花筺〜霜月〜





 紅葉が、散った。
 風に乗り。
 水面に浮かび。
 流れていく。
 毎年繰り返される光景。
 変わらず、繰り返される光景。
 変わらない。
 変わらない。
 ずっと、変わらない光景。
 僕は何の感慨もなくそれを視界の外に追いやった。





 白戸早霧はとある一軒家の前にいた。
 チャイムを押す――
「あ、早霧ちゃん。どうしたの?」
 目当ての人――高野智文の母親が出てきた。
「あの、智ちゃんは・・・?」
 聞いてみれば、
「・・・あの馬鹿、十中八九寝てるわね」
 あっけらかんと笑う。
 こんなとこは親子だな。
 智文が聞いたら嫌な顔をするだろう事を考えながら、お邪魔しますと家に上がる。
「約束なんでしょ?濡らしたハンカチでも顔にかけてやって。そーすりゃ絶対起きるから」 あははと笑う智文の母親に苦笑いしながら、言われた通りにハンカチを濡らす早霧。こちらもなかなかいい性格をしている。
 廊下を濡らさない様に気を付けながら、智文の部屋の前に立ち、まずはノック。
 ――反応がない。
 もう一度ノック。
 やはり反応がない。
 合鍵を取り出し、鍵を開け――入る。
 そしてベッドで気持ちよさそうに眠っている智文を見て溜息ひとつ。
 ハンカチを顔に掛けてみる。
「・・・」
 鼻と口の辺りが動いている。
「・・・・・・」
 だんだん息が苦しくなってきたらしい。動きが激しくなってきて。
「・・・・・・・・・・・・!」
 智文、覚醒。
「お・・・お花畑が見えた・・・」
 生きているってすばらしいと深呼吸。
 歓喜に満ちた表情をしている。
 そんな智文に早霧は首を傾げて訊いてきた。
「綺麗だった?」
「ああ、とってもな」
「良かったね」
「良くねぇよっ!」
 べし、と濡れたハンカチを床に叩き付ける。
「あ。あたしのハンカチが」
 哀しそうな顔でハンカチを拾う早霧に、智文は半眼で問い質した。
「何故だ何故こんな事をするんだお前はっ!」
 早霧はにっこり笑ってカレンダーを指さしつつ、
「・・・映画。一緒に行く約束だよ」
 よく見ればカレンダーには、
『早霧と映画』
 と書いてある。
「約束の時間は10時。さて今は何時?」
 智文は時計を見てぽんと手を叩き、
「10時ちょうど。間に合ったな」
 早霧は智文の頭を思い切り叩いた。


「・・・・・・」
 うーん、と悩みを隠せない表情で、智文は映画館から出てきた。
「何?どうしたの?何か問題あった?」
 早霧はきょとんとしている。
「いや、いいんだ。この映画見たかったしな。でも・・・」
 パンフレットを見ながら、苦悩たっぷりに訊いてみる。
「何で香港カンフーアクション映画なんだ?しかもリバイバル」
「だって見たかったんだもの」
 あっさりとした早霧の解答に、智文は軽い疲労を感じた。
「よく解る解答ありがとう」
 でもな、と前置き。
「心配になるぞ。早霧さ、好きな男と映画行くときはこの手のは止めとけよ」
 しかし早霧はにこにこ笑い、こう言った。
「あ、それは大丈夫だよ。他の人とは映画に行かないから」
 智文は自分の疲労がピークに達したと実感。
「・・・・・・帰るか。何か疲れた」
 その言葉に早霧は反応。
「ええ?帰るの?」
 哀しそうな顔になる。
「そのつもりだけど・・・」
 しかし。
「・・・・・・」
 涙混じりの眼で無言で見上げる早霧に敗北。
「・・・四季彩館でも行くか?」
 溜息混じりにこう言えば、 
「賛成!」
 早霧はわーいと嬉しそうな顔になった。
「全く・・・」
 弱いんだよな、この顔に。
 声に出さずに呟かれたその言葉は、早霧の耳に届くことは無かった。


「こんちわー」
「お邪魔ー」
 店内に入ってみれば盛況。
 カウンター席が4つ空いているくらいだった。
 そんな中、ウェイトレスの声が響く。
「北斗さん、ロイヤルミルクティー・アールグレイまだですか?」
「ほい、出来上がったよー」
 北斗がはいよ、とカップを出せば、
「ありがとうございます」
 ウェイトレスは美味しそうに飲んだ。
 一瞬理解しかねたのか、北斗は沈黙。
「待て。何故に君が飲む?」
 半眼で問う。答えは至極単純明快。
「あたしが飲みたかったから」
 答えながら紅茶を一口。
「ん、美味しい」
 にっこりと笑う。
 しかし騙されないぞと言わんばかりに、北斗は紅茶を奪取した。
「没収」
「あっ!酷い!横暴!」
 とたんにむー、と膨れる。
 その表情に、北斗は苦笑。
「・・・バイト代から引いとくから」
 返してと延ばされたその手にカップを戻す。
「あ・・・あんまりだ!」
 文句ありそうに、しかし楽しそうにウェイトレス。
 もうそろそろ良いと判断したのだろう。
「・・・おーい、北斗さーん。奏と遊んでないであたし達も構ってよー」
 と、早霧が呼べば。 
「あ、いらっしゃい。カウンター空いてるから」
 慌てて北斗が振り返る。
 ウェイトレス――奏は紅茶を飲んでいる。
 北斗は溜息を尽きつつ、水を出した。
 智文はそれを見ながら床を見回し、ぼそっと一言。
「相変わらず猫だらけだな」
「でも、可愛いよ〜」
 おいでおいで、と早霧が手招きすれば、
「なー」
 と猫が応える様に鳴く。
「ま、否定はしない」
 智文も爪先で猫をからかっている。
 猫と遊びながらも店内を見回す。
「・・・そして見事に知り合いだらけだ」
 先のウェイトレス、奏を筆頭に担任が居るし同級生が居るし後輩が居るし先輩も居る。
「あ、高野さんだ。こんちわー」
 とか
「高野。今日も白戸と一緒だね」
 とか
「高野。レポート、出来てるよな?」
 という心を生暖かくする言葉が投げかけられる。
「は・・・はははは・・・」
 乾いた笑いを漏らしつつ、一瞬腰が引けた智文。
 しかし早霧は一足先にカウンター席に座り、
「北斗さん、あたしアップルティー」
 などと注文している。
 智文が凍ったように立ちつくしているのを認めた早霧は大声で――
「智ちゃん智ちゃん、こっちこっち!」
 呼びながら手招き。
 智文は瞬時に思考を再開、慌てて駆け寄った。
「智ちゃん言うなっ!」
 赤くなって照れている智文に、早霧は少しばかりふくれて見せた。
「だって智ちゃんは智ちゃんだもの。それに智ちゃんを智ちゃんと呼べなくなったら智ちゃんが智ちゃんで無くなる様な気がして。だってあたしにとっては智ちゃんはずっと智ちゃんだし、智ちゃんは智ちゃんでないと嫌なんだもの。だからあたしは智ちゃんのことは智ちゃんと呼びたいの」
 智文は大きな疲労を感じ、
「・・・・・・さいですか」
 がっくりとうなだれた。
 そして自分の注文をしようと頭を上げた智文が見たのは――
「北斗さん・・・」 
 2人に背を向け背中を振るわせている北斗だった。
「・・・何が可笑しいんですかっ!?」
「全部」
 北斗はくっくっと喉を鳴らしながら短く答え。
「・・・うわ、はっきり言っちゃったよこの人は」
 智文は半ば青ざめながら頭を抱え。
「だって可笑しいもの。仕方ないよ」
 早霧はさも可笑しそうにあははと笑った。
 そんな早霧に智文は溜息ひとつ。
「早霧。お前・・・自分も笑われてるって気付いてる?」
「あ・・・」
 気付き呆然とする。
「北斗さん酷いっ!」
 そして早霧は北斗に抗議。
 しかし――
 それが引き金になった。
「北斗さん、背中丸めてまで笑わなくても・・・」
「あまりと言えばあまりの仕打ちです・・・」
 情けない声を出す智文と早霧など知らぬげに。
 子猫が床からスツールへ。
 スツールからカウンターへよじ登り。
 もじもじする様に体制を整えた後。
 北斗の背中に飛び移って――
「にゃぁ」
 と誇らしげに鳴いた。


 それから一週間。
 いつもの様に朝、早霧が迎えに来て。
 いつもの様に昼、弁当を一緒に食べて。
 いつもの様に夕方一緒に帰り。
 そして時々四季彩館に寄って帰る。
 そんな日が続く筈だった。
 しかし。
 早霧は朝、迎えに来なくなった。
 早霧は昼、1人で食堂に行った。
 早霧は夕方1人で帰っていった。
 最初のうちは智文も、
「ま、たまにはいいか」
 と気楽だった。
 しかし。
 一週間、それが続き。
「・・・・・・」
 確実に不機嫌になっていった。
 そして土曜日。
 早霧を捕まえようとしたが、一足先に帰っていた。
「・・・・・・」
 智文は更に不機嫌になり。
 不機嫌なまま、帰途についた。
 今日こそ問いつめよう、と思いながら。
「ただいまー」
 不機嫌そうにただいまを言えば、
「お、帰ってきたね我が愚かな息子」
 と母親。
「コラ、開口一番にそれか破天荒な母親」
 などと凄んでみても、
「褒め言葉と受け取っておきましょう」
 母親は何処吹く風。
「はいはい・・・」
 どっと疲れた智文に、母親は何気なく問いかけた。
「んで、智文は行かないの?」
「何に?」
 そして。
「白戸さんとこの引っ越しの手伝い」
 智文の知らない情報を、与えた。
「・・・白戸って・・・早霧の家のことか?」
 まさかと思いつつ、訊く。
 しかし答は残酷。
「そうだけど。・・・智文は聞いてなかったの?」
 目の前が真っ暗になった。
 いつも空気の様に。
 水の様に、いて当たり前の存在になっていた。
 そんな早霧が居なくなる。
 その事実に。
 母親の声も耳に入らない。
「ちょっと出てくるわ・・・」
 何も考えられないまま家を出て。
 彷徨い。
 気付けば、四季彩館の前。
 そこには、店に鍵を掛けて、帰りかけている北斗が居た。
 北斗はすぐ智文に気付き、話しかけた。
「あ、どうした?」
「北斗さん、俺・・・」
 泣き出しそうな智文に、北斗は溜息一つ。
「・・・入りなよ。寒いでしょうに」
 言いながら、一回は掛けた鍵を開ける。
「すみません・・・」
 閉店したばかりの店内には、僅かな温もりが残っている。
 温もりの中、智文は事情を話し――
 思わず、弱音を吐いた。
「俺・・・どうしたらいいか分からなくなりました」
 ぽつり、と。
「俺って結局、その程度の存在だったのかな、って」
 呟き、俯けば。
「馬鹿か君は」
 北斗が智文の頭を叩いた。
「そんなに気になるなら訊けばいいだけのこと。違う?」
 智文を見据える。
「でも・・・」
 まだ迷っている智文に、北斗は厳しく――しかし、優しく語りかけた。
「それにさ。そんなに気になるって事は。そんなに辛いって事は――好きだってことじゃないのかな?」
 もし違ってたら謝るけど、と前置きして、続ける。
「もし当たってたら――言わなきゃ駄目だよ」
「・・・・・・」
 無言を肯定と受け取ったのか。
 北斗は言葉を続けていく。
「多分さ。君は安穏とした、ぬるま湯の世界にいたんだ」
 言い聞かせる様に。
「適度に暖かくて、心地よい世界。でもね」
 智文に。
「安穏としてたら、駄目だ」
 語り。
「好きな人を捕まえたいなら、安穏としてたら駄目なんだよ」
 そして。
「だから・・・」
 智文の背中を。
「行くんだ!」
 強く、叩いた。
「・・・はい!」
 駆け出した智文を見送りながら――
「安穏としてたら駄目だ、か。それは僕にも言えることなんだけどね・・・」
 北斗は苦笑した。


 店を飛び出し。
 マンションに入り。
 駆け上がる。
 5階まで、一気に。
 目指すのは503号室。
 早霧の家。
 チャイムを鳴らす。
 なかなかあかないドアがもどかしく、疎ましい。
 もう一度、チャイムを鳴らすと――
『あ、智ちゃん!』
 早霧がインターホンに出てきた。
『待ってて。すぐ開けるから』
 ドアが開く。
 と同時に、智文は詰問。
「早霧・・・引っ越し」
 するんだってな。
 とまでは言えなかった。
「智ちゃん!手伝いに来てくれたんだね!」
 早霧が智文の手を掴み、上下に思い切り降ったからだ。
「?」
 疑問符を浮かべる智文に、早霧は。
「忘れてるかと思った。だってあたしが引っ越しする、って言ったときも智ちゃん、上の空だったし」
 でもちゃんと聞いてくれてたんだね、と。
 嬉しそうに、笑った。
 その表情に、気付く。
「あ・・・」
 そうか、と呟く。
 いつも、そうだった。
 いつも一番に教えてくれていた。
 なのに――
 真面目に、聞いていなかった。
 苦笑。
 泣き笑いにも似た。
「智ちゃん?どうしたの?」
 智文は、早霧の問いかけに――
「いや、何でもない・・・」
 痛む心を抑え。
「手伝うよ」
 短く、告げた。


 早霧の部屋に入れば、そこら中に段ボールが散乱している。
「ごめんねー、散らかってて」
 照れ笑い。
「とりあえず、座って待ってて。お茶、淹れてくるから」
 北斗さんが淹れたには敵わないけど、と照れ笑いしながら
 部屋を見回す。
 昔は本だらけだった部屋。
 今は段ボールだらけの部屋。
「よく、一緒に本を読んだっけ」
 しかしそれも――後僅か。
 懐かしさと、甘い痛み。
 それらを感じながら智文は本棚に目を向けた。
 すると、気になる題の本が一冊。
「・・・懐かしいな」
 手を伸ばす。
 ずっと昔、子供の頃。
 智文が薦めた本。
 それが、早霧の本棚にあった。
「まだ持ってたんだな・・・」 
 何気なく手に取り、開いてみる。
 と。
 紅葉が、はらりと落ちた。
 一緒に写真が一枚。
 子供の頃の智文と早霧が手を繋いでいる。
 裏返して見れば、
『7さい ともちゃんと』
 と書いてある。
 色褪せないままの、紅葉の一片。
 広い、戻し、ページをめくる。
 あるいは笑って手を繋ぎあっている智文と早霧の写真。
 あるいは照れている智文と、嬉しそうなな早霧の写真。
 一緒に山に行ったときの写真と、その時拾った紅葉の一片。
 出会ったその年から続けてきた。
 まるで、儀式の様に。
 それを、無くしてしまうのだろうか。
 それを、失ってしまうのだろうか。
 今年の分から。
 溜息一つ。
 まだ捨てられていない紅葉の意味を考えてみる。
「参ったな・・・」
 早霧は変わってはいなかった。
 あの頃と変わらないまま、智文を待ち続けていた。
「でも・・・」
 呟く。
「俺も結局、変わってないのかな。だって、こんなに・・・」
 早霧のことが、好きなんだから。
「はは。やっぱり言わなきゃな」
 このまま終わるなんて。
 赦せないから。
 おし、と気合いを入れたところに。
「お待たせー」
 早霧が帰ってきた。
「・・・・・・」
 黙っている智文の様子に気付き。
「どうしたの?調子悪い?」
 問いかける。
 智文は、早霧を真っ直ぐに見つめながら。
「俺、さ」
 笑いかけた。
「早霧のこと、好きだよ」
 そんな突然の告白に、早霧は困惑。
「ど、どうしたのいきなり?」
 あたふたと慌てる早霧に、智文は強気で言葉を続けた。
「好きなものを好きだといって何が悪い?嫌なら撤回するが」
 わ、と驚きつつ手を振りつつ、早霧。
「嫌じゃないよ嫌じゃないよっ!嬉しいよとっても!」
 えへへーと幸せそうに笑う早霧に、智文は自分も笑顔になっているのを自覚した。
「そっか・・・両想いだったんだな。俺たちって」
「そだね」
 嬉しそうな早霧だったが。
「俺、逢いに行くから・・・」
 少し辛そうに、でも誇らしそうに話す智文の。
「早霧が転校しても、逢いに行くから」
 その言葉に目を点にした。
「・・・転校?誰が?」
「早霧が」
「何で?」
「引っ越しするんだろ」
「うん。智ちゃんの家の隣に」
「・・・はい?」
「あそこに引っ越すの」
 やっとお父さんもマイホーム持ちだよ、と笑う早霧に――
「は・・・ははは・・・」
 もはや智文は笑うしかなかった。
「で」
 とにこにこしながら早霧。
「?」
 困ったように智文。
 早霧はずい、と智文に近付き問いかけた。
「さっきの言葉、本当かな?」
 その問いかけの答えは沈黙。
「・・・・・・」
「あ、ずるい」
「・・・・・・」
 顔を向けた方に早霧が移動し、狡い狡いと見上げてくる。
「・・・・・・だよ」
 結局智文は根負け。
「ん?」
 早霧は聞こえなかったよと見上げてきて。
 そして。
 智文は、早霧の頬に手を添えて。
 眼を見つめて一言。
「・・・好きだよ」
 照れながら、やっと気付いた心を告げた。





 空を見上げる。
 秋の空。
 蒼い空を流れる白い雲。
 目を閉じ、感じてみる。
 吹いている。
 流れている。
 僕から君に。
 君から僕に。
 絶えず、流れている。
 強く。
 強く。
 強く。
 想いを乗せた風が。
 僕は君の温もりを感じ、ゆっくりと眼を開ける。
 すると。
 燃える様な赤と。
 暖かい黄色と。
 穏やかな緑の中。
 君は振り向いて――
 僕に、笑いかける。





 僕たちは白の中出会った。
 それ以来君は僕の側にいる。
 でも。
 僕には分からない。
 君の心が何処にあるのか・・・
 不安は消えない。消せない。
 次回四季彩記・師走『雪催』
 心から、素直になれたら――