。
軽い足音が、背に聞こえた。
「すまない、待たせたか。」
振り返れば、箒を手にした痩せた黒い影が、風に煽られる髪を煩がるように僅かに空を仰いでいる。
「いいや、私もさっき来たところだよ。」
痩せた身に纏った黒いローブが風にはためいて、何か酷く儚いもののように目に映った。
ロンドンの街中にある、古い塔の上。
リーマスは、妙にぎこちなくなってしまう笑みを顔に貼り付けて、風に煽られる黒い影に手を伸ばした。
「箒、貸してよ。セブルス。」
塔はそれなりに高く、風の強いこんな夜は塔の上では囂々と風が鳴っている。
風に煽られて、纏ったマントと重量の足りない身体で妙にバランスの悪そうなセブルスから箒を受け取り、自分のそれと一緒に足元に横たえた。
そして。
「おいで、セブルス。夜景が、凄いよ。」
もう一度。
セブルスに手を伸ばす。
それに僅かに躊躇するような色が黒瞳に浮かんだけれど、存外素直にセブルスはその手を取った。
塔の端、観光客用にと作りつけられた柵に身を凭せ掛けて、リーマスは冷たいその手のひらを、そんなに温度の違わない自分の手のひらで包み込む。
体温を分け与えるというより寧ろ、この痩せた黒い影が風に煽られて飛んでいってしまわないようにと、強く。
リーマスに手のひらを掴まれたまま、幾分か居心地悪そうな素振りで、セブルスは柵越しに眼下を見下ろした。
「それで、今日はいったい何の用なのだ?ルーピン。」
言いながら、マントの内ポケットに入れていた羊皮紙を取り出そうとして、吹き付ける風に断念する。
ほんの数日前。
脱狼薬のやりとり以外では滅多に来ることのないリーマスのフクロウが、ホグワーツの地下牢を訪れた。
今日、この時間、この場所に。
どうか来て欲しいと、それだけが書かれた手紙を携えて。
「薬のこと、ではないのだろう。」
頭上の薄い三日月を僅かに見上げ、そう言えば。
「用なんて別になかった、って言ったら君は怒るかな。」
繋いだ手のひらにまた少し力を込めて、リーマスが呟く。
「君と一緒に、この夜景を見てみたかっただけだって言ったら。」
その回答に、リーマスの手のひらに触れていたセブルスの手のひらが僅かに強張り。
ほんの少しの時間の後、緩やかに力を抜いた。
「どうやら君は、我が輩が閑職に就いているとでも思っているようだな。」
言葉ほどには怒りの感じられない口調で、セブルスはもう一度眼下を見下ろす。
そして。
「君に、こんな趣味があるとは思わなかった。」
揶揄するのではなく、純粋に驚いたような口調でそう言われ、リーマスは僅かに苦笑した。
「それって、恋人と一緒に夜景を楽しみたい、っていうロマンチシズムのこと?」
そんなんじゃないよと言外に匂わせれば、君にそんな趣味がないことは知っているとにべもなく返される。
それに苦笑を更に深めて、リーマスもセブルスの隣で眼下の街の灯に視線を落とした。
「ああ、でも本質は同じなのかな。君なら、私が見ているものと同じものを見てくれるんじゃないかって、そんなロマンチシズムでここに君を呼びだしたんだから。」
くすりと、セブルスが小さく笑う。
それは酷く珍しい光景で、リーマスは街の灯から目を逸らして、薄い唇をじっと見つめた。
それを意に介す素振りもなく、セブルスは妙に遠い目で街の灯を見つめ続け。
「ここは、そういうロマンチシズムの場所だったな。」
学生時代から。
ぽつりと、呟く。
ホグワーツの生徒たちは、人目を忍んでこの塔に登った。
恋人同士が、手に手を取って。
マグルたちがわざわざ車で丘の上まで出かけ、眼下の夜景を恋人同士で楽しむのと同じように。
街の灯を、眺めに。
「ああ、そうだったね。私たちが学生の頃も、この場所は恋人たちの秘密のデートの場所だった。」
リーマス自身は、その頃に一度もここを訪れたことはない。
恋人がいなかったから。
否。
唯一恋い焦がれ続けた相手を、誘う勇気がなかったから。
「あの頃は私も若かったから、純粋にロマンチシズムでここに来たいとは思っていたんだよ。」
叶わなかったけれど。
そう言えば、その当の恋の相手は「本当か?」と少し驚いたような顔でリーマスを見上げてきた。
「うん。誘う勇気がなかったから、結局一度もここには登らなかったけどね。」
苦笑したままのリーマスから微妙に視線を逸らして。
「誘えば、よかったのに。」
セブルスは、眼下の街の灯を視線に捉えたまま呟く。
それは、学生時代からのリーマスの想いを知っての発言なのか否か判然とせず、リーマスは微妙に笑って視線を眼下へ戻した。
「うん、そうだね。でも、私には無理だと思っていた。」
それは過去形ではなく、現在進行形で。
人狼というハンディを背負ってなお、ジェームズやシリウスと張り合えるなどとは思っていない。
想いばかりは強くなるのに。
勇気が、なかった。
「諦めてばかりいるのは、お前の悪い癖だ。」
風に飛ばされてしまいそうな微かな呟きは、囂々という風の音を抜けてリーマスの耳に届いたから。
不意に泣きそうになって。
「セブルスは、ここに来たことがあるの?」
無理矢理に話題を変える。
無理矢理に、笑って。
「ある。」
その言葉は、意外でも何でもなかった。
あの頃から、セブルスを好いていた人間は、本人が思っていたよりもたくさんいたのだから。
「ブラックに、無理矢理連れてこられたことがある。…ああ、ルシウス先輩には、命令という形で連れてこられたか。ポッターは、執拗に我が輩を誘っていたのだが、悉くエヴァンスに殴られて諦めていた。」
ああ。
やっぱり、と思うと同時に、先程堪えていた感情が再び溢れそうになる。
「そっか、さすがはシリウスだね。」
それでも、ただ、笑うリーマスを。
なぜか少し咎めるような眼差しでセブルスが見上げた。
「無理に笑うな、馬鹿狼。」
彼にしては少し砕けた毒舌に、笑みは途端にぎこちなくなって。
「ああ、悔しいな。」
感情が、素直に言葉となった。
ジェームズのようになりたかった。
シリウスのようになりたかった。
無心に、焦がれる相手に好きだと言って。
ここに、共に登ってみたかった。
ジェームズのようではない自分が。
シリウスのようではない自分が。
人狼で、勇気のない自分が。
「本当に、悔しいなぁ…」
吐き出されるリーマスの言葉を包むかのように、セブルスの手のひらが繋がれたリーマスの手のひらを強く握る。
そして。
「今は、ルーピン、君とここに登っている。」
この塔の上で。
共に、眼下の街の灯を見下ろしている。
「セブルス…」
握られた手のひらを、リーマスがおずおずと握り返すと、セブルスはもう一度小さく笑った。
「ブラックはこの街の灯を見て、いつかこの中のひとつに自分もなるのだと、そう言っていた。あのころ奴は生家を飛び出していたから、自分自身の、未来の家をそこに見ていたのだろう。ポッターとここに来たことはないから本当のところは解らないが、ブラックと似たり寄ったりのことを考えていたのではないだろうか。ルシウス先輩は…そう、蛍を愛でるかのように、下等なマグルが光を放つのを傲慢に見ていた。」
セブルスは、不意にリーマスを仰ぎ見て。
「でも、我が輩は誰とも同じ気持ちでこの街の灯を見ることはなかった。本当は、こんな光景好きではなかったのだから。このたくさんの街の灯は、ただ、お前にはこの中に居場所なんてないのだと、そう我が輩を拒絶しているように見える。だから、街の灯を見ると、自分がとても孤独なのだということを殊更自覚させられるのだよ。」
夜空の下で。
強い風に煽られながらも、その痩せた黒い影は凛としていた。
まるで、孤独をその身に受け入れてしまっているかのように。
リーマスは息を呑んで、無意識にその身体を抱きしめる。
孤独を、分け合うかのように。
そして。
「大人になって、ひとりでここに登ったとき。私も、同じように思ったんだ。人狼である私は、この中の一員になることなど一生出来はしないと、街の灯にそう言われているように感じた。」
あの光のひとつひとつは、人の生活だから。
暖かいものもあれば、そうでないものもあるけれど。
人の間で生きることを許された人達が築いた、人の間で生きているという証だから。
腕の中の身体は思いの外温かくて、手放したくないと感情は訴えるけれど。
リーマスは、そっと抱きしめていたセブルスの肩を両手で掴んで、身体を離した。
そしてまた、笑う。
「やっぱり、君が私と同じようにこれを見ていたんだって思うと、何だろう、すごく嬉しいんだ。…いや、本当は嬉しがったりしちゃいけないんだけど。」
それは、互いが孤独であることを認識する行為に他ならなかったから。
それでも。
ジェームズともシリウスにはできない、同じものをセブルスと共有できるという本当に小さなことに、感情があふれ出す。
「…何故泣く。」
セブルスの言葉に、漸く自分の頬を伝うものに気付いて。
「さあ。何か、いろんな気持ちがごちゃごちゃになっちゃってて、よく解らないや。」
喜びや、悔しさや、妬みやそういったものが綯い交ぜになってしまっているんだ。
素直にそう言ったリーマスに、酷く困ったような表情をして、セブルスは小さく息を吐いた。
そして。
「この街の灯に受け入れられないからといって、一人きりでいなければならないと決められたわけではないだろう。はぐれたもの同士、共にいるという手段もある。勇気がないなどと、そんなのはただの言い訳だ。」
孤独に囚われるなと、そう言って。
瞬間。
痩せた腕が、リーマスの身体を優しく包んで離れた。
それにリーマスが驚いて、何も言えないでいる隙に。
足下に置かれた箒を、その痩せた腕が取る。
そしてそのまま背を向け、箒に跨ろうとしているセブルスに。
「ちょ…今のって…」
君の傍にいたいと、望んでもいいということなのか。
それを問いかけるのを拒むように、セブルスは僅かに振り返った。
「さあ。自分で考えたまえ、ミスター・ルーピン。」
黒いマントを纏った背が凛と伸び。
箒が、ゆっくりと空を目指す。
漸く我に返ったリーマスは、囂々と鳴る風に負けないように空に叫んだ。
「ねえ、セブルス。また、私は君とここに来たいんだ。」
僅かに揺れた肩は、彼が小さく笑ったからだろうか。
リーマスの声よりはずっと小さかったけれど、はっきりとした声が空から降りる。
「君が、その何でも諦める癖を直したら考えてやる。」
黒い背中が見えなくなって。
暫くしても、リーマスは立ち尽くしたまま空を見上げていた。
その視線を、ふと眼下に降ろして。
ひとり、街の灯を見る。
そして。
笑った。
彼に愛されているのかどうかは解らない。
自分が彼を愛していることだけは確かだけれど。
ただ。
あの頃どうしても誘えなかった、この塔への誘いに。
来てくれる程度には、嫌われていなかったのだろうと思う。
この塔の意味を知らない彼ではないのだから。
『この街の灯に受け入れられないからといって、一人きりでいなければならないと決められたわけではないだろう。はぐれたもの同士、共にいるという手段もある。』
孤独を分かち合い傷を舐め逢うのではなく、孤独を共生に昇華するという選択を示してくれた。
「もう、勇気がないなんて言えないな…」
ジェームズでも、シリウスでもなく。
彼らの知ることのない互いの同じ孤独を知っているから、共にあることに強くなれるかも知れないと。
絶対に離れないという、強い力となるのかも知れないと。
彼が、教えてくれたから。
眼下の街の灯は、変わらずリーマスを拒絶しているように見えた。
「もう一度、セブルスと見に来よう。」
この、街の灯を。
拒絶されても構わないと、互いがいるから孤独ではないのだと証明するために。
囂々と鳴る風に、街の灯はいっそう頑なに見えたけれど。
■□■
街の灯は淋しいと、そう言ったら。
君が頷いた。
憧憬は決して現実にはならないのなら
お願いだから
君だけは、僕の手を繋いでいて。
あとがきっぽい感じ。
漸く、何かリーマスが幸せっぽくなれたかしら。
ここ3作、リマが非常に女々しく悩んでます。ミヤビの好みは、ガキっぽく悩みなど吹っ飛ばして受けをかっさらう攻めなんですが。あれ、それってシリウスじゃん。
でも、リマに限っては何か自信もなさそうだし、ジェームズとかシリウスにコンプレックスありそうだしで、悩むのも致し方なしかと。
ちなみに、セブは内心ウダウダ悩んでても、外面はいつも凛としていて欲しいです。
非常に根の暗い2人の逢い引きが書きたかったのです、ミヤビ。
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