過去のマイ・ペット  はこちらです  
 可愛い兄妹犬です

私たち2匹は、昨年4月、4兄弟で庄原市で誕生しました。
 先代の杉田薬局のかんばん犬(平成21年4月号でこのコーナーに掲載されました)ロミは、昨年6月19日に天国に旅立ちました。悲しんでいる父さんの元に、私たち2匹は6月末にやってきました。先代のロミは、ずいぶん芸達者だったと聞いています。
 私は、まだ「お座り」と「お手」くらいしかできませんが、兄ちゃんのサムの方は「ボール拾い」が大の得意技です。もっと上手になったら、荒瀬先生にお願いして、カープのマスコット犬にでも…、と淡い期待を抱いています。
 忘れていました。私たちの名前はオスもメスも先代のものをいただき、オスはサム、メスはロミです。でもいつも仲良く喧嘩しているので、トムとジェリーにすれば良かった、と父さんは後悔しているようです。
 これからもよろしくお願いします。
   三次市三次町 杉田薬局・サム&ロミ



   
 
危機一髪で助けてもらいました!

「酒亭うさぎ」の番犬?「ラブ」ちゃんです。6才5カ月のメスでミックス犬です。
 ラブとの出会いは平成15年10月、広島動物愛護センターでした。10頭くらい仔犬がおりましたが、1頭だけオリの隅で鳴かずに悲しそうな目をした仔犬がいて、私と目が合ってしまいました。それがラブちゃんでした。
 係員さんの話では、その日から2〜3日、貰い手がなければ殺処分されてしまうところとの事でした。ラブはその事を察していたのか、今でも悲しそうな目をしていますし、あまり鳴きません。また人見知りも激しく、なかなかなつかず、すぐ目をそらします。
 しかし一度慣れるとすごく甘えん坊で、特に子供には危険を感じないのか、割と早く慣れるようです。
 今考えると、お客様が来られるたびに吠えまくるようでは困りますし、小屋の中に入ったままでも可愛がっていただいておりますので、なんとなくアイドル的な感じで定着しております。
 これからも優しく見守って下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
      三次市十日市 「酒亭うさぎ」


   
こんなに太りました!     

私の名前は「もも」といいます。10年前に東酒屋町の道路をウロウロしているところを、この家のお兄ちゃんに拾われて、家族の一員になりました。
 お家に来たときは、お母さんの片手に乗るほどの大きさで、目も開いてなく鼻水も出ている酷い状態で、皆にいっぱい心配してもらったけど…、今では6sまでに成長しました。 私は猫なのに高いところに上がれなくて(涙)抱っこしてもらい、上がったり降りたりしています。トイレはすぐに覚えて、お母さんに褒めてもらいました。でも実は2回ほどお母さんの布団にオシッコをして、すごく怒られたことがあります。
 私の特技は、名前を呼ばれたらすぐに側に行き、お返事が「ニャー」とできることです。オヤツの場所もちゃんと知っていて、私を拾ってくれたお兄ちゃん(今はおじさんになっています)にだけ催促します。でも4歳の和チャンには、「オヤツばっかり食べてると、ご飯が食べれんよ」と叱られます。
 嫌いなことは爪切りで、お母さんが優しく呼ぶときは要注意です。爪切りの予感がしたら逃げて行くんだけど、鈴がついているのですぐに見つかってしまいます。
 お父さんは、私を飼うことを反対していたけど、今では家族のなかで一番可愛がってくれています。
 今我が家は猫6匹、犬1匹で、「世話が大変!」といつも話しているのを聞くので、これからも良い子にしています(笑)
      三次市高杉町 広川イツ子

   
チャコ、闘病記 2     
  事故に遭った日から毎日病院へ連れて行きました。食欲もなかったために点滴をしました。でもオシッコが出せないチャコのお腹はパンパンに膨れ、その度に先生にお腹を圧迫してもらって出すのですが、チャコはうなり声を出しながらも必死で耐えていました。
 しかしそのうち押してもオシッコが出なくなり、今度は尿管に細い管を入れました。一回のオシッコの量が200cc以上あることも。きっととても苦しかったと思います。一日に何度もトイレの砂場へ行き穴を掘るのですが、まったくオシッコは出ません。このままの状態が続いたらどうしよう…、と最悪の事態も思い浮かべ、もしも我が家にもらわれていなかったら、こんな苦しい目に遭うこともなかった…、という気にさえなりました。主にチャコの世話をしてくれていた母は、なおさらだったことでしょう。
 それから1カ月以上辛い治療を受け、少しづつ元気を取り戻したチャコは走れるようになり、トイレの砂場がオシッコで濡れる事も…。垂れ下がった尻尾に何とか力を入れようと一生懸命頑張りました。9月に入ると、半分くらい尻尾が上がり、段差も飛べるようになったのです。
 どんどん身体を動かすと感覚も戻ってきたのか、薬も飲まなくてもよくなり、毛も生えそろい、見た目も元通りになりました。しかし車やバイクの大きな音がすると、とても怖がります。きっとトラウマになっているのでしょう。
 今では家族の車の音や声を聞き分け、どこに居ても帰ってきて甘えるようになりました。一時は本当に心配しましたが、元気になってくれて家族みんな喜んでいます。 チャコの闘病の間、職場の皆さんに色々話を聞いてもらい、とても心強かったです。ありがとうございました。            
荒瀬外科看護師・重本 幸恵


   
 チャコ、闘病記 1    
 
3年前に猫の「ミー」が死んで、もう猫は飼わないと決めていたのに、昨年9月、知り合いの家に子猫がいると聞いた母と私は、すぐに貰って帰り飼うことにしました。白と茶色のオスで、名前を「チャコ」といいます。
 最初は反対していた父も、だんだん可愛くなったのか、いつの間にか自分の部屋に連れて行っていました。
 今年7月で1歳になり、日中は外で遊び、夕方になり呼ぶと帰ってくる、そんな日々を送っていたある日、私が夜勤をしていると母からメールが届き、「チャコが帰って来ない」…と。いつもはすぐに帰って来るのに、その日はとうとう帰りませんでした。
 翌日私が仕事を終えて家に帰ると、変わり果てたチャコの姿がありました。思わず「チャコ!」と呼びました。その声を聞いた母が家から飛び出してきて抱き寄せた時、背中からお尻にかけてひどい傷がある事に気づきました。他の猫と喧嘩でもしたのかと思い、すぐ動物病院へ連れて行くと、先生から「この傷は交通事故によるものです」と言われ、私たちは愕然としました。
 全身麻酔をかけてレントゲンを撮ると、奇跡的に骨折はなかったものの、事故によるショックと神経が傷ついたせいで尻尾は垂れ下がり、オシッコもウンチも自力で出せない状態になっていたのです。「もしかしたら治らない可能性もありますから覚悟して下さい」と言われましたが、私たちは「絶対に治る!!」と信じて病院に通い続けました。
荒瀬外科・看護師 重本幸恵


   
 水の中の家族    

こんにちは。ぼくは今6匹の金魚を飼っています。コメットという種類です。2匹はペットショップで買ってもらい、4匹は少し前に荒瀬外科の患者さんの後藤さんに分けてもらいました。ぼくのお母さんが荒瀬外科の看護師なので知り合いなのです。
 僕は図書室で図かんをかりて、水の替え方や、エサは何がいいのか色々勉強しました。毎日エサをやったり、水そうがよごれた時水をかえたり…。お世話するのはとても大変です。でも毎日見ていると、ぼくが水そうの前に行くと、金魚が水面に浮いてきて、口をパクパクするのがとてもかわいくて、お世話するのが楽しみになります。ぼくの横で、いつも一才の妹もじっと座って金魚を見ています。
 ぼくが「金魚を飼いたい」と言った時、お父さんとお母さんは、「金魚も寿也と同じで、命はたったのひとつよ。ちゃんと責任をもって飼える?」と言いました。その時はあまり意味がわからなかったけど、今はぼくは6匹の大切な命をあずかっているのだとわかります。
 毎日きちんとお世話して、かわいい小さな命を大切に育てていこうと思います。
      三良坂町仁賀小学校4年 金岡寿也


 
   
 少し太めだけど美人でしょう?    
 
こんにちは!私の名前は「きゅう」です。2006年4月8日、お釈迦様と同じ誕生日の5歳。女の子です。
 庄原市のブリーダーさんのところで産れました。その時産れたのは一匹だけでしたので、ブリーダーさんは、他の子供たちと一緒に遊ばせて下さったり、人に慣れるようにいつも抱っこして下さいました。
 そして5月17日、雨降る中、花園家の一員になりました。名前はお父さんがつけてくれました。
 800gだった体重も、今や5キロを超えてしまい、ただいまダイエット中です。
 お母さんが、せっせとお散歩に連れて行ってくれるのですが、疲れて1日中寝てばかりで、また太ってしまいました!動物病院で注意されないよう頑張ります。
 毎日ブラシをかけてもらい、週に一度はシャンプー、月に一度はトリミングと、私の毛はとってもさわり心地がいいんですよ。会う人に、「かわいいーー!」と言ってもらったり、優しく撫でてもらうのが大好きなんです。
 お母さんの従姉が、「きゅうちゃんは、こんなに可愛がってもらって、きっと前世は良いことをたくさんしたんじゃろうねー」って言ってくれたんですよ?
 今のところ病気もせず、とっても穏やかに過ごしています。ダイエットも頑張って、長生きしたいと思っています。  
三次市十日市中 花園金物店 花園 きゅう 
    

   
 我が家の猫事情    

様々な経緯から、現在我が家には8匹の猫が同居中である。
 写真は、この中から最も高齢で自他共に認めているボス的存在のタマジロと、ほんの一ヶ月と少し前、親には見捨てられたが、我が家の三男には見捨てることができなかった、生まれて間もない子猫、この二匹が写っている。
 このボスも我が家の一員になったのがこの子猫くらいのときであった。このボスはあるペットショップの店先に置かれた段ボールの中に、三匹が入れられ「ミーミー」と元気な鳴き声を上げていた。今でも思い出すと胸が痛むが,この三匹は兄弟で、同じような配色の「トラ」が二匹に「茶トラ」が一匹、この三匹の中から「茶トラ」以外の二匹を引き取らせてもらい連れ帰った。しかし帰ってきて無邪気な二匹のじゃれ合いを見ているうち、ふと、私の決断で二匹を引き取ったわけだが、なぜもう一匹いた兄弟をそのままおいてきてしまったのか?兄弟を引き裂いた行為はいかにもこちら側の都合だけであり、残された一匹は親から離され、それでも兄弟一緒であればそれがより所となるものを、これじゃ、まるでまるで越後屋の悪代官の悪巧みではないか!
 翌日電話で問い合わせてみた。当然まだ段ボールの中にいるのであれば、引き取らせてもらうため。遅かった。昨夕我々が連れ帰っ間無し、引き取り手がいたそうで、猫好きの優しそうな女性であったと聞き、わずかだが心が軽くなったことを覚えている。
 今もうちの二匹同様、元気でいてくれればいうことはないが・・・。





三次市君田町 君田診療所・荒瀬秀治
 
   
お寺の守り犬です     

 荒瀬外科さんの横、専法寺に住んで早13年。
 皆さんこんにちは、梵タローです。相棒は梵ハナコと申します。京都で生まれた8匹兄妹の末っ子二人組ですが、縁あってこの三次にやってきました。
 母親はマメシバだったので、それなりに室内で過ごせる小型犬になる予定でした。しかし、父親のDNAの方が強かったのでしょう。いつの間にか中型犬サイズの室内犬になってしまいました。
 主人(梵 大英)曰く、「父親はたぶん近所のミックス(雑種)さんと思う」とのことですので致し方無し。
 私達二匹の性格を申し上げておきましょう。私タローは、どちらかというとオットリタイプ。ご飯は人一倍ならぬ犬一倍食べます。相棒のハナコはヤキモチ焼きの神経質タイプ。私が主人に撫でられていると、横から主人のその手を自分のほうに奪ってしまいます。
 夕方には西城川土手を散歩しておりますが、風になびかせて自転車を走らせていらっしゃる荒瀬院長先生をお見かけします。赤いウインドブレーカーを着ていらっしゃることが多いので、遠くからもよ〜〜く分かります。
 そんなことで私達はいつも家の中にいますが、主人と一緒に専法寺の境内や土手にいますので、見かけられましたらいつでも声をかけて下さい。ただし先に謝っておきます。小心者ですので、最初は吠えてしまいますが、あしからずご了承下さい。それでは皆様ごきげんよう!  梵タロー
    三次市三次町 浄土真宗本願寺派  
         梵行山 専法寺 梵 大英

 
   
 ありがとう、祥子ちゃん    
 こんにちは。「りく」の飼い主の祥子です。私は13歳、中学2年生です。
 りくが竹本家に来るのには長い道のりがありました。
3年前、私の友達から「犬はいらない?」と声をかけられたのが始まりでした。友達のおばあちゃんの家で仔犬が生まれていて、目が見えるようになるまでに飼い主が見つからなかったら川に流されると聞き、「これは、どうにかせんといけん!」と思い、家族に相談しました。家族はお姉ちゃん以外はみんな反対でした。それでも必死に頼んで、頼んで、やっと仔犬を見に行くことになりました。(片道1時間、3回行きました)
行ってみるとお母さん犬の周りに黒、白、茶の仔犬が5〜6匹いて、茶色の犬はりくだけでした。家に帰ってからも茶色い犬のことばかり気になり、お姉ちゃんと考えた「犬を飼うための10の約束」で家族を説得して、ようやくりくが我が家に来ることになりました。(でも予定どおり10の約束は1か月持ちませんでした。父の独り言)
これからりくの自己紹介を聞いてやってください。
 ボクは柴犬のミックスで先日3歳になった♂です。最近、祥子ちゃんは散歩に行ってくれないので少し寂しいけど、よく遊んでくれます?散歩はおじいちゃんとお父さん、身の回りのことはお母さんがやってくれます。お姉ちゃんはボクを弟のように可愛がり、厳しく躾けてくれます。散歩に行くと、時々「スタイルが良いネ」と声をかけられ嬉しく思いますが、お父さんが複雑な顔をしているのはなぜでしょうか?
 家族やご近所のみなさん、これからもボクのことをよろしくお願いします!
            三次市三次町 竹本 祥子


   
 男の子?女の子?    
 三次ST駐リン場、暑い夏の日に手のひらサイズの「1300g}
「ニャー2」と鳴いていた猫サン。その日に鵜飼に乗れる日と重なって急いで船着場へ。「つぶやき風)「帰ってきてもし鳴いていたら・・・?」と思い帰ってみると、「ニャー2」と力いっぱい天まで届けとばかりに鳴いていました。それがこの猫さんとの出会いです。

目が大きく目ヤニが酷くスグ病院へ。先生、「元気ですヨ!男の子です。」先手に「四郎、五姫」とならんで「小太郎」と命名。三ヵ月後に又健診へ。先生、「ナゼ女の子なのに小太郎?」先生が男っていったのに・・・、女の子でもそのまま小太郎さんになっちゃって、トホホ。
小太郎サンはドライブ好き。なんせ北は淡路島、南は長崎、淡路島の猫美術館でお泊り。猫美術館始まって以来の猫のお泊りだそうです。
どこに行っても人気者です。スリスリしてきますヨ!石畳で散歩していたら声をかけて下さいませ。低い声で、「ニャー」と鳴きますヨ。マダマダ話はつきませんが、10+4匹の猫話もあるので又時間があれば話しますヨ!

 

1997年8月10日生まれ メス(名前)小太郎
 趣味 ドライブ 美術館めぐり ライブ鑑賞 花占い

  卑弥呼蔵 たべもの屋赤猫
         動く広告塔モヒカン店主 山崎 裕之


   
お母さん、大好き     

私の名前は「杉原エリー」です。私(シェルティ)とリュウスケ(ロシアンブルー)がお母さんのところへやって来て、もうすぐ11年になります。

 私は、中年を過ぎる頃から大変な寒がりになり、冬はファンヒーターの前から離れられないんです。ファンヒーターの真近で顔をヒーターに向けて休憩するのは、とっても気持ちがいいんです。お母さんからは、「エリー、やけどするよ」といつも言われています。

 リュウスケは椅子の上が居場所で、いびきをかいて寝ます。今日は珍しく私のそばへきて休憩したので、お母さんがこの写真を撮ってくれました。

 私は外猫が苦手です。散歩中、猫を見かけると猛烈にハッスルして吠えて、お母さんを困らせています。怖いんです。リュウスケは、私より4ヶ月後に家族になりました。遊び相手が出来て嬉しかったことを覚えています。リュウスケとはじゃれているうちに本気になることも。そうなるとリュウスケは強くなり、私がタジタジです。

 リュウスケは人なつっこくて誰でもすぐ膝の上に上がり、なでなでして貰います。私は、おやつを貰える時は、とんでいきます。好き嫌いなく野菜、果物も大好きなんです。

 お母さんは、私達がいるので、淋しくないと言ってくれます。これからも、元気で仲良く暮らしたいです。

          広島市東区牛田新町 杉原 佳津子

 
奇跡の猫  

私ども夫婦の融和を支えてくれております「ミー」です。オフィシャルネームをミー・マーガレット・ローレンスと申しますが、まだ公式な場に出たことはありません!?

 私が勤めから帰ると、居間で妻と平行に寝そべっていたミーはサッと私にすり寄ってきます。(一方、なんの反応もない妻の様子は、以前、このコーナーに寄稿された市井さんのご家庭と似ています)。私をお迎えというよりも、耳の辺りや仰向けになって脇の下をなでてもらおうとやってくるのですが、このミーとのコミュニケーションは、やれやれと思いながらも私を癒してくれます。

 ミーは我が家にきて4年になりますが、実は、ダム立ち入り禁止区域に立ちすくんで震えていた猫でした。ダム管理事務所に勤める妻の友人がパトロールの職員さんからその話を聞き、現場まで連れて行ってもらい、拾い上げたのです。ところが、家に連れて帰ったものの、自宅の愛猫がやきもちでヒステリックになったため、我が家に連れて来たという訳です。当時のミーは、ほとんど毛が抜けて肌色、尻尾は骨だけという凄まじい様相でした。前田動物病院(先生は同級生です)で手当を受け、お腹のなかもきれいになってだんだん元気になると、お行儀もよく、毛も生えて、ついにはチンチラ・シルバーの風貌になったのです。これにはミーの命の恩人である友人もビックリ。

 こうした生い立ちを持つミーとの出会いに、私達は運命的なものを感じ、彼女のわがままのすべてを許しています。 

                三次市十日市西 天野 博史               


 
私、笑ってるみたいでしょう!  

11年前の5月、近所の方から「可愛い仔犬がおるけど、いらん?」、と声をかけてもらい

ました。あまり賛成ではなかった主人の冷たい目線を気にしながらも、すぐに連れて帰り、5月ということもあって「メイ」と名前をつけました。

 メイはビーグル犬と柴犬のミックスで雌、仔犬の時は前身真毛でおおわれ、首のところに白い毛でリボンの形があり、とても可愛かったです。犬の成長は早く、1年もすると頭は茶色、顔は黒色にかわり、今頃でいう茶髪のガングロ・オテンバ娘になってしまいました。

 甘えん坊のメイは、可愛がってくださる人なら誰でも好きで、特におやつをもらうとメロメロです。唯一の得意技は、「メイちゃん」と呼ぶと、「ワン」と返事をするところです。

 散歩の途中で、一緒に散歩する孫が遊びだしたり、歩くのが遅いと自分のところへ来るまで待ちます。田舎へ行くと、鼻の頭が白くなるほど土を掘って、野ネズミやモグラを捕まえたこともあります。

 メイが来てから大変なこともありましたが、家族の一員となって、私の心を癒してくれました。いまだに躾のできていないメイに、2歳の孫が、「メイちゃん、おしゅわり!」と一生懸命に大声で叫ぶ毎日です。

 これからも家族と共に、思い出をいっぱい作っていきたいと思います。

                  三次市三次町 松本 孝子


 
猫じゃらしに夢中です  

ぼくの名前は「タバ」。ちょっと変ってるでしょう。

ぼくがまだ生後3ヶ月でペットショップにいたとき、お母さんとお姉さんがぼくを見て、「まあ、この仔の目の大きいこと! それになんだか目が離れているねぇ」。「きゃ〜,まるで田畑智子(女優さん)みたい」、「この仔を飼うんだったら、名前はタバだよね」。そんなことからぼくは「タバ」と呼ばれて、6年前にこの家の子供になりました。

 ぼくが来たときは先輩猫のルウがいて、それはそれは苦労したんですよ。ルウさんからしたら、突然ぼくが現れて嫉妬のかたまりになったんでしょうけれど、いつも追いかけられて、噛み付かれて(ぼくは気弱なので、やられっぱなし)

、何度動物病院のお世話になったかしれません。でもそのルウさんも、去年の暮に天国に行きました。

 ぼくが持っている猫じゃらし、時々お父さんやお母さんに遊んでもらう大事なものなんです。普段はおとなしいと言われるぼくですが、猫じゃらしでじゃらじゃらされると本能が揺さぶられて、もうネズミがそこにいるかのような大騒ぎ。追い掛け回して猛攻撃。一度始めると何度も何度も飽きずにやるので、いつも「たんちゃん、もういいでしょう」と終了します。残念!

 ぼくはいつもお父さんから、「タバはほんとうにマザコンだよなあ、お母さんを見る目が熱いぞ」、と言われます。でも、ぼくはお父さんも好きですよ〜。また猫じゃらしで遊んでね!                  
 荒瀬外科 荒瀬 妙子

                              

 
お嬢様犬です!  

うちには3匹の自由きままな動物家族が

います。2匹の犬と1匹の猫。今日はそのうち

1匹にスポットライトを当ててみたいと思います。

その子はチワワの「ももこ」。御年12才の、のりにのった熟女

でございます。最近は年のせいか、綺麗なクリーム色だった毛が白くなり、日々の年月を感じている今日この頃です。

 ももこには半年上の姉「さくら」がいます。この2匹の性格はまるで正反対で、姉さくらは箱入り娘といいますか、家族にも時に牙をむくわがまま娘で、日々手を焼いています。しかし、これがまた憎めないのです。人の心をくすぐる様な甘え方をしてくる。現代でいうと、“ツンデレ”というのでしょうか。まあかわいい奴です。その彼女は今、毎年夏になるとかかる皮膚病になっています。なので彼女を紹介するのはまた次回ということで、妹のももこを紹介することにしました。先ほども姉とは正反対と申しましたが、彼女はとても社交的で八方美人です。顔はとても愛らしいのですが腹黒で、姉をちょくちょくいじめており、しょっちゅうケンカ・・・。いわゆる小悪魔です。だからなのでしょうか、男性の方によくなつきます。甘え上手の世渡り上手。そうわかっていてもかわいいばっかりで、みんなで親ばかしてます。こんな感じに育ててしまったのは私たち家族なのだとわかりつつも、その事実に目を背け、日々猫かわいがりしています。私たちにとってはとてもとても大切な家族。いつまでも元気で長生きしてもらい、共に笑って暮らせたらと思っております。

 ももこは、私の尊敬し大好きだった祖母(貴子)に会わせることができませんでした。その分色々な想いもあり、先に祖母に会えたさくらと共に長生きしてほしいと思っています。

            江田島市大柿町 澤 医院・澤 加奈

              

 
お返事ならまかせて!  

本名「ミルク」呼び名「ミータン」は、1994年

8月生まれ、16歳の雑種の女の子です。

 ミータンは、猫なのに身体を触られることが大嫌いです。

1年に1回受けているワクチン接種のときは大騒ぎ。前田動物病院でも有名な猫です。先日も爪を切ってもらいに行ったのですが、これもまた大騒ぎをしてしまいました。若先生に、「これが16歳の猫なの?あんたは元気すぎる!」と言われました。

 でもミータンには返事をする、という特技があります。「ハイ」、「オハヨウ」です。さすがに「ハ」は言えなくて「アイ」、「オアヨウ」ですが。「オハヨウ」はうちに来てから3ヵ月くらいで言えるようになり、「ハイ」は4年くらいしたころに言えるようになりました。かしこい猫です。

 荒瀬外科の先生や看護婦さんにミータンが返事をすると話したら、是非聞いてみたいと言われ、何とか録音しようとしました。でもその気配をすばやく察して、そんな時の返事の声は小さく、身体も反対側にしてしまい、おまけにカメラを見ると、プイと横を向くという有様です。ミータンは、今16歳の反抗期です。

そんなミータンは快食、快便、快眠で16年間一度も病気をしたことがありません。私の大切な家族のミータン、毎日元気に飛び回っています。

                三次市三次町 行政 敬子


 
その後の子供たち  

我が家に、片目に障害のある黒猫の「メメ」が

やってきて、あっという間に約一年が経とうとしている。

 メメは我が家にやってきた時から、小ぶりでやんちゃな子猫だったが、1歳になった今でも体重は3キロにも満たない、見た目“子猫”のままである。

 「今、2階のベランダで犬のサクラとじゃれ合っていたと思えば、ふと見ると、約3メートル下の芝生の上で、走り回っていた!」という家内の話から推測するに、足を踏み外して・・・くるりと回転!!無事着地!!はたまた、ムササビのように、優雅にフライしたのか・・・。私もいつかその瞬間を目撃したいものである。冒険好きで活発なメメが軽量級のボディを駆使して、数々の武勇伝?を繰り広げ、これからも日常スパイスになってくれることを期待している。

 ここで、3月末にやってきた東北生まれのニューフェイス「五飛(ウーフェー)」を紹介する。盛岡で子供たちが飼っていた2歳になる黒猫で、ごっつい顔で黒豹のような風貌だが、家猫のなかでも性格は特に温厚でいいやつである。五飛が仲間入りして、我が家は犬が3匹、猫が3匹で、人間よりも動物の数が上回り、良くいえばアニマルパラダイスだが、正直なところ、ペット無法地帯になりつつある。

 どの子供たちも可愛いし、皆大切な家族の一員であることに変りはないが、ずば抜けたやんちゃぶりと、猫らしくない人なつっこい性格のメメは、我が家でNo.1の存在である。                  

       三次市和知町・佐竹医院 佐竹 辰男


 
もう悲しまないでね!僕がいるから  

昨年11月18日、17年と半年で猫のミーが、そして今年2月11日、7年間一緒に暮らした犬のレオが、あいついで病気で死んでしまいました。私達家族は、一度に二つの命を失い、本当に悲しく寂しい日々を送っていました。

 こんなつらい想いをするくらいなら、もうペットは何も飼うのはやめようと、口々に言っていたのですが・・・。娘はあまりの寂しさに、ペットショップに通いつめ。ある一匹の犬に出会ったのです。そして3月13日、我が家にやってきたのは、とても可愛いチワワの子供でした。

 最初は、家族みんな複雑な気持ちだったと思います。でも一緒にいると、心から癒され、また大切に育てていこうと思うようになりました。

 名前は“マロ”、12月生まれの3色チワワの男の子です。ただいましつけの真っ最中ですが、甘咬みをするので、結構痛いです。でも、毎日元気に走り回って、いまでは大切な家族の一員です。

                                                    看護師・重本 幸恵

 
「あるがままに・・・」僕のモットーです。  

僕の名前は「横山むう」と言います。

年は・・・何歳だっけ?アメショーとスコティッシュフォールドのミックスの雄です。

 僕こんなにイケメンなのに、なかなか飼い手がいなくてね、とほほ。ある日、今の飼い主のお母さんが、そのペットショップに来たんだ。店主とお母さんが、昔からの知り合いということもあって、「先生、この子、性格おとなしいのに飼い手がつかないのよ。お安くしとくから、飼ってくれない?」と言ったんだ。お母さんは「お安く」に心を動かされたみたいで、結局僕は横山家の一員になったわけ。

 長い間狭いケージにいたでしょ、足腰が弱くなってね。横山家に来た時は、階段の上り下りも大変だったよ。それで他の猫たち(あと3匹います)に馬鹿にされるんだよ。男はお父さんと僕しかいないのに、まったく女どもは、男を大切にしないんだ。このへん、人間界も一緒?

 僕はお腹が空いても、じっと我慢の子。おねだりはしません。出されたら、美味しくいただく。用がなければ寝る。猫なで声で甘えることもしません。「あるがままに」これが僕のモットー。あせあせしても、人生(猫生?)そんなに変らないよお。それでも時におもしろい格好をして、お母さんが、「まあ、むうったら」と、笑顔を見せてくれるのが僕の喜びでしょうか。

 広島市中区鉄砲町・大山皮ふ科クリニック・横山 寧恵


 
突然お邪魔しまーーす。もうすっかり家族になっちゃいました  

『ピーピーキュルル、ピーキュール』、黄色&緑がよく似合う(自分で言ってる!)インコのピューコです。
こんにちは!今は三次町太歳町に巣(?)んでます。三次町となりの十日市にある卑弥呼(猫がたくさんいる)の、金網を通り越して、家に入っちゃいましたヨ!

 猫たちは、小さい小さい僕を見るなり、『ウミョー、ワニャー』と鳴いて、今にも美味しそうな食べ物を見るように・・・アワワワワ。猫君たちの舎弟の人間さんに助けてもらって、『フウ〜〜』。人間さんたちは、『ニャーニャー』と僕が鳴くことをひそかに楽しみにしていますヨ〜!

 僕の趣味は、人間さんが見ているテレビと一緒に『ピーキュルルキューピッ』とおしゃべりすることです。少々うるさがられてます、トホホ。

そうそう僕も身体の具合が悪くなったり、怪我をしたら、荒瀬先生に診てもらおうかなぁ〜?

 ここでは三食昼寝つきで、とても暖かくて快適、快心、快便です。人間たち、猫、そして私インコで楽しく過ごしてますヨ。ふ〜〜っとね、時間がありましたら、僕を見に、御食事処「赤猫」に遊びに来て、ピューイ、ピュピュー、ニャー!?

     三次町太歳町・『卑弥呼蔵・赤猫』・山崎 裕之


 
お父さん、お母さんアリガトウ  

 こんにちは、わたしは「岩見メリー」です。
 わたしは三若町の一人住まいのおばあちやんの家で、平成20年9月に6匹生まれたなかの1匹です。平成20年11月21日に警察の人の紹介で、岩見のお父さんに引き取られて、毎日楽しく過ごしております。
 でも他の兄弟は、2〜3日後に保健所というところへ送られたそうです。どうしているのか、心配です。 
 わたしはオクビョウで、鳴くことも吠えることもできないのです。1週間くらいお父さんのベッドで一緒に寝ていましたが、その後は店の裏で、夜、昼遊んでいました。
 ある日突然車に乗せられ、ビクビクしていたら、三次の荒瀬外科へ行き、車のなかで一人ぼっち(一匹)で待っていたら、先にお母さんが帰ったので安心しました。今も毎週楽しみに荒瀬外科というところへ行っています。
 平成21年10月に台風で大雨が降り、大風が吹いて、わたしは怖くてフルエテいたら、お母さんが「今夜は家で寝るか!」と言って、わたしの身体をふいてくれて家に入れてくれたので、安心しました。それ以来は家で夕ご飯を食べたり、時々お父さんの晩酌(焼酎)や刺身もオネダリしています。とても美味しいですね。寝るときにはお父さんと寝たりお母さんと寝たりしています。昼はお父さんと一緒に「たばこ屋の店番」で、看板娘(犬)ですが、すべての人には馴染まれず、時には奥の方へ隠れます。
 9月頃からお父さんの電動車で散歩していますが、はじめは怖かったです。でも今は楽しみで元気で走っています。
 これからは皆さんに可愛がられ、「芸」も覚えて、一度は赤ちゃんも産んで、喜んでもらえる犬になるよう頑張りたいと思っています。

※ 飼い主より・・・独居老人に同情してもらい受け飼っていますが、なにぶん臆病犬です。でも私の気持ちを癒してくれる毎日で、生涯可愛がってやるつもりです。

                        三和町 岩見 佐年


 
                      やんちゃだけど可愛いよ  

この子の名前は紫音(しおん)。15年前に岡山県に住んでいた頃に出会いました。

小さくて可愛かったのですが、やんちゃで手に負えず、仕方なく三次に預ける事にしました。荒瀬先生にも病院の皆さんにも可愛がって頂き、近所の皆さんや登下校の皆さんにも、ピアノ教室の皆さんにも「しーちゃん」と声をかけて頂いたり、撫でて頂いてみんなに愛されております。

 小さい頃は高いところが苦手で、荒瀬外科の松の木に登って下りられなくなり「ニャーニャー」大声で鳴き、カゴを持って走ったこともあります。以前父が荒瀬外科に入院していた頃、私は裏に住んでいながら2階の病室にどこから上がっていいかオロオロしていると、紫音が階段から誘導し、紫音について行くと病室にたどり着いたこともありました。その時も紫音は看護師さんの所で「しーちゃん、来たんねぇー」と可愛がってもらっておりました。

 先日ケンカに負けてケガをしたので動物病院に行くと、先生に「紫音ちゃんは、年齢のわりに若い顔をしてるね」と言われ、「ニャー」と鳴いてお返事をしておりましたが、紫音も人間の歳でいえば70歳以上です。

 外では「大人しいねー」と言われておりますが、家では餌が気に入らなければプイッとそっぽを向き食べない、朝は母が起きるまで頭突きをする、それでも起きない時は噛み付くなど、70歳を過ぎてもワガママし放題の紫音ですが、母に尻尾や足を踏まれたり、座布団と間違えられ私のお尻の下敷きになったりと、痛い目にもあっております。

 母は紫音がいると癒されると言います。紫音は大事な家族です。皆さんにも末永く可愛がって頂ける紫音であってもらいたいものです。 


 
繁殖犬になるところだったね  

みなさん。こんにちは!

僕の名前は「シー太郎」です。平成13年11月23日生まれ。シーズー8歳で、生まれは呉です。三次在住歴7年です。

そもそも僕が三次にくるきっかけになったのは、7年前に、広島市内のペットショップで売れ残りになり(涙;;)、ぺットショップの看板犬!?として店内を縦横無尽に闊歩していました。

 そんな時、三次の犬ボランティアの方が、今の主へ、「成犬だけどかわいい犬いるよ、飼ってみない?」と声をかけて下さったのです。主は、見るだけで買うつもりではなかったのに・・・・・・、主の家族の女性軍が、僕を見るなりとりこになり、即三次へ連れてこられました。もしこの町に来ていなかったら、ブリーダーさんのところで、繁殖犬になっていたそうです(これは嫌だなあ・・・)。

 最初は知らない町ですし、主も一生懸命尽くしてくれるのですが、いきなり去勢させられたり、嫌なことばかり。でも、時間が解決してくれるんですね!今では、三次の住人、いや住犬として石畳を楽しく散歩しています。いろんな人が、「シーちゃん」と声をかけて下さいます!お手、おかわり、お座り、ふせの基本形しかできませんが、また石畳でお会いしたら、声をかけて下さいネ!

※主よりひと言:何時に帰っても、喜んで迎えてくれるのはシー太郎だけ!きみのしっぽフリフリに癒されます。感謝!!

三次町本通り・MORITOU・森藤 芳弘

 
子守はまかせて  

こんにちは。アタシは、ラブラドールレトリバーの「らむ」です。

生後2ヵ月の時に、縁あって香川県から森川家に

やってきました。今年で11歳になります。

 もうすっかりおばあちゃんになったので、口のまわりに白い毛も増えてきました。

 アタシが2歳の時に、当時いた同居犬、ゴールデンレトリーバーの「れい」ちゃんとの間に6匹の赤ちゃんを産んだことがあります。1匹は、生まれてすぐに死んでしまいましたが、残りの5匹は、3カ月の頃に新しいご主人の元にもらわれていきました。

子供たちは、時々ご主人と一緒にアタシの顔を見に立ち寄ってくれます。やはり成長した我が子の姿を見るのは嬉しいことです。

 森川家には、2歳になる琥珀(こはく)ちゃんがいます。今では琥珀ちゃんのお守りをしながら遊ぶのが楽しみになりました。でも、琥珀ちゃんは悪戯盛りで、遠慮なしに耳や尻尾を引っ張ったり、目を指で触ろうとしたりで、ちょっと相手をするのが大変です。

 でもアタシはベテランママなので、小さい子の悪戯なんてへっちゃらです。あまり度が過ぎた時には、尻尾でパシッとはたいてやります。

 一日でも長生きをして、琥珀ちゃんの成長をご主人と一緒に見守っていきたい今日この頃です。

                   三次市三次町 森川 義行


 
大好きだよ!ウマゴン  

みなさんこんにちは、馬魂(ウマゴン)の飼い主です。

私とウマゴンとの出会いは、平成16年の冬になります。もともと馬が好きで、大学でも馬術部に所属しておりました。  大学を卒業してからは、馬術クラブへときどき通っておりましだか、全く熱心ではありませんでした。

そんな時、東京でミニチュアホースの牧場を経営なさっている方のサイトをインターネットで発見し、興味を持ちました。掲載されている馬があまりにも愛らしかったので、一度見てみたいと思ったのです。ちょうど東京に行く機会があったので、見学に行きました。そしてウマゴンと初めて出会いました。その頃は幼いせいか、とても臆病な感じでした。

牧場の経営者の方と話をするうちに、ミニチュアホースを飼ってみたくなり、何回かの訪問ののちに話を切り出し、とうとう平成17年の11月にウマゴンを自家用車に積んで広島の実家へと連れてきてしまいました。

 ちょうどその頃、三次の「物怪プロジェクト三次」でスタッフのお手伝いをしていた縁もあって、三次に移住しようと思い、平成18年の春に意を決して三次へと移住しました。そして今にいたるわけです。

 三次はとても良いところで、ウマゴンも大満足しております。でも、街中で見かけても餌をあげないで下さいね。これ以上メタボになると困りますので・・・。 

                        
                    三次市三次町 丸山 和彦


 
 
我が家の子供たち(DOG&CAT)  

現在、我が家は大人3人の暮らしである。

 しかしペットは大勢いる。チワワの“チワ”10歳、ミニチュア・ダックスフンドの“ミミ”9歳、クリームのダックスの“サクラ“5歳、ほとんど姿を見せないまぼろしの猫の“ミャンタン”5歳、そしてミャンタンの親類筋になる約10匹の外猫の可愛い子猫たちだ。
 外猫たちは空腹になると、リビングのサッシの窓枠の部分に斜め横向きに座り、こちらを覗き込み「餌欲しい」コールをする。外猫たちの鳴き声に反応して、我が家の3匹の犬たちが興奮して鳴きまくる。朝な夕なに、電話の会話もまともにできないほどの大音響である。

 数年前、我が家の庭で荒瀬先生たちとバーベキューをした時、匂いに誘われて1匹のとても人なつっこい猫がまとわりついてきた。荒瀬先生の奥様が、「外猫ちゃんとして、面倒をみられたら!」と言われたのを受け、妻が日々餌を与えていたら、いつのまにか、大家族になっていた。妻のレポートによると、残っているのはほとんどオス猫で、知らない間にボス格のオス猫とメス猫と子供たち、トータルで10匹はこえることはないようにハーレムが形成され、コントロールできているらしい。我が家は、猫屋敷と化してしまった感がある。

 この6月21日に、家族で食事に行く途中の山中で、目やにで完全に目がふさがった状態の2匹の黒猫を見つけた。いとおしく、家に連れて帰った。1匹は翌日子猫とは思えないほどの断末魔の大声を発して、あの世に旅立ってしまった。残った子猫は、前田動物病院で診察を受け、日々妻が離乳食のようなものを与え、点眼や抗生剤などで身体は元気になったが、片目の炎症が取れず、現在入院中である。片目の視力回復はほとんど望めないらしいが、晴れて退院できたら、我が家の子供がまた増えることになりそうだ。妻は、“めだか“とか、吉本の芸人みたいな名前で呼んでいたが、私の意向で”メメ“ちゃんと命名した。

                                                    三次市和知町  佐竹医院・佐竹 辰男


まぼろしの猫「ミャンタン」

 
迷犬(?)「くま」

僕は「くま」です。

犬なのになぜか名前は「くま」なんです???

僕は、末っ子の芽吹ちゃんが大の苦手なんです。なぜ苦手かというと、芽吹ちゃんは覚えたての言葉で、僕のことを「わんわん」と呼ぶんです。そう呼ばれるたびに、僕はこの家の家族ではなく、他人(他犬?)になったような気がして寂しくなるからなんです。でも、芽吹ちゃんは食事のときに僕にお裾分けをしてくれます。だから僕は、食事の時間は芽吹ちゃんのイスの下で、いい子にして待っています。ハハちゃんやチチさんは食べ物をこぼしてくれないので、やっぱり僕はイチバン芽吹ちゃんが好きです。

 僕は箱入り息子で育てられているので、雨の日が大嫌いです。なのにチチさんは、雨の日でも僕を無理やりひっぱって散歩につきあわせます。雨の日は、チチさんが鬼に見えます。

 そうそう、僕は今年で10歳になりました。人間の年齢でいうと、たぶん青春真っ盛りの17歳くらいで、スポーツに打ち込んでいる高校生って感じかなぁ〜!でも、この頃散歩の後に息切れがするのは何故???

 この頃、散歩をしていると、「太った?」「太ったネェ〜」とよく声をかけられます。チチさんは、「メタボなんですヨ」と答えています。メタボの意味はチョット解らないけど、みんな微笑みながら声をかけてくれるので、きっと僕のことをほめてくれているんですよネ!皆さんも僕を見かけたら、「太ったネェ〜!」とほめてくださいネ!
それじゃ〜!(^^)/~~~

    中型犬の年齢10歳は、人間の年齢でおおむね60歳くらいといわれています。

三次市三次町 片岡 幸治


 
 
 

お散歩大好き!

  僕は、「さどや」の雄のダルメシアン「ダン」君です。10歳になりました。

 大好きな家族に見守られて、何でも最優先に考えてもらい、大満足です。居心地は、とてもよろしいです。

 寒く長い冬、そして暑い夏も、朝夕コースは決めず、1時間ばかり、足の向くまま、気の向くまま、街の中、土手、河川敷と歩きます。雨が降れば、水色の大きな風呂敷を首と尾に結び、雨をしのぎます。これが一番簡単です。

身体はビッグで恐そうですが、自分から喧嘩したことはありません。

家族は優しく声をかけてくれ、一日でも長生きをしてくれればと思っています。少しはダイエットをしなくては、と思っていますが、食欲はすすみます。

主の留守の時は、不安で寂しいけど、帰って来て姿を見ると、満面の笑みを顔面クシャクシャにして喜びをあらわすのは僕の特徴です。

どうか街中で会ったら、声をかけて下さいね。

                 ダンより

                  飼い主・三次市十日市中・さどや古美術・佐藤 幸


 
 
 

ベビー誕生を待っています

ピーターラビットの、ライ君(茶色)とレイちゃん(白色)が我が家にやってきました。ある日ベットショップに子供たちを連れて行ったら、そこにライ君
がいたのです。小さくて、とても可愛く私がひと目ぼれ。何日も、何日も、ライ君を見に行きました。そして、どうしても飼いたくなって、子供たちと「きちんと世話をするんだよ」、と約束をして、主人も説得して、とうとう我が家の一員になりました!

本当は、私が欲しかったのです。なので、子供たちは3日で世話をしなくなりました。まさしく3日坊主!でも、私はうれしかったです? しばらくして、またペットショップへ行ってみると、同じ種類の女の子がいて、これまた、ひと目ぼれ? 2匹の赤ちゃんが見てみたいと思い、今度は私の独断で、我が家に連れて帰りました。 子供たちは、ペットが2匹になったら、今まで以上に世話をするようになりました。

 うさぎは、予想以上に人に慣れ、名前を呼ぶと、側に寄ってきて、ついて歩いたりして、とっても可愛いです。

 今は、赤ちゃんを見られる日を家族みんなで楽しみにしています。(孫の誕生を待つ祖母になったみたいです♪)

              三次市西酒屋町   定本 千春 


 

天才犬・・・かな?

 こんにちは、私は、杉田薬局のかんばん犬のロミです。先日父さんと散歩していたら、私の憧れのええ男の荒瀬先生が、「荒瀬外科の新聞のペットの紹介欄に、愛犬のことを書いてくれませんか?」と父さんに頼まれました。

 まず私の自己紹介をします。私(♀)と兄弟(♂)は、動物病院に預けられていました。(♂)のほうは引き取られたのですが、なぜか私のほうは、一年以上も預けられたままの状態でした。そこへ今の父さんが犬好きなもので、私をもらってくれました。内心嬉しかったです。

 父さんは、毎日朝、夕の散歩のたびに、鼻の先から尻尾の先まで、「もういいのに・・・」というくらい、丁寧に拭いてくれます。たぶん母さんには、一度もそんなことはしてあげたことはないと思います・・・どうかな?

 私は少々の芸を持っています。「お手」も、右と左両方できます。それから得意なのは、足し算ができることです。1+1=ワン・ワン、2+3=ワン・ワン・ワン・ワン・ワンというふうに。一応原産地はイギリスですから、英語もしゃべれます。ひとこと、数字の1は「ワン」これだけですけれど。             
 
 好きな食べ物は、茹でたキャベツとワンワンビスケットです。杉田薬局にお越しの節は、一声かけていただければ、芸をご披露いたします。今後ともご愛顧たまわりますようよろしくお願いいたします、ワン!

            三次市三次町  杉田薬局 杉田 善信


 
不思議な縁で・・・

平成15年3月26日のことです。猫の避妊手術の依頼があり、早速手術の準備をしました。避妊手術は珍しいことではないのですが、診ると少々お腹が大きいようでありました。しかしそのまま実施することにしました。

なっ・・・なんと開腹してみると、生まれる一週間前くらいの赤ちゃん猫(胎児)がうごめいていたのです。術中、生かすかそのままにしておくかいろいろ検討した結果、猫といえどもせっかく生を受けたのだから、3胎児のうち1胎児だけは蘇生して誰かにもらっていただこう!ということになりました。そうして手術を終えたわけであります。

元気で大きな猫の赤ちゃんが誕生しました。が、職員の誰も貰い手を捜そうとせず(私もですが)、不思議な縁を感じて、とうとう当院のマスコット猫となりました。

性格は大変臆病で、ペロペロ人の手を舐めますが、最終的にはガブッと力が入りかんでしまいます。そこから「ペロ」、「ペー助」という名前になりました。

先月の節分の日には院内で豆まきをしましたが、ペー助は鬼の役をやってくれました。鬼のお面がなかなか似合っています。その時の私とペー助のツーショット写真です。                                          
                                      
前田動物病院 前田 茂

 

 

犬?いや息子です

我が家の犬との出会いは、今から7年前の春先にさかのぼる。当時お付き合いをしていた女性(後に妻となる)がペットショップに勤めており、そのペットショップにいたのが、ヨークシャーテリアの「はっちゃん」。何故はっちゃんなのかって?それは8万円のはっちゃん。ペットショップでの販売価格が由来のようだ。彼女はどうやらはっちゃんをすごく気に入り飼うことを決意した。


その秋には私と彼女の婚約が決り、はれてはっちゃんは我息子となった。神奈川〜東京都東久留米市〜東京都西東京市〜広島市西区と7年の歳月を、一緒に大移動して共に歩んできた。
そして今から3年前に長女(陽彩)が生まれ、かまってもらえる時間が減り、さらに1年前に次女(由彩)が生まれ、もっとかまってもらえなくなった。(子供)自慢のようだが、頭が良いのか、優先順位(主人が誰なのか)をはっちゃんはよくわきまえている。不規則な勤務形態で働いている私ですが、帰宅時、家の前を通りかかると、その足音か鍵の音でかわからないが、すごく反応し私を出迎えてくれる。娘たちも可愛いが、唯一男家族として、私の息子として共に過ごしてきたはっちゃんは紛れも無い私の家族です。  

広島市在住・井上 晴喜           


 

やんちゃ姫

ミミに会うたんは1998年5月で、隣の家の軒下におったんですよ。
隣のおばさんが、「章ちゃん、あんた猫飼いんさいやーー」いうて、見たら生後3週間くらいの可愛い三毛猫で、女房に内緒で倉庫のなかで飼いよったら、これが女房にばれてね。しょうがないんで、荒瀬の先生のところへ連れていったら、先生のお母さんが、飼ってもいいからいうてもらって預けたんですよ。

そしたら、このミミちゃんはものすごいやんちゃ猫で、本宅の障子やふすまを破って、怒ったら暴れて、またうちへ返されたんですよ。それから女房も納得して飼うことになったんですが、このミミちゃんはすごい嫉妬深い猫でねーー、他の猫を家に入れたときなんか、怒って3日間は呼んでも知らん振りですよ。なにしろ自分が中心でないといけんのんです。
最近台所の網戸を開けて外に出ることを覚えたんですけど、帰ったときはよう開けんのんです。網戸をガタガタいわして、「開けてくれーーー」いうけどほっといたら、網戸にバーッとよじ登って、爪がひっかかってまるではりつけみたいになってね(笑)。
このごろは少のうなったけど、怒ったら背中を丸ーーうしてね、飼い主に威嚇してきて、バーッと柱を登ったり、カーテンをよじ登ったりのおてんばぶりです。でもこれが甘ちゃんでねーー、夜寝とったら布団に入って来て身体をくっつけてきてね、ひとつの枕で一緒に寝るんです。夜遅くに家へ帰ったら、女房は爆睡しとっても、ミミちゃんは三つ指ついて待っとってくれるんです。もう今じゃ大事な家族の一員です。

三次市十日市南   市井 章治


 
小さな命を助けて

チロとは、僕が小学1年生になったばかりの春に出会いました。チロはメスで生後半年から1年くらいでした。

当時、君田保健センターでは、捨てられた猫や犬、自宅で飼うことができなくなった動物を集めていました。集められた動物は、定期的に保健所の愛護センターが引き取っていきました。無事に里親が見つかれば新しい飼い主に飼われますが、そうでなかったら処分されてしまうのです。
 その引き取りの日がたまたま休日をはさんだために、チロの居場所がなく、しかたなく我が家でチロに餌だけをやることになりました。チロは体型、顔もすごく可愛かったし、もしかしたら殺されてしまうと思うとたまらなくなって、両親に頼んで飼ってもらうことにしました。

 捨てられて、そのうえいじめられたためか、最初は餌をやっても、寄り付かず誰も見ていないときに食べたりしてなつきませんでした。でも2〜3週間するとだんだんなれてきました。

 最初は母と一緒に散歩に行っていましたが、中学になり部活などで忙しく母に頼んでいます

なにも芸のないチロですが、これからも大切にしていきたいと思います。      

君田中学1年  荒瀬 翔


 


出会いに感謝! 

我が家には犬が2匹、雑種のダン9才(オス)と、ビーグル・イングランドの樹里8才(メス)がいます。ダンは、
兵庫県に住んでいる主人の弟が、「兄貴、犬飼わへんか?」と電話してきて飼うことになりました。
 樹里は、娘がまだ高校生の時、テスト期間中にもかかわらず、寄り道したペットショップで見つけて、主人に、「お父さん、ビーグルのオスがおるけぇ飼おうや!」と電話し、たまたま仕事が休みだった主人が行ってみると、オスではなくメスのビーグルがいたのです。娘が、(♀)マークをオスだと勘違いして電話したのです。主人としてはオスだったら飼いたかったようで、「メスはどうも・・・。」と思っていたようです。そこで、「パパ〜〜、仔犬買ってェ〜〜!」というテレビのコマーシャルみたいにおねだりして、「ちゃんとめんどうみるから〜〜。」と言い、ついに買ってもらうことになりました。しばらくは家の中で飼い、娘がちゃんとしつけもしたのですが、大きくなってきて、いたずらばかりするので、外で飼うことにし、少しの間は寂しがって大変でした。


ピーグル犬の樹里

ダンは、男の子なのにすごい甘えん坊で、人見知りがひどく、今だに近所の人が来ても吠えます。番犬としては、Goodです。天気のいい日には小屋から毛布を出して干し、また、くわえて小屋に持って入ります。樹里はとても活発で、人なつこくて近所の人からも可愛がられています。


強面だけど甘えん坊のダン

この子たちがいてくれるから、私たちも明るく元気に過ごすことができるのだと思います。ウチの子がいちばん!!この子たちに出会えた事に感謝!


黒猫のピーちゃん

ちなみに娘は、最近猫を飼いはじめました。名前はピイちゃん、インコみたいな名前です。

厨房・谷口 泉美
 


ごろごろ大好き

我が家のペットは、猫のトッティ。チンチラの牡で、現在9才です。この名前は、トッティが我が家に来た当時人気者だった、サッカー選手からもらいました。
 産まれてすぐにやってきたこともあり、最初は、両手に乗るほどに小さかったトッティですが、いまでは丸々と太って、毎日ゴロゴロ昼寝ばかり。自由気ままな日々を送っています。その気ままさが可愛らしくもあり、また羨ましくもあったりで、我が家には欠かせない癒しの存在です。 あまり自分の方からそばに寄って来るトッティではないのですが、子供たちが自立して家を離れた今は、「元気にしているかな〜、ちゃんとご飯を食べて頑張っているかなあ〜」と、ついトッティに話しかけています。そんな時、そばで私の顔をのぞき込むようにする仕草に、ずいぶん慰められています。
トッティが家族になってもうすぐ10年、いつまでも元気で、我が家に笑いと癒しを与えつづけてほしいと願っていいます。

  

                       看護師・堀川 鈴代
チンチラはペルシャ猫のなかでも人気の高い品種。原産国はアフガニスタンで、イギリスで交配を重ね作られました。性格は穏やかで温和です。静かな猫でめったに鳴きません。おっとりしたのんびりタイプで、ふさふさした毛と大きな目が特徴です

 


我儘で自分勝手なヤツ・でもカワイイ!

名前はハッピー、犬種はパピヨンです。
 誕生日が2000年8月なので、もう少しで8才になり、犬年齢では48才、ついに僕の歳を越えました。出会いは、福山市のショッピングセンター内のペットショップでした。他の犬がこちらを無視しているなか、ガラス越しに愛嬌を振りまいている姿に家族全員一目ぼれし、飼うことになりました。性格は、活発な半面臆病で、自己中心的なところもあり、自分が遊びたい時は、道具を咥えてきて誘い、綱引き、追いかけっこをするのが大好きです。でも身体を触られるのは大嫌いで、気が乗らない時は「ウ〜〜ッ」と怒ります。家族が外に出る時と帰ってきた時に、ヒステリックに吠えるのはいまだに直りません。雷が怖くてヘナヘナになり、まるで過呼吸症候群のようになり困っています。
 室内犬ですが、朝夕2回散歩に出掛けます。朝担当が僕になって以来7年ちょっと。雨だろうが、雪だろうが、嵐だろうが5時に起きて散歩に出掛け、足などを洗いブラッシングと、6時近くまでが毎日の仕事になりました。今の時期は気持ちがよいのですが、冬は真っ暗だし、寒いしで大変です。最近は、朝起きてこちらが着替えて準備しているのを無視して寝たふりをします。いかにも大儀そうに出掛ける姿を見ると、「このヤロ〜〜」って思いますが、そのしぐさが面白くて楽しく付き合っています。
 今や完全に家族の一員で、家族の会話の中心となり、なくてはならない大切な存在になりました。子供が成長し家を出ている今、ますます癒しの存在価値が増していき、これからも長〜〜く付き合っていきたいと思っています。                放射線技師・森井 正樹

パピヨンは16世紀にヨーロッパの貴族階級で人気のあった犬種で、マリーアントワネットもパピヨンの崇拝者でした。パピヨンはフランス語の「蝶」の意で、先端の飾り毛のある直立した大きな耳が、蝶が羽根を開いたように見えることに由来しています。パピヨンの祖先はスペインを原産とするスパニッシュ・ドワーフ・スパニエルと考えられており、北方スピッツ系犬種の血もひいていて、外観や性格は両方の特徴をもっています。

                        

 


猫たちの歴史

 「今年のクリスマスプレゼントは、猫がいいなあ」、当時小学1年生だった娘の何気ないひと言から、我が家の猫の歴史が始まりました。早速可愛い子猫を買うつもりで行ったペットショップにいたのが最初の猫で、名前はラモンでした。ラモンは事情があり、飼い主にペットショップに預けられた(捨てられた?)黒い牡のペルシャ猫で、すでに3歳でした。大きな身体を、窮屈そうに狭いケージに入れられ、飼い主と別れて、寂しそうに憮然としていました。その姿が何故か気になり可哀想で、最初の子猫の予定を変更して家に連れて帰ることになりました。
 学校から帰宅した娘は、黒い猫のプレゼントに驚きましたが、とても喜び、何よりもラモンが我が家を気に入った様子で、その日から私たちの家族になりました。当院の待合室にある「ラモ文庫」は、この猫の名前が由来です。ラモンは、部屋のガラス戸を自由に開けて外に出ていたので、気が向くと、入院病棟の廊下をゆったりと歩き、部屋の中をのぞいて回っていました。患者さんからは、「猫のラモンが回診にきたよ!」と、愛されていました。


元気だった頃のラモン、この名前は最初の飼い主がつけたもの。

 7年間楽しく暮らしましたが、平成元年に腎炎で死亡した後、アメリカンショートヘアのトラ(平成15年に死亡)、黒ペルシャのマオ(18才)、捨て猫だった日本猫のメリ(17才)、やはり捨て猫出身の日本猫ルウ(12才)、アメリカンショートヘアのタバ(4才)、そして最後に1才になるベンガルのナミと続き、現在は5匹が喧嘩をしながらも、仲良く共存して暮らしています。ベンガルはアジアンレオパード(ベンガル山猫)とアメリカの家猫を交配した、野生味と愛嬌を兼ね備えた、身体に斑点のある魅力的な猫で、アメリカ出身のタバとは親分、子分の関係です。先住猫意地悪ルウの攻撃からナミを必死で守るタバ(写真右)と、いつも親分の後をついて歩くナミ(写真左)は強い信頼で結ばれているようです。                                                                   荒瀬 妙子

 

 
いじらしさが魅力

 先代の番犬が死んでしまい淋しい想いをしていた頃、ペットショップで見つけたのが、この柴犬です。平成16年9月生まれの男の子で、名前はリュウといいます。当時お店に出ていたリュウの価格があまりに安かったので、「この犬、どこか悪いんですか?」と聞いたところ、「ちょっと出っ歯なんです。でも他にはどこも悪いところはなくて元気な子ですよ」ということでした。少し鼻が長いかな、と思いましたが、店員さんの言葉を信じて安心して家に連れて帰りました。
 
 子犬なので、ワクチンを接種するまでは外には出さないようにという注意を受けて、1ヶ月間家の中で飼ったためか、今までの犬よりも我儘になってしまい、しつけに時間がかかりました。
でもリュウの一番感心なところは、どんなに遅く帰宅しても、オシッコなどを我慢して待っていてくれることです。ほんとうにいじらしくなってしまいます。強い番犬に、と望んでいますが、淋しがりやで、人間を見ると喜び(番犬に不向きです)、なぜか家族や近所の方の車には吠えます。

柴犬の性格は勇敢、活発で鋭敏な感覚を持ち、忍耐強く、忠誠心もあるといわれていますが、我が家のリュウは、忍耐強いところ以外はちょっとかけ離れているかなあと思います。だけど、私たち家族にとってはかけがえのない可愛いペットです。        
経理・滝口 一七江

 


託猫所・でもみんな可愛いです

 1匹2匹のころは“うちのかわいいペット”でしたが、飼いはじめてから8年たった現在では、「託猫所」になってしまいました。我が家の3部屋のうち、1部屋をベニア板や金網を使ってネコ専用部屋をつくりました。私のネコが3匹、長女夫婦のものが4匹、長男のものが1匹、次女のものが2匹と、今では合計10匹の大所帯です。子供たちがもう少し大きくなったら、すぐに引き取るから、それまでの間ということで預かっています。
 右下の白いネコは気性が荒いので大変です。ネコ部屋の中に、半畳ほどの1匹部屋を特別に作りました。時々みんなの中に入れてみるのですが、「しゃあー!、しゃあー!、うぅー!、うぅー!」と拒絶反応をおこします。でも、あとの9匹はみんな仲良く、集団生活ができています。

お腹を出しているのは、一番人なつこいネコです。カリカリの餌をわざわざ1ヶづつ手で出して食べます。下の左端にいるのは、どんな戸でも簡単に開けて脱走します。右上の白黒は後ろの片足がありません。息子が仕事の帰り道に拾ったのですが、事故にあったのか、大きな鳥に襲われたのか、肉が腐って中の骨がみえていました。すぐに動物病院に連れて行き、手術、そして切断ということになってしまいました。今は身体も大きくなり、片足ではしんどいだろうなあと心配ですが、元気そうに部屋の中を走ったり、高い所に上がったりしています。時々、無くなってしまった足の付け根あたりをさすってやると、じっとして気持ち良さそうにしています。  
写真の中央にいるちょっと小さくみえるのが、ジュン政岡薬局の壁の中から助け出された小ネコです。母猫が屋根裏で子供を産んだのですが、壁の隙間に落ちて鳴いていて大騒ぎ、とうとう壁を壊して救出したそうです。我が家で飼うことになり、名前はジュンコとつけました。まだ小さいからなのか、超がつくほどおてんば娘です。悪いことばかりして、いつも怒られています。
年配組の6匹は、掃除機が大好きです。「吸ってくれー、吸ってくれー」といった感じで、コローンと転がって順番を待っています。テレビなどで、ネコが紙おむつをつけていたり、目が見えなくなったり、人間と同じように病気になったり、老衰で介護が必要になったりしている姿を見ると、とても気になります。
  
我が家のネコたちは部屋の中だけの生活なので、ストレスがあるでしょう。今息子と計画を進めているのが、風通しの良い網戸つき窓、外の風景がいつでも見られて、天気の良い日には庭に出て運動が出来る・・・そんな家を作ることです。                  
 用務・H・M

                   

 

 
ウサギだけど家族です

我が家のペットは“ロップ”という名前のウサギです。一昨年の5月、ペットショップのショーケースの中に、握りこぶしほどの、耳の垂れた小さなウサギをみつけた我が家の長女が、「必ず毎日私が世話をするから!!」という約束で、ロップは晴れて我が家の一員になりました。

                 

ウサギを飼うのは初めてだったので、最初の頃は飼育本とにらめっこする日々でした。でも娘たちは、初めて飼う生き物に、驚いたり喜んだりの毎日を送っています。種類は“ロップイヤーラビット”で、性格は非常に人なつこく、小屋から庭に出しても、逃げたり隠れたりすることはなく、家の者にまとわりついてきます。しぐさも可愛く、見ているだけで癒されるようで、ほんのりとした気持ちにさせてくれます。ロップが来てから2年近くになりますが、はじめの約束どおり、娘は一日も怠けることなく面倒をみており、ロップも娘の愛情が伝わっているのでしょう、娘に心底なついていて、嬉しそうに毎日遊んでいます。ウサギの寿命は10年前後らしいのですが、出来るだけ長生きをして、これからも私達家族に和みを与えてくれる存在であって欲しいと願っています。

                                  事務・受付 麻尾 美紀子 
ロップイヤーラビツトとは耳がたれている純血種のウサギで、アメリカンファジー、ホーランド、イングリッシュなどの種類があります。日本で一般的によく見る耳の立ったウサギ゜と違い、ロップイヤーラビットは顔が子犬のように丸く愛嬌があり、性格もおとなしくよく人になつきます。近年ペットとして大変人気があります。
 

フットワーク抜群・サッカー大好き

ボクの名前は“レオ”。
平成14年1月生まれのウェルシュ・コーギー・ペンブローグです。生後2ヵ月の頃、末っ子メグの目にとまり家族の一員になりました。写真はその頃のものです。レオという名前は、当時メグが好きだった映画俳優レオナルド・ディカプリオからとったそうです。

 ボクの特技はサッカーのディフェンスとキーパーです。散歩の帰り道、サッカーボールならぬ石をけってもらって、口で見事キャッチします。ちょっと変な癖は、寂しいときについつい右足を吸ってしまうことです。まだまだ大人になりきれないボクなのです。我が家にはボクよりずっと前に来た“ミー”という猫がいます。もう16歳になるとっても用心深いおばあちゃん猫で、ボクがまだ小さかった時に鼻にとても痛い猫パンチをされてしまいました。それ以来トラウマになって、今でもミーおばあちゃんがちょっと苦手です。
看護師・重本 幸恵


コーギーとは「小さい犬」という意味で、放牧された牛のかかとをかんで誘導していた伝統的な牛追い犬。短い足からは想像もつ かないフットワークが特徴。英国王室に愛され、エリザベス女王が飼育していることで有名です。コーギーには尻尾のないペンブローブと、尻尾のあるカーディガンの2種類があり ます。