【ロボット三原則】

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。
また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。
ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合はこの限りでない。

第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのない限り、
自己を守らねばならない。

□■□


 シーツに皺を刻む、硬質な爪。
 ジュラルミンの。
 足掻くように幾度かシーツを掻いて、圧し掛かる男の背に軽く立てられる。
 それを快楽故の媚態と捉えた愚かな男は、感極まったように潰れた蛙のような声を上げ、果
 てた。
 人間を模した精緻な内部は、男の放った精液でべとべとに満たされている。
 何も、感じない。
 快楽も。
 痛みも。
 嫌悪も。
 それでも、中を満たすものと覆い被さって脱力している愚かな男のカラダは酷く気持ち悪く
 て。
 『気持ち悪い』という感情すら知らないはずなのにそんなことを感じてしまった自分が、奇妙な
 ほどに可笑しい。
 だから。
 カカシは、笑った。
 赤と蒼の、色を違えた瞳を眇めて。
 妖艶だと賞される、その笑み。
 それはただ、精緻に造られた口元の人造筋肉が痙攣に似た反応を示しているだけだという
 のに。
 酷く興奮したらしい男は荒い息のままで、横たわるカカシの顔を肉厚の薄汚い手のひらでベ
 ッドに押し付ける。
 そして。
 閉じられないままのカカシの赤い左目を、抉るように指先で探って。
 男の軟体動物にも似た生暖かい舌が、ゆっくりと舐め上げた。
 爪と同じ、硬質の。
 ジュラルミン製の、赤い瞳を。
 それはやっぱり、酷く『気持ち悪い』。
 だから。
 カカシは何気ない風に身を起こし、微笑んだままで男のカラダを押し退ける。
 「時間だろ、『お客さん』。」
 妖艶に。淫らに。
 それはすべて、プログラム。
 エレクトロニックの脳に、刻み込まれている。
 後戯のつもりだったらしい男は、押し退けられて酷く不満げな唸り声を上げた。
 ああ、なんて。
 獣じみた存在。
 『人間』。
 …ただの、獣か。
 「まだ、時間はあるだろう。」
 バカな人間。愚かな…不完全な脳しか持たない。
 「残念でした。オレの『体内時計』は、アンタの金時計よりも正確なんだ。」
 名前も知らないただの『客』にそう言い放つと、カカシは何の躊躇もなく立ち上がり、床に乱雑
 に落とされていた衣服を身に着けた。
 そして、無造作に振り返り。
 床の上に落ちていた男の財布から、規定通りの紙幣を抜き取る。
 「どうも〜」
 挨拶代わりに財布を男の胸元に放って投げれば。
 「躾の悪いロボットだ…」
 吐き捨てるように、男が言った。
 傲慢な人間。
 そんなにも、不完全なくせに。
 カカシは微笑んだままで男の醜く太った全身を一瞥して、手にした紙幣を振る。
 「そりゃ、失礼。生憎、こういう態度しかプログラミングされてないモンでね。」
 …ウソ。
 気持ち悪くて。
 ただ、気持ち悪くて。
 振り返ることなく、カカシはその部屋を後にした。



 硬質の爪と、赤い左目の瞳孔。
 ジュラルミン製のそれに刻み込まれた、消えることのない記号の羅列。
 コードネーム:CS−4796。
 CHARLOTTE SEXAROID-4796。
 シャルロット・シリーズ・セクサロイドの4796体目。
 人権なんてない。
 ただ、セックスを売る『ダーティー・ワーク』のためだけに造られた、フェイク。
 人間によく似たニセモノ。
 エレクトロニック・ブレインには思考回路なんて大仰なものまで組み込まれているけれど。
 所詮はニセモノ。鎖でがんじがらめ。
 プログラムされた『ロボット三原則』。
 逆らえば、脳に埋め込まれた爆破回路が即座に作動。
 逃げられない。
 壊れるまで、死ねない。
 永遠に最下層。
 哀れなセクサロイド。



 思考回路はあるけれど。
 感情はない。
 感覚もない。
 だから。
 何も感じないはずだったのに。
 気持ち悪い。
 男に触られた、ツクリモノのカラダが。
 気持ち悪い。
 人間という名の獣が。
 もう、何百年もの間。
 微かな違和感として感じ続けてきた、その『感情』。

 「『殺意』なんだよな。たぶん。」

 政府に与えられた(ソレハ、『保護』トイウ名の『束縛』…)薄汚いアパートの一室で。
 カカシは、さして人工のカラダに影響があるとも思えないタバコの紫煙を深く吸い込んで笑う。
 それすらも、プログラム。
 より人間に近く、そうすることで少しでも人間の忌避感を薄めるためだけの。
 笑ったカカシに、向かい合って座っていた『仲間』が眉を顰める。
 「…『殺意』…?」
 「そ。『殺意』。殺したいって気持ち。」
 まるで異質なものでも見るかのように顔を歪めて、『仲間』は首を振った。
 『バーバラ』。それの、『名前』。
 バーバラ・シリーズのセクサロイド。
 名前を持たない…ただ、シリーズ名だけをその存在の拠り所にしている…
 「カカシ…」
 名を、シリーズ名ではない『名前』を呼ばれる度に。
 感情を持ち得ないエレクトロニック・ブレインを支配する『感情』。
 思い浮かぶ、少年の顔。
 名前は…忘れた。
 長の年月『生き』続けてきたカカシは。
 既に時代遅れのシャルロット・シリーズ。
 記憶バンクすら、イカレ始めているらしい。
 「…そんな言葉、プログラムにはない…」
 怯えたような『バーバラ』の言葉に、カカシはさらに深く笑って。
 「ないよな。そんなの。…オレも、ほんの数百年前に知ったばかりだし。」
 『人間』に抱かれる度に。
 その薄汚い精液を注ぎ込まれる度に。
 確実に膨れ上がっていく『感情』。
 ただ。
 殺意。
 殺意。
 殺意。
 人間という名の獣に対する?
 そうかもしれない。
 世界という名の檻に対する?
 そうかもしれない。
 自分という名の…ニセモノに対する?
 ……そうかもしれない。
 「オレも、オレを抱く人間も、オレを造った世界も…全部、壊しちまいたい。それだけなんだけ
 どな。」
 先日、ニュースで聞いた。
 『シャルロット・シリーズをすべて消去』。
 『暴走による被害が甚大なため…』
 『暴走』。
 『感情』を持ち始めたセクサロイド。
 それを、『暴走』というのなら。
 「暴走、してるのかも。」
 カカシのキチガイめいた笑みを含んだ呟きに。
 怯えきった表情の『バーバラ』が、逃げ出すように部屋を飛び出した。
 プログラムに忠実な『バーバラ』。
 おそらくは、セキュリティ・ポリスに連絡でもしに行ったのだろう。
 後数分で、壊される。
 脳に埋まった爆破回路が作動して。
 笑ったままで、カカシは立ち上がった。
 何をしたいのか。
 どこへ行きたいのか。
 ワカラナイ。解らなかったけれど。
 ただ、走って。
 走って。
 走って。
 気が付けば、ロケットの立ち並ぶ軍事区域にいた。
 ロケット。
 乗り込めと、『感情』が命じる。
 ロケットの操作なんて簡単。
 プログラムされている。
 ただ。
 逃げなければ。
 地球の外へ。
 逃げなければ。
 何で?
 何で?


 ただ、まだ死ねなかっただけ。
 ここでは。
 宇宙からこんなにも遠い、こんなところでは…




 何も起きないロケット。
 誰もいない。
 何もない。
 そんな、場所で。
 カカシは、夢を見る。
 セクサロイドの夢。
 記憶バンクから零れだした、映像の洪水。

 黒髪で黒い瞳の、幼い少年。
 酷く淋しそう。
 「アンタもオレと一緒だな。」
 少しだけ、笑って。
 何だっただろう、彼は。
 初めての客?思い出せない。
 ただ。
 立ち尽くすことしかできない、人形のカカシに。
 「アンタに名前をやるよ。立って見てることしかできない、可哀想なカカシ。カカシ…」
 名前をくれた少年。
 あれは、どれくらい前のこと?
 もう、死んだのだろうか。
 カカシを、置いて。

 「アンタはきっと、オレが死んでもずっとこのまま生きてなきゃならないんだろうな…」
 呟いて。
 「もし、ずっとずっと先にアンタが死んだら…アンタはオレと同じ所に来いよ。」
 ああ。
 それは天国かと聞いたのだった。
 人間は死んだら天国に行くんだろ?
 「天国なんて、行きたくねぇよ。誰もいないとこ…そうだな、宇宙とか。」

 宇宙。

 感情を知らないセクサロイド。
 殺したかったのは、きっと自分。
 …ただの、自殺願望。

 何もかも亡くしたかった。
 何もない世界だから。
 何もない、自分だから。
 壊して。
 死んで。
 そして。


 宇宙で、逢いたかった。
 ただ、それだけ。
 それだけ…


 本当に壊れて死ねるまで、あとどれくらいの永遠?
 自殺願望に彩られながら。
 笑って、夢を見て。



 百年、いや永遠の孤独
 何も起きぬロケットの中で
 それでも私は生きる方を 生きる方を選んだのだった…


 

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