窓の外は、季節外れの嵐。
吹き荒ぶ風に、満月すら霞む。
□■□
カタカタと、窓ガラスが鳴る。
外は嵐。
吹き荒ぶ風に浚われた砂塵が、窓ガラスを容赦なく叩いた。
外の嵐に比べれば驚くほど静謐な部屋の中で、リーマス・J・ルーピンは窓に頭をもたせか
けて空を見上げる。
外は、嵐。
まるで世界が全てを壊したがっているかのように激しく吹き荒ぶ風に、窓越しの空は少しだ
け霞んで見えた。
空のむこうの、満ちる少し前の月までも。
それを、僅かに眇めた榛色の目で見据えて、リーマスは指先で空のゴブレットの縁をなぞる。
決して高価とは言えない、その使い古されたゴブレットは。
深く染み込んだ薬品の微かな匂いを、その硬質な姿に纏っていて。
ふ、と。
リーマスは小さく笑う。
このゴブレットの持ち主の手のひらからも、いつもこの匂いが香っていた。
好ましい匂いとは言い難い、毒性を含んだ薬品臭が、リーマスは本当に好きだった。
ゴブレットに微かに残ったそれを確かめるように、そっと、唇を寄せて。
口付ける。
本当に、好きなんだ。
唇に触れた硬質の冷たさに、チリ、と胸が痛んだから。
また、空を見上げた。
窓越しに、嵐の空を。
「…月齢13。」
あと2日で、月が満ちる。
外の嵐とは無縁の静かな部屋。
奥では、リーマスを好きだと言った、たった1人の女性が眠っている。
人狼であっても関係ないと、そう言ってくれた優しい人が。
「今日は、フクロウは飛べるのかな…」
今、こうして窓の外を見つめ続けていることは、彼女への裏切りであるはずなのに。
何の後ろめたさも感じない自分を、小さく嗤った。
そして。
窓ガラスが、こつりと音を立てる。
■□■
脱狼薬、という言葉を聞いたのは、もうずっと前のこと。
幼いころから月を畏れ、月を忌んで生きてきたリーマスにとって、それは希望と羨望の言葉
だった。
満ちた月の下、理性も人格もなくしてただの獣へと成り下がる自分。
血と殺戮を求め、自分もその一員であるはずの人間は、単なる獲物としてその目に映る。
そんな自分を、殺してしまいたいほど忌んでいたから。
満月の下でも人狼にならない薬だと、脱狼薬の話を聞いたリーマスは、僅かな希望を抱い
てそれを求めた。
そして。
打ちのめされた。
それがまだ、理論としてしか存在しない薬であると知って。
多くの人狼たちが同じように落胆したのだろう。
脱狼薬の話を聞かなくなって、しばらくしてから。
それが実際に完成されたのだと、聞いた。
そして、また打ちのめされる。
その薬の精製には、非常に高度な技術が必要であること。
成分となるものの大半が、非常に高価なものであること。
ほんの僅かしか精製されない、高価な薬。
人狼の大半は、その体質の所為で定職に就くことなどできない。
自然、所得も低くなるから、脱狼薬を手にすることなどできるはずがなかった。
それなのに。
ひょんな事から、リーマスはそれを手にすることになる。
「よく来てくれた、リーマス。」
半月眼鏡の奥で優しく笑って、アルバス・ダンブルドアが両手を広げた。
かつてこの学舎でリーマスが過ごしたころと変わらない、暖かい抱擁。
「校長先生…」
リーマスに、ホグワーツから手紙が来たのは1ヶ月も前のこと。
初めは、冗談かと思った。
『ホグワーツで教鞭を執ってもらいたい。』
そう書かれた手紙に、冗談ならば悪質だと思う。
人狼である自分に、教鞭など執れはしない。
かつて在学していたころのように、満月の度に叫びの館に閉じこめられるとしても。
もう、あの頃とは違う。
体力も…人狼としての力も、あの頃よりも強くなった。
きっと、叫びの館から飛び出してしまう。
そして、獣となったリーマスの傍にはホグワーツがあるのだ。
まるで、用意された獲物のように。
それでも、その手紙は酷く魅力的で。
自分自身の全てを諦めることに長けているリーマスが、本当に諦める決心をするまでにこ
んなにも日を要した。
そう。
脱狼薬と同じ、決して手には入らない『希望』なのだ。
だから。
リーマスはホグワーツに来た。
ダンブルドアに、笑って、辞意を告げるために。
それと。
今まで決して諦められなかった、たったひとつのものに逢うために。
「校長先生…私は…」
意を決した言葉は、優しい声音に遮られる。
「リーマス、君の気持ちは解っておるよ。」
優しい瞳が、リーマスの背後を見遣った。
それにつられるように振り返れば。
重い、荘厳な校長室の扉の前に。
彼の人が、立っていた。
学生のころよりも少し老けて顔色も悪くなったけれど、強い黒瞳はそのままで。
「セブルス…」
呟いたリーマスに笑いかけて、ダンブルドアが頷く。
「そう、リーマスもよくご存じの、セブルス・スネイプ先生じゃ。」
彼が、助けてくれるのだと。
ダンブルドアの言葉に驚いて、リーマスはセブルスを見つめた。
強い瞳が、リーマスの榛色の瞳を捉えた。
そして。
その、目の前に。
使い古されたゴブレットが差し出される。
毒性を含んだ、薬品の匂い。
何とも言えない色合いの液体を湛えたそれを、訳も解らず受け取れば。
「月齢13、だ。」
硬質な声が、薄い唇から零れた。
「あと2日で、月が満ちる。飲みたまえ。」
セブルスが、瞳を少し眇めてゴブレットを見つめる。
「脱狼薬だ。」
ずっと諦められなかった人が、とっくに諦めきっていた薬を差し出している。
そのことに、頭は酷く混乱していて。
リーマスは、黙ってゴブレットに唇を付けた。
喉を通る、酷い味の薬品。
匂いもそれに劣らず酷かったけれど。
何故だか、酷く幸せだと思う。
『希望』を、手に入れたようで。
本当に、好きだった。
セブルス・スネイプのことが、ずっと。
そして。
彼の作る脱狼薬も好きだった。
本当にそれは酷い味だったけれど、彼がそれを作ってくれるから。
未完成品だと、少しすまなそうにセブルスの言ったそれは、かつて聞いた噂に反して、人
狼化は止められないものだった。
それでも。
理性だけは、繋ぎ止めてくれる。
人狼化した自分の姿は、本当に忌まわしいものだったけれど、時折訪ねるセブルスがそ
の硬い毛を撫でてくれるから、それすらも少しだけ好きになった。
好きだ、という言葉に、決してセブルスから答えが返ることはない。
それでも。
本当に幸せだった。
副作用を心配してくれて、人狼化している間の授業までも代わりに受け持ってくれて。
リーマスが傍にいることに、セブルスが少しだけ慣れてくれて。
ほんの時折だけど、笑みも見せてくれるようになって。
幸せだったけれど。
いろいろなことがあって、リーマスは教師を辞めた。
ホグワーツを離れて、ひとりで暮らし初めた。
それでも。
月齢13の晩から5日間。
必ず、窓をこつりと叩くものがあった。
真っ黒な、しなやかなフクロウが、 リーマスの家を訪れる。
脱狼薬の入った小瓶を運んで。
数ヶ月に一度は、副作用を心配して会いに来てくれてもいた。
かつての生活に戻って、決して生活は楽ではなかったけれど、やっぱりリーマスは幸せだ
った。
それなのに。
また、いろいろなことがあって。
セブルスは、消えた。
ダンブルドアの命を奪って。
闇の陣営に『戻った』のだと、誰もが口を揃えてそう言った。
でも。
■□■
こつりと音を立てた窓を、リーマスはそっと開いた。
しなやかな黒いフクロウが、セブルスがかつて残していったゴブレットの横にそっと小瓶を
置く。
先月も、先々月もこうして窓は音を立てた。
その度に、フクロウに手紙を託してみたけれど、答えが返ることはない。
ただ、毎月月齢13の晩から5日間、小瓶が送られてくるだけ。
騎士団の面々が血眼になって探しているセブルス・スネイプからの贈り物。
リーマスは、誰にも言わずそれを口にする。
それを、数ヶ月続けてきた。
「ねえ。」
外は嵐。
月さえも霞んでいる。
用は済んだとばかりに飛び立とうとするフクロウに、リーマスは言葉をかけた。
それに驚いたのか、聞き入るようにフクロウが首を傾げる。
「一緒に、連れて行ってよ。」
本当に好きだった。
「セブルスの所に、私を。」
奥で眠る優しい女性を、大切な仲間たちを裏切ることすら怖くない。
「セブルスの傍に、いたいんだ。」
闇の陣営にいてもいい、自分を厭うても構わない。
「本当は、それ以外に欲しいものなんて何にもなかったんだから。」
黒いフクロウが、小さく鳴いた。
まるで、了承するかのように。
それに、笑って。
嵐の中へと飛び出す。
右手に小瓶、左手に使い古されたゴブレットを握って。
部屋の中はやはり静謐で、リーマスの不在すら何の意味もないように見えた。
外は、嵐。
窓から飛び出したリーマスは、空を見上げる。
吹き荒ぶ風に、月が霞んでいた。
だから。
もう、満月だって怖くはない。
君の所へ、行くよ。
■□■
吹き荒ぶ風に、
月が、霞んでいた。
月よりもっと怖かったこと。
それは
君を失うこと。
もう、月すらも怖くはない。
あとがきっぽい感じ。
何か、夢を見まして。今までずっとやりたくてできなかったハリポタをやれと、何かの神様
が言いました。
手始めとして、トンクスといい感じになってしまったリーマス問題を何とかしないと手に付か
ないぜ、という結論にいたって作成したのがコレです。
大変久し振りの小説で、日本語すらかなり忘れています。
お見苦しい点は平にご容赦を。
意味が解らないのも、広い心でご容赦を。
こんな感じで、セブがリマに脱狼薬を届け続けてくれていたら嬉しいなと思います。お尋ね
者なのに。
そこんとこが、何か愛っぽくていいなと思います。
ミヤビの中に、何か妙に根深いセブ受設定があるのですが、追々何とか形にしたいと思い
ます。
もう、何か全てにゴメンナサイ。
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