たとえば白と紅の〜花蘇芳〜





 公園で空を見上げていた。
 視界に入るのは空の蒼と雲の白。
 ――ああ。
 ――春、だな。
 目を閉じれば尚更に解る。
 風が、暖かい。
 日差しの中なら尚のこと。
 薄目を開けて見やる。
 近く近くには薄紅の花水木。
 遠く遠くには黄色の連翹が。
 花盛り。
 なのになんで――
 なんでこんなに心だけが寒いのだろうか?
 それは多分――
 あなたの心が見えず。
 あなたが側にいないからなのだろう。





 田崎瑞樹は腹を立てていた。
 というのも、彼女の思い人である相羽辰也から聞かされるのは、とても真面目とは言えない言葉だけだったからだ。
 自分だけに言うならまだしも、他の女生徒にも
「愛してんで〜」
 だの、
「お前のそう言うところめっちゃ好きや〜」
 だの言っている。
 こんな状態で好きだといわれても嬉しくも何ともない。
 それどころか腹立たしい。
 今日も今日とて朝っぱらから抱きつかれて
「ぐっもーにんはに〜」
 とか言われてしまった。
 それだけならまだ赤くなるだけで済むが、あまつさえ先生にまで抱きついていた。
 それでついに瑞樹の忍耐袋(5割増)も弾けて飛んだわけで。
 あくまでも笑顔で、瑞樹は辰也に問いかけた。
「相羽・・・あなたね、どーやら本気であたしを怒らせたいみたいね?」
 しかるに辰也はさも心外そうな表情で、
「何を言いよんねん、俺はこんなにもお前のことが好きやというのに」
 その答に、
「はぁ・・・」
 と大きな溜息一つ。
 瑞樹は額に指を当て、少しばかり考えた後宣言した。
「ハリセン・・・装備っ!」
 言うや、控えていた村雨和人がははーとばかりにハリセンを差し出す。
 その大きさは、辰也の腕の長さほどもあろうか。
「な、なにしよんねん!」
 と辰也が抗議すれば、
「だって面白そうだもの」
 と和人は素っ気ない。
 救いを求めて周りを見るも、面白そうに遠巻きに見ているだけ。
「雅雪!助けんかい!」
 というその台詞にも、矢島雅雪は哀しそうに顔を振るだけ。
 その彼女の片瀬三冬に至っては、
「瑞樹〜いっちゃえ〜」
 と煽りまくっている。
「お、俺は孤独や・・・!」
 と呟いたその直後。
 瑞樹は間合いを瞬時に詰めて。
「こっちがハリセン地獄」
 まずは思い切り、地獄に堕ちろと言わんばかりに振り下ろしたら。
 すぱぁんっ!
 と豪快な音が響く。
「思い切り痛いやんかこらっ!」
 その声を無視。
「こっちはハリセン天国」
 振りぬいた体制から、天国に上がれと言うかの様に振り上げたら。
 すぱんっ!
 と、ちょっとだけ軽い音。
 しかし。
「それでも痛いやないかいっ!」
 その辰也の抗議に聞く耳持たず、瑞樹は宣告。
「どっちがいい?」
 にっこりと。
 それはそれはいい笑顔で。
「どっちも嫌や!何考えてんねん」
 イヤイヤをする辰也には構わず、瑞樹は更に一歩前進。
「ふふふ、却下」
「うわ、なんて事を言いよるかなこの女は」
 じりじりと後ずさる辰也にじりじりと近付いて。
 辰也の背中が教室の壁に触れた瞬間――
「真面目に――なりなさいっ!」
 両手で振り下ろされたハリセンが唸った。
 その奏でる音は『ずばぁんっ!』という、先ほどの音が可愛く思えるほどのものだった。
「悪は滅びた・・・」
 爽やかな笑いを浮かべた瑞樹。
 その言葉に倒れ伏した辰也は覚醒。
「こらこらこらこらっ!誰が悪やねん誰が!」
「・・・」
 無言で辰也を指さす
「く、はっきりと・・・!」
 悔しそうに言えば、
「自覚、無かったの?」
 瑞樹は短く質問。
「いや、あったけど」
 こう答えるあたり、辰也の性格も知れるだろう。



「お前さ。何で冗談めかしちゃうわけ?」
 和人はアイスティーのストローを口にくわえたままで問いかけた。
「好きやなんて素で言えるかい恥ずかしい」
 その言葉に雅雪は絶句。
 ぽつりと呟いた。
「アホだな」
 辰也は自嘲。
「ああ。どうしようもないアホや」
「ドアホだな」
「救い様がないドアホやって誰がやねんっ!」
 ノリ突っ込みをしてみたら、
「君」
 とあっけなく答えたのは。
「うわっ!なんや、冬哉さんかい」
 花信風の御門冬哉だった。
「冬哉・・・美咲ちゃん、怒ってると思うけど」
「それは確定だぞ、北斗よ。
 奴は絶対怒っている」
 そう言ってあははははーと笑い。
「どうしよう?」
 少し情けない表情になってみて、聞いて見るも。
「・・・どうしようもないな」
 返答は冷たい。
 そして結局。
「・・・ま、仕方なしだな」
 開き直って、冬哉は辰也たちに向き直った。
「君さ、うちの店の前でもやってたよね?
『好きやで〜』といきなり抱きついたり。
 あれ、本気だったわけ?」
 にこにこと。
 微笑いながら、聞いて。
 しかし、その笑いには――どこか迫力があった。
 だから。
「・・・・・・本気や。
 俺、本気であいつのこと好きや・・・」
 ぽつり、と。
 辰也は素直に答えた。
 冬哉はその答に溜息一つ。
「あのさ、好きだって言葉が軽すぎるんだよ。
 本気には思えない。
 ――本気だと思ってくれって言う方が間違ってる。
 そう思わないか?」
 冬哉の表情には――笑みは既に無く。
 冴え冴えとした、刃のような冷たさが宿っていた。
 しかしその鋭さは――人を思いやる暖かさを忘れてはいない。
「解ってんねん、ほんまは。せやけどな・・・」
 少し口ごもった後、辰也は決心して――告白した。
「2人きりになるんは恥ずかしいし、せやかて誰もいる場所で好きやなんて言えへんし」
 もじもじと、恥ずかしそうに。
「・・・・・・」
 沈黙。
 しばしの沈黙の後、冬哉は右腕を掲げた。
 そして紡ぐ。
 必殺の技を為すための言葉を。
「俺のこの手が真っ赤に燃える!」
 その言葉に、辰也は反応。
「へ?」
 しかし冬哉の言葉は止まらない。
「勝利を掴めと轟き叫ぶ!」
「待てやっ!」
 その言葉を無視。
 更に言葉を紡いでいく。
「ばぁくねつ!ゴッド!フィンガァァァァァァァ!」
 そして辰也の頭を掴み――持ち上げて。
 力を、込めた。
「ヒート!エンド!!!!」
 ぷらーん、と。
 力無く辰也がぶら下がっている。
 支えているのは右腕一本。
 しかも頭を掴んでいるだけ。
「・・・うわ」
 和人が漏らした驚嘆に、
「ふっ。花屋さんの腕力をなめてはいけない」
 爽やかな笑顔で答えて見せつつ、ちゃい、と辰也を落として。
 瞬時に辰也は復活。
 どうやらタヌキ寝入りだったらしい。
「む、なかなか頑丈」
 感心したような冬哉。
「いきなり何すんねん!」
 がばちょ、と辰也は起きあがり冬哉に食って掛かったが――
「・・・あのな。一つ訊いていいか?
 本気で告白する気、あるわけ?」
 そう言った冬哉の目に、思わずたじろいだ。
「本気だったら――
 本気で好きだったら、冗談めかしてなんかじゃなく。
 自分だけの言葉で、言えるはずじゃない?」
 冬哉は更に言葉を続けていく。
 傷にあえて触れながら。
「・・・・・・」
「正直言って、君の言う彼女が君の言葉を待っているかどうか、俺には分からないよ。
 でもさ、君はそれでいいわけ?
 本当に好きでもそれが冗談としか受け止めてもらえないままで」
 何も、答えられない。
「・・・・・・」
 冬哉の言葉に、辰也は何も答えることが出来なかった。
 その沈黙をどう受け取ったのか、冬哉は吐き捨てるように――告げた。
「それでいいならもう、俺は何も言わないよ。
 勝手にすればいい」
 しかし。
 そう言った後。
 冬哉は照れくさそうに微笑って――
「ただ――さ。
 本音を言うと、幸せになってもらいたいんだけどね」
 辰也の肩を叩いた。
「俺からは――それだけ」
 そう言い残し、冬哉は四季彩館から出て行った。
「・・・・・・」
 辰也はまだ、沈黙を守っている。
 雅雪も、和人も、北斗も――
 辰也をただ見守ることしか出来なかったのだが――
「あ」
 と、何かに気付いたように、北斗は呟いた。
「勘定貰うの忘れてた」


「全く・・・微笑ましいったら」
 冬哉は少しばかり苦笑。
 何とはなしに公園に立ち寄り、ベンチに座る。
 桜も散った今でも、この公園に人影は多い。
 犬を散歩させている老人。
 走り回る子供たちを嬉しそうに見ている母親。
 ポニーテールの少女――というには少し年が上かもしれないが――に追い掛けられている青年と銀髪の少女。
 なんて――平和な。
 なんて――穏やかな。
「・・・・・・」
 我知らず微笑っていたことに気付いて。
 少し驚いた後、空を見上げる。
 そして感じる。
 風を。
 顔を元に戻せば、花水木が咲いて――
 ぼけーと、何をするでもなく花を見ていた。
 と。
「にゃー」
 などと急に呼びかけられ、ふと下を見てみる。
 そこにいたのは猫。
 見たところ四季彩館の常連の虎猫のようだ。
 ――確か、美虎とか言ってたっけ?
 などと猫の名前を思い出しつつ。
「来い来い」
 と呼びかけてみたならば。
「にゃ」
 と答えるようにして、美虎は膝の上に飛び乗った。
「暖かい、な――」
 猫とは言え、その暖かさが嬉しくて――思わず言葉にしてしまって。
 そのことに気付いて、わずかに驚愕。
「どうやら――俺は」
 寂しがっているらしい、と呟きかけて、言葉を切る。
(参ったな)
 と、苦笑。
「こんな事――誰にも言えないよなぁ」
 口の中だけで言葉にする。
 確かに誰かに相談出来る事じゃない。
 これはあくまでも――
「俺の、問題だから、な――」
「何が、ですか」
「をわ!」
 思わず動いたものの、美虎は膝の上で丸まったまま。
 気持ちよさそうに眠っている。
 そのことに安堵して――みたものの。
「なぇ。何が俺の問題なんですか?」
 問いかけるその影に、
「あのさ。
 急に話しかけられたら驚くでしょーが!」
 などと抗議してみる。
 しかし。
「あら。何度も話しかけましたが?」
 と言われて。
 ああなるほど確かに思い切りぼけーとしていたなぁと思い返して。
 ばつが悪そうに笑ってみて。
「ん。言葉通り。これは――誰かに話すべき問題じゃない。
 あくまでも俺自身で片を付けるべき事だから――
 心配してくれたのは嬉しいけど、さ。
 何も――話せない」
 答えた。
「そう、ですか・・・」
 と、話しかけたそのひとは少しばかり哀しそうな表情。
 わたしでは力になれないのですか、と言いたそうな表情で。
 だから、というわけではないが――
「悪い。
 君が頼りにならないとか、そんなんじゃなくてさ。
 頼りたくないだけなんだ。
 ――俺が」
 フォロー。
「多分、さ。
 誰が相手でも、話せないことだし」
 そう言って、冬哉は――
 横座ったら、と――
 誘った。
「え・・・はい」
 その少女――外見だけなら10代後半だが――は、促されるまま冬哉の横に座った。
 そして、しばらく――沈黙。
 ただ、側にいるだけの時は流れていって――
 ひら、と。
 花蘇芳の一片が冬哉の肩に落ちた。
 その一片を少女は手にとって、太陽に翳し――
「花蘇芳――」
 花の名前を呟いて。
 不意に立ち上がった。
「また――お会い出来ますよね?」
 と。
 僅かな希望を込めた声で、問いかける。
 冬哉は――
「店に来てくれたら。
 ――運が良ければ、というか――
 運が悪かったらいないけど」
 笑って。
 見送った。
 そして何とはなしに時計を見て――絶句。
「拙い・・・殺されてしまうかもしれない」
 疾走開始。


 結論から言えば――思ったよりも怒られなかった、といったところだろうか。
 帰りがあまりにも遅かったからだろう。
「心配したんだよっ!」
 という声と、渾身のアッパー一発だけで済んだのは――
「僥倖と、言えるんだろうかなぁ?」
 首をひねってみる。
 まだ少し痛かったのだろう、冬哉は少しばかり顔をしかめた。
 とはいえ、表に出すわけにはいかない。
 つまり人がいない今のうちが痛がるチャンスで。
 首に冷やしたタオルを当てていたところに――申し訳なさそうにドアが開いて。
 笑顔を作って――接客。
「はい、いらっしゃ・・・あれ?」
 そこにいたのは、何かを決心したような表情の辰也。
「冬哉さん」
「ん?」
 その表情を見た瞬間、冬哉は辰也が何を言いたいのか分かっていたが、敢えて問えば。
「どうなるかわからへんけど。
 俺、言ってみますわ。
 好きや、って。
 ――はっきりと」
 辰也は、そう答えて。
 ――走り去った。
「ああ・・・そっか」
 笑って、見送って。
「ふーん」
 という、美咲の声に驚いて振り向けば。
「なるほど、あれが遅くなったわけ?」
 にやにやと笑っている美咲。
「・・・その一つと言えないこともないが」
 確かに辰也の一件は遅くなった要因の一つだが――
 最大の要因は公園での邂逅。
 だから、そう言葉を濁したのだが。
「全く・・・お人好しなんだか、首を突っ込みすぎるんだか」
 納得したのか、美咲は苦笑混じりにそんなことを言って。
「性分だ。ほっとけ」
 冬哉の機嫌を少しばかり損ねた。
 しかし美咲は気にせずに、
「はいはい」
 呆れたような声。
 しかし、その表情は――どこか、嬉しそうな色が混じっている。
「全く――
 冬哉にここまでさせたんだから。
 ちゃんとやらないと――凄いからね?」



「・・・相羽。何の用?
 あたし、少し忙しいんだけど」
 日が沈み始めた頃、辰也に呼び出された――とはいえ、辰也が家に来ただけなのだが――瑞樹は機嫌悪そうな声でそう言った。
 もっとも、本気で嫌がっているわけではない。
 照れと、なかなか本気の『好き』を言ってくれない苛立ちとがあっただが。
 ただ、今までとは――これまでとは違う辰也の表情に期待をしてしまったのも事実。
 しかるに辰也はあっちを見たりこっちを見たり。
 非常に落ち着かない。
「あの、さ・・・」
 用がないのなら、と言いかけたところに――ただ一言。
「好きや!」
 という、シンプルな一言。
 ただしその声は――
 近所中に響くほどで。
「ばっバカ!何をいきなり!」
 思わず慌てた瑞樹に、辰也は照れくさそうに。
 やっと、決心が付いたから、と前置きして――言った。
「ああ、バカや。
 でもな、こればっかりはしゃぁないねん。
 瑞樹のこと、好きやって気持ちは――
 こればかりはしゃぁないねん!」
 その、言葉。
 やっと聞けた辰也の本音に――
 冗談交じりなんかじゃない、本当の言葉に――
 瑞樹は、少しだけ涙を流して。
 嬉しそうに。
 楽しそうに。
 辰也の頭を小突いて。
「あたしも、好きだったんだよっ!」
 自分の想いを、初めて告げた。





 公園のベンチに座って、そのときを待っている。
 ・・・遅い。
 なんて思いつつ、腕時計を見て苦笑。
 ――早く来すぎたかもしれない。
 いや、間違いなく早く来すぎた。
 だって待ち合わせの時間まであと30分。
 遅い、なんて思ってること自体おかしいのだろう。
 でも、待っている時間も今は楽しい。
 公園を見渡せば、花水木。
 連翹。
 花蘇芳。
 様々な花が咲いていて。
 その色が、華やか。
 そう思えるのは、多分――
「あれ?俺時間間違えたか?」
「ううん。待ち合わせは2時だからあと15分あるけど?」
「・・・なんや、待ちきれなかったのは・・・
 一緒ってわけや」
 そう。
 あなたの心が見えているから。
 あなたが側にいてくれるから。
 だからなのだろう。
 春空の下、思う。
 あなたを諦めなくて良かった――
 でも、あなたが勇気を出したのは――なんでなんだろうね?
 少し気になるけど、それは――
 これからゆっくり聞いていこうと、そう思う。