狂言・古芽田流 『附子』
主(間出雨糟。軍用裃、眼鏡、帽子、扇)「これはこの邊りの者でござる。召使ふ者を呼び出だいて、申しつくる事がござる。句流津軍曹居るかやい。」
シテ(句流津。戦闘裃、猟銃、扇)「はあ。」
主「宗介軍曹をも呼べ。」
シ「畏まつてござる。宗介軍曹召す。」
宗介冠者(戦闘裃、小刀、拳銃、扇。懐に爆薬。)「心得た。」
二人「兩人ともにお前に。」
主「汝らを呼び出だすは別の事でも無い。某はさる方へ覗きいやもとい遊山に行く程に、兩人ともによう留守をせい。」
二人「畏まつてござる。」
主「それについて汝らに預くる物がある程にそれに待て。」
二人「はあ。」
主(腰桶を持ち出る)「やい/\。これを汝らに預くる程によう番をせい。」
シテ「してあれは何でござる。」
主「あれは附子(ぶす。とりかぶと)ぢやよ。」
シテ「それならば我らも。」
宗「お供に伺候致しませう。」
主「汝らは何と聞いたぞ。」
シテ「あれが留守ぢやと仰せられまするによつて兩人に一人お供に参らうとの申し事でござる。」
主「それは汝らが聴きやうが惡い。あれは附子と言うて人の身に大毒の物で、あの方から吹く風に當つてさえたちまち滅却する程に、必らず側へ寄らぬやうにしてよう番をせい。」
シテ「してその大毒の物を何とてこなたにはもて扱ひをなされまするぞ。」
主「不審尤もぢや。あれは主(ぬし)を思ふ物で、その主が取り扱へば何事も無し、餘人が取り扱へばそのまま滅却する程に、必らず側へ寄らぬやうにして番をせい。」
シテ「その儀ならば」
二人「畏まつてござる。」
主「やがて戻らうぞ。」
二人「やがてお歸りなされませい」(兩人主を見送る)
シテ「いやなう/\。今日は頼うだ人のお留守ぢやによつて、ゆるりとゐて話さうぞ。」
宗「何がさてゆるりとゐて話さうとも。」
シテ「まづ下におりやれ。」
宗「心得た。」
シテ「いやなう。何と思はしますぞ。いづ方へお出でなさるるとあつても、兩人に一人お供に召連れられぬといふ事は無いが、今日は兩人ともにお留守に置かせらるるは、あの附子はよく/\大切な物と見えておりやる。」
宗「わごりよの言ふ通り、兩人にお留守に仰せつけらるるは、よく/\大事の物と見えておりやる。」
シテ「そりや/\/\。」(と、飛びのく)
宗「これは何事でおりやる。」
シテ「あの方から暖かな風が吹いて來たによつて、すは滅却する事かと思うて驚いたよ。」
宗「今のは風では無かつた。」
シテ「それなればようおりやる。さて某はあの附子をちと見て置かうと思ふ。」
宗「さてわごりよはむさとした事をおしやる。頼うだ人の仰せらるるは、その主が取り扱えば何事も無し、餘人が取り扱へばたちまち滅却すると仰せられたによつて、これは要らぬものでおりやる。」
シテ「そなたのおしやるは尤もなれども、さりながら自然どなたぞ、そちがところには附子と言ふ物があると開いたがいかやうな物ぢや、と仰せられた時、いや何とござるをも存ぜぬと申してはいかがぢや程に、ちよつと見て置かうと思ふ。
宗「其は此処に斯くの如きものがあるを耐えられぬ。さすれば直ちにかの桶おば滅却せむ。ささ、退きやれ/\。」
シテ「何をかいわむ、さりとて見たいものは我慢出来ぬわい。風に當らねやうにこなたから煽ぎながら見ればよいではないか。」
宗「煽ぎながらか。」
シテ「なか/\。」
宗「これは一段とようおりやらう。」
シテ「それならば某が煽がう程に、わごりよ紐を解かしませ。」
宗「否否、やはり爆滅せむ。」
シテ「待て/\、待て/\。」
宗「待たぬ/\、待たぬ/\。」
シテ「待て/\、待て/\。梵太君の人型をばわごりよに差しださむ故に。」
宗「ぬ、梵太君とな。」
シテ「梵太君なり。ささ、どうするどうする?」
宗「む。されば其が行かむ。わごりよよく煽ぎませ。」
シテ「心得た。」
宗「煽げ煽げ。」(さし足で行く)
シテ「煽ぐぞ/\。」
宗「煽げ/\。」
シテ「煽ぐぞ/\。」
宗「解くぞ/\。」
シテ「解け/\。」
宗「解くぞ/\。」(紐を解く)
シテ「解け/\。」
宗「さあ解いたは。」(と言ひながら元の場所に戻る)
シテ「出かさしました。ついでに蓋(ふた)も取らしませ。」
宗「某が紐を解いた程に、わごりよ蓋を取らしませ。」
シテ「それならば身共が蓋を取らう程に、随分煽がしませ。」
宗「心得た。」
シテ「煽げ/\。」
宗「煽ぐぞ/\。」
シテ「煽げ/\。」
宗「煽ぐぞ/\。」
シテ「取るぞ/\。」
宗「取れ/\。」
テ「取るぞ/\。」
宗「取れ/\。」
シテ「さあ取つたは。」(蓋を取り、逃げ戻る)
宗「出かさしました。」
シ「まづは生類(しやうるい)では無いと見えた。」
宗「それはなぜに。」
シテ「生類ならばそのまま飛んでも出さうなものぢやが、まづは生類では無いと見えた。」
宗「その通りでおりやる。」
シテ「これからとつくりと見ようではないか。」
宗「ようおりやらう。」
シテ「随分煽がしませ。」
宗「ぬかる事ではない。」
シテ「煽げ/\。」
宗「煽ぐぞ/\。」
シテ「煽げ/\。」
宗「煽ぐぞ/\。」
二人「煽げ/\/\。」
シテ「さあ見たは/\。」
宗「何と見さしました。」
シテ「某は黒うもつさりと見ておりやる。」
宗「身共は茶色にもつさりと見ておりやる」
シテ「さて某はあの附子をちと蹴りたうなつた。」
宗「はてさてわごりよはむさとした事をおしやる。風に當つてさへ滅却すると仰せられた物を、何と聊爾に蹴らるるものでおりやる。」
シテ「いや/\某は附子に領じられたやら、しきりに蹴りたうなつた。いて蹴るぞ。」
宗「これ/\まづ待たしませ。頼うだ人のお留守に凶事があつては某一人の迷惑ぢや程に、これは要らぬものでおりやる。」
シテ「いやいや苦しうない。放さしませ。」
宗「某のこれにゐる中はやる事はならね。要らぬものでおりやる。」
シテ「いや苦しうない。放さしませ。」
宗「はてさて要らぬものでおりやる。」
シテ「放きしませと言へば。」
宗「要らぬものでおりやる。」(と袂を持つ)
シテ「名残の紬をふり切つて附子の側にぞ寄りける。」(袖を振り放し、腰桶の側へ行く)
「これはいかな事。たつた今に滅却致すでござらう。さても/\苦苦しい事でござる。」
シテ(扇を逆さに持ち、附子を取り出して蹴り、舌打ちして左の手で頭を打つて坐る)「さあたまらぬは/\」
宗「やい/\何としたぞ/\。」
シテ「氣づかひさしますな。楽しうてたまらぬ。」
宗「何ぢや楽しうてたまらぬ。」
シテ「なか/\。」
宗「して何でおりやる。」
シテ「鬘でおりやる。」
宗「何ぢや鬘ぢや。」
シテ「なか/\。」
宗「どれどれ某も蹴つて見よう」
シテ「わごりよも蹴つて見さしませ。」
宗(シテの通り蹴ってみる)「まことこれは鬘でおりやる。頼うだ人にだまされておりやる。」
シテ「いやなう/\。そなた一人蹴らずともこちへおこさしませ。こちへおこさしませ。(鬘を脇座の方に持つて行き蹴る)」
宗「いやなう/\。そなた一人蹴らずともこちへおこさしませ。」(と言ひながら橋掛かりへ持つて行き蹴る)「さても/\楽しい事ぢや。手も灘さるる事では無い。」
シテ「これはいかな事。又どちへやら持つていた。(と言ひながら次郎冠者の側へ行く)いやなう/\。そなた一人蹴らずともこちへおこさしませ。」(舞台の眞中へ持つて行く)
宗「又どちへやら持つていた。(とシテの側へ行き)いやなう/\。わごりよ一人蹴らずともこちへおこさしませ。」
シテ「これはいかな事。又どちへやら持つていた。いやなう/\。そなた一人蹴らずともこちへおこさしませ。」
宗「こちへおこさしませ。」
シテ「こちへおこさしませ。」
二人「こちへおこさしませ/\/\。」(兩人競ひ合ひ鬘を見て)
シテ「ほう。よい事をさしました。屑になつておりやる。」
宗「まこと屑になつておりやる。」
シテ「頼うだ人のお歸りなされたならば、眞直ぐに申しげう。」
宗「わごりよが蹴り初めて置いて、某の眞直ぐに申し上ぐる。」
シテ「これは戯れ事(ざれごと)でおりやる。さて何としたものであらうぞ。」
宗「何としたならばよからうぞ」
シテ「まづ下におりやれ。」
宗「心得た。」
シテ「さてなう。頼うだ人のお歸りなされたならば、何と申し上げたものでおりやらうぞ。」
宗「されば何と申し上げたならばようおりやらうぞ。わごりよ分別をして見さしませ。」
シテ「いやなう/\。よい事を思ひ出いた。あの樽ごと鬘を爆滅さしませ。」
宗「はてさてわごりよはむかつな事を言ふ人ぢや。あの鬘を蹴るさへあるに、何と爆滅さるるものぢや。」
シチ「いや/\言譯の種になる程に平に爆滅さしませ。」
宗「何ぢや言譯の種になる。」
シテ「なか/\。」
宗「それならば爆滅せいで何とするものぢや。どむ/\/\。」
シテ「ほう、よい事をさしました。頼うだ人のお歸りなされたならばそのまま申し上ぐるぞ。」
宗「わごりよが爆滅せよと言うて四散させて置いて、某の眞直ぐに申し上ぐる。」
シテ「これも戯れ事でおりやる。」
宗「それなればようおりやる。」
シテ「さてあの鬘をも爆滅しらしませ」
宗「いやなう。わごりよは氣でも違(たが)ひはせぬか。既に鬘を爆滅するさへあるに、何とあの鬘が爆滅せらるるものか。」
シテ「いや/\。これも言譯の種になる。某も手傳ふ程に爆滅さしませ。」
宗「それならば爆滅させいで何とするものぢや。」
シテ「まづは爆滅せむ。」
宗「ようおりやらう。」
シテ「ずどむばむ。」
宗「ばむずどむ」(二人笑う)
シテ「微塵になつておりやる。」
宗「その通りでおりやる。」
シテ「あれらをも爆滅せむ。」
宗「ようおりやらう」
二人「ずどむ/\。ずどむ/\/\。ずどむ。」(笑)
シテ「微塵になつておりやる。」
宗「その通りでおりやる。」
シテ「頼うだ人のお歸りなされたならば、呵々と笑つてゐよう。」
宗「泣くとて済むとも思えず、笑はば尚更。」
シテ「なか/\。済む事ぢや。やう/\お歸りなされう程にこれへ寄つておりやれ。」
宗「心得た。」
主「ゆるりと覗きを致いてござる。急いで宿へ罷り歸らうと存ずる。兩人の者どもが待ちかねて居るでござらう。やい/\句流津冠者宗介冠者。戻つたぞ戻つたぞ。」
シテ「お歸りなされた。笑へ/\。」
宗「心得た。」(二人笑う)
主(舞臺へ入り、兩人の笑つてゐる體を見て)「これはいかな事。某の歸つたと言ふ事を聞いたならば、そのまま飛んでも出さうなものぢやが、呵々と笑ふは何事ぢやぞ。」
シテ「そなた申し上げさしませ。」
宗「わごりよ申し上げさしませ。」
主「どちらからなりとも早う言はぬか。」
シテ「それならば私の申し上げませう。お留守になつてござれば彼の附子の気になりまして、如何にも危なきものなれば、最早爆滅すべしと宗介冠者との話に相成りまして、さすればと爆滅いたしましたら中にありしは鬘の如きもの。それをあの如くになあ」
宗「なか/\」
二人「爆滅しましてござる。」(笑う)
主「これはいかな事。某の祕藏の鬘をあの如くに引き裂いて、ただ置く事では無いぞ。まだあらば早う言へ。」
シテ「さすれば附子とか斯くの如きものと合点して、置いてありましたる附子をば。」
宗「なか/\。」
二人「爆滅させましてござる。」(笑)
主「さても/\憎い奴ぢや。鬘をもあの如くに四散させ、ただ置く事では無い。まだあらば早う言へ。」
シテ「この上は全ての附子を置かせられまいと存じて、隠されましたる附子を全て始末せむと思うてなあ。」
宗「なか/\。」
シテ「一つ始末せどもまだまだ終はらず。」
宗「二つ始末せどもまだ終はらず。」
シテ「三つ四つ。」
宗「五つ。」
二人「十つ餘り爆滅せさせましたるに、全て終わりたる目出たさよ。あら目出たや目出たや。」
主(肩を脱ぎ、扇子で打つ)「なんのおのれ、目出たきや。」
二人(逃げ入る)「眞平許いて下されい。」
主(追い入る)「あの横着者。人たらし。どちへ行くぞ。捕へてくれい。やるまいぞ/\。」
(主に立ちふさがるやうに、女神が現れる。)
主「ややや。」(冷や汗を垂らしつつ、飛び退く。)
女神「さても憎いことに御座います、我が湯浴みを覗かむとしたばかりか、想ひ人を嬲らんとするとは。」
主「それは貴女様の聞きやうが悪う御座います。」(両手を突き出し、後ずさる。)
女神「言訳は無用に御座います。滅却すべし。」
(句流津が摩訶不思議な力で飛んできて、間出雨糟にぶつかり、爆発。)
女神「宗介殿、これで邪魔は入りませぬ。」
(につこりと笑ふ女神。宗介を引きづつて行く。)
宗介「ぬぅ。」
(脂汗をだらだらと流す。)
<幕>
つい先日、華音流宗家の快諾を得、狂言台本を紹介させて頂いたことは記憶に新しいことであると思う。そして今回は更に、古芽田流宗家の快諾を得、狂言台本の紹介をさせて頂く運びとなったことは、まことに嬉しい限りである。
さて、お気づきのこととは思うが、同じ狂言であっても、華音流と古芽田流ではがらりと変わった雰囲気になる。
その最たる例が附子なのだが、特に附子のその実態は全く異なる。
華音流では謎ぢやむ(敢えてこう記す)であった附子が、古芽田流ではカツラとなる。
また、華音流では『本当に危ないからしまっておいたもの』なのだが、古芽田流では『主の本当に大切なもの』となっている。
その他挙げていっては切りが無いのだが、しかし最後に『女神』が出てきて幕、という部分が共通しているのは非情に興味深い。
今後も機会のある限り、華音流と古芽田流の狂言台本を紹介していきたいと思っているので、楽しみにして頂けると嬉しい。