青嵐〜文月〜
好きな相手に追いかけられる。
これはまぁ、嬉しいことなんだろう。
でも、文字通り追いかけられるのははたして嬉しいことだろうか?
あまり嬉しいことではないかも知れない。
いや、全く嬉しくないわけではないが。
とにかく、僕は今ひたすら走っている。
え?なんで走ってるのかって?
・・・・・・見りゃ解るだろ!追いかけられてんだよ!
「貴哉ぁっ!またあんたはあっ!」
「待て初夏、今回はお前が悪いと思うぞ!」
「問答無用っ!」
水口鷹介は都筑雪緒と弁当を食べながら、いつもの様に騒動を繰り広げる真藤貴哉と桐原初夏をぼんやりと眺めていた。
「つくづく仲がいいね〜」
「そうね〜」
呟いたのが聞こえたのかは解らないが、貴哉と初夏が凄い勢いでやって来た。
「よ、鷹介、雪緒!この凶暴女を止めてくれ!」
「何言ってんのよ!あんたが悪いんでしょうが!」
「よし、じゃぁどっちが悪いか鷹介と雪緒に判断してもらおう!」
「上等じゃない!」
「ちょっと待ってよ!なんであたし達が!鷹介も何か言ってよ!」
雪緒はあまり乗り気ではない様子である。
それもそうだろう。こういう訳の解らない厄介事に誰が好きこのんで首を突っ込むというのだろうか?
しかし、どこにも酔狂な人間は居るものである。
「ん?俺は別に構わないぞ」
鷹介はあっさりと了解。
「鷹介・・・はぁ。仕方ないわね」
引きずり込まれるような気持ちで雪緒も了解した。
そして貴哉と初夏は一呼吸。
「「さぁ!どっちが悪い?」」
鷹介は少し困ったような顔をした後、厳かに告げた。
「解るかどアホ!」
「ぬ、アホとは失礼な!」
「そーよ失礼よ!」
「喧嘩の原因も聞いとらんのに判断できるわけないだろうが」
「「あ」」
二人、ぽんと手を打って。
「をう、忘れてた」
「忘れてたね〜」
声を合わせてあははーと笑う。そんな二人に、鷹介は苦笑するしかなかった。
「やっぱお前ら仲いいわ」
「で、喧嘩の原因は?」
ようやく本題に入れた様である。
「あ、聞いてよ鷹介!貴哉ねぇ、あたしが作ったお弁当を勝手に食べた上に不味いって言うんだよ!」
「・・・確かに『この青椒肉糸無茶苦茶不味いぞ』とは言ったぞ。しかし弁当が不味いとは言ってない」
「あ、非道い!誤魔化す気?」
「お前なぁ!」
「何よ!」
このままだと本当に埒が明かなくなりそうなので、鷹介はとりあえず二人を押し止めた。
「はいはいはいはい、喧嘩しない喧嘩しない」
一息つき、二人の方を向き直ってその原因を確かめるのを決心。
「・・・・・・で、その弁当は?」
貴哉はぴっ、と一方向を指さし、
「初夏の席」
鷹介は立ち上がり、弁当を持ってきて・・・
件のものを食べてみた。
とたんに、頭を抱えた鷹介。どうやら泣いているらしい。そんな鷹介に雪緒は心配そうに声を掛けた。
「どうしたの?」
「雪緒、黙ってこれを喰って見ろ」
よく解らない顔で雪緒はそれを食べて・・・凄い勢いで咳き込んだ。
「よ、鷹介・・・お茶・・・!」
「ほい」
奪い取るようにお茶を飲み尽くす雪緒を横目に、鷹介はにっこりと笑いながら問いかけた。
「初夏さ〜ん、これ、味見しましたか〜?」
「・・・てへ」
ぴし、と貴哉と鷹介のこめかみに怒マークが浮かんだ。
そして雪緒は突っ伏してぐったりとしている。
「『てへ』じゃないだろうが『てへ』じゃ!なんで青椒肉糸に酢が思い切り効いてるんだ?」
と貴哉。
「全く、反省の色が見えないのが何とも言えないよなぁ」
と鷹介。雪緒は突っ伏したまま、
「これ、犯罪だよ・・・」
「う、みんながいぢめるよう」
うるうると涙を溢れさせる初夏。
でもな、と貴哉。
「でも味見さえすりゃ美味いの作れるんだからさ」
その言葉にとたんに赤くなる初夏。
「な、今度から味見頼む」
「うん・・・ってなんであたしが貴哉の弁当作らないといけないの?」
「作ってくれないのか?」
貴哉が問えば、
「作るけど」
初夏が答える。
「有り難う」
「どういたしまして」
何やら呑気な世界を作り出している。
「さっきのちょっといい雰囲気はどこに行ったの?」
と雪緒。そんな雪緒を横目で見つつ、鷹介はただ一言。
「お前ら、変だ・・・」
放課後。
初夏はにこにこしながら貴哉の席に近付いてきた。
開口一番、
「で、分かってるよね?」
貴哉は何やら解らない様子で初夏に返答。
「何が?」
「一緒に帰るの」
「誰が?」
「あたしが」
「誰と?」
「貴哉と」
「いつ?」
「今日」
「なんで?」
「貴哉のこと好きだから」
「ありがとう。じゃぁ帰るか」
「誰が?」
「俺が」
「誰と?」
「初夏と」
「何で?」
「初夏のことが好きだから」
「そうなの?」
「そう」
「ありがと」
「どういたしまして」
そんな貴哉と初夏のやりとりを見て、
「・・・やっぱりお前ら変だ・・・」
「変だよね」
「変だ」
「変だね」
「変だな」
「変としか言いようがないわね」
皆の意見は『貴哉と初夏は二人とも変である』という方向に収束した。
「くっ!反論出来ねぇ!」
「うう、みんなが酷い・・・」
貴哉と初夏は悔しがりながらも、彼らに向かって声を合わせて、
「「そう言うみんなも相当変だと思う」」
彼らはその言葉に肯かざるを得なかった。
「で、だ」
「何?」
「何で俺はここにいるのだろうか?」
気付けばそこは四季彩館のテーブルだった。
「謎だ」
「謎って、貴哉が行こうって言ったんじゃないの」
「そうか?」
「そうよ」
「本当か?」
「嘘」
「コラ!っていいけどな」
そんな二人のやりとりを、笑いをかみ殺しながら北斗は紅茶を淹れていた。
穏やかな時間。
猫が欠伸をしている。
マスターは猫と遊んでいる。
足下で丸くなって寝ている猫。
それらを見ながら、初夏が微笑んでいる。
貴哉は今更ながら自覚。
(ああ、やっぱり初夏のこと好きなんだなぁ)
その言葉を冗談でしか言っていない事実に気付き、驚く。
「なんだかなぁ・・・」
「ん、何?どうしたの?」
訊く初夏は気付いているのだろうか、と自問自答。
何でもない、と答えながらやはり言わなきゃだな、と貴哉は心を固めていた。
「『言わなきゃ伝わらない』、か。確かにな・・・」
「・・・真面目な顔して。何か悩み?」
心配そうな顔で初夏。
「あたしで良ければ相談に乗るよ」
そんな初夏に、
「さんきゅ」
とだけ貴哉は答えた。
「これは・・・俺が何とかしなきゃいけない問題だから」
「そう・・・」
初夏は何だか哀しそうな顔をしている。
(心配、かけてるな・・・。でも)
声には出さない。
(これだけはお前に相談するわけにはいかないんだ)
声に出さないまま、
(それに・・・今日、言うって決めたから)
悩みを終わらせた。
「心配は要らないよ。あ、今日は奢るから・・・先、行っててくれ」
伝票を掴む。
「え・・・でも、あたしが誘ったんだし・・・」
少しばかり戸惑っている初夏に、貴哉は笑いかけた。
「・・・たまにはいいだろ?それにちょっとは格好付けさせろって」
その顔に先ほどまでの悩みの色はない。
「・・・ありがとっ!」
だからだろうか。
初夏は素直に店を出ていった。
それを確認して貴哉は切り出した。
「北斗さん」
「ん?何か?」
北斗は貴哉が差し出した2人分の紅茶代を受け取りながら、顔を上げた。
「俺、今日あいつに言います」
「?」
「言葉にしなきゃいけないことがあるんです」
「そっか」
北斗は深く問わない。
ただ、微笑っているだけ。
「俺、決心が付きました」
今更って気もしますけどね、と貴哉は苦笑。
「でも、ちゃんと伝えたいんですよ」
楽しそうに笑いながら、覚悟を秘めた眼で。
「初夏に、好きだって、ね」
貴哉は笑ってサムアップ。
応えて北斗もサムアップ。
「にゃぁ」
応援するかの如き猫たちに見送られ、貴哉は店から出ていった。
自分を待つ、初夏のもとへ。
四季彩館から出たら、時刻は7時。
そしてそこは紫色の世界。
微かに甘い痛みが漂う時間帯。
「あ・・・そろそろ、帰るね」
時計を見た後、微かに期待を込めた声で、初夏。
「・・・送る」
彼女に応えて、貴哉。いつもの表情の底に、決意を隠して。
「ありがと」
二人は妙に静かに歩いている。
いつもなら馬鹿な話をしているのに、今日は黙り込んでしまっている。
(む、頃合いか?)
貴哉が息を吸い込んだ瞬間、初夏が立ち止まった。
「貴哉。ちょっと、寄って行こうよ」
初夏が立ち止まったのは公園の入り口。
緑の木々が二人を招いていた。
風が吹き渡る公園を、歩く。
歩調を初夏に合わせて、ゆっくりと。
(・・・今度こそ!)
気合いを入れた貴哉に、初夏の声が届いた。
「貴哉・・・」
真面目な声。
「あの、ね。貴哉。いつも冗談みたいに言ってたけど、さ」
初夏が真面目な顔で呟いた。
「あたし、本当に貴哉のこと・・・」
「待て!その先は言うな!」
貴哉の剣幕に初夏は愕然とした。
『拒絶された』
初夏は貴哉の言葉をそう受け取った。
その衝撃に、初夏の視界は暗くなっていった。
何も見えない。
何も聞こえない。
ただ、鼓動の音だけが聞こえる。
「最後まで言わせてくれない、か。当然だよね・・・」
じっとりとした、いやな汗が滲んだ。
それほどまでにショックだったから。
しかし、貴哉は初夏の目を見つめて、言った。
「勘違いするな。様にならないからだよ」
そして初夏の両肩を掴んで、
「好きだ」
と、ただ一言。
飾り気のない、シンプルな言葉。
だから、余計に心に響いた。
「それって・・・」
「要するに、だ。新藤貴哉は桐原初夏のことが好きだって事だ」
「嘘・・・」
「嘘や冗談でこんな事言うほど腐っちゃいない。それとも初夏は俺じゃぁだめか?」
「嫌だ・・・」
微かに、聞こえた。
初夏の言葉。
「貴哉じゃないと、嫌だ・・・」
涙が、流れた。
「嫌だ・・・嫌だよ・・・」
やがて嗚咽に変わる、初夏の声。
風が強く吹いた。
緑の木立を駆け抜けて、強く、強く。
その風に背中を押されたように、貴哉は初夏を抱きしめた。
「ああもう、泣くな」
自分の胸に初夏を抱き寄せて、貴哉。
「そんなこと言われても、無理だよ」
ぐすぐすと初夏が言えば、
「じゃぁ泣きやむまでこのままだな」
呆れたように、でも優しい声で貴哉が答える。
「・・・泣き続けてよっかな」
「どうせなら笑っててくれた方が嬉しい」
「でも、今は・・・泣かせてよ。うれし涙なんだから」
貴哉の胸に顔を押し当てて、初夏が呟く。
「・・・明日からは笑っててくれな」
初夏の髪を撫でながら、貴哉。
そんな2人を慈しむように、空には銀色の月が光っていた。
変わらない。
何も変わってない、様に見える。
でも、僕は今日も走っている。
え?なんで走ってるのかって?
・・・・・・解ってんだろ!待たせてんだよ!
だから、本気で走っている。
走っていると見えてくる。
公園の時計台。
その下で時計を気にしている君。
走りながら声をかける。
「初夏、悪い!」
「貴哉、遅いよ!」
「悪いな。四季彩館で奢るから、勘弁してくれ」
言いながら手を差し出す。
初夏は差し出された手を握ってくる。
僕たちの夏は、これから。
君との恋も、これから。
「たくさん、いい想い出作ろうね!」
「当たり前だろ!」
僕は君の手を強く握り返す。
君を見失わないように。
君を手放さないように。
そんな僕に君は微笑いかけ、ただ一言。
「貴哉・・・大好き、だよ!」
風。
夏の薫りを孕んだ、緑色の風が吹いていた。
次回予告
蒼く、碧く。
視界を染める夏。
僕は君へと手を差し伸べて。
君は僕へとその指を伸ばす。
触れ合った手は絡み合い、強く求め合う。
四季彩記・葉月『細波』
「側にいるよ」――それが僕たちの約束。
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