春一番〜弥生〜





 最初はただ仕方なくだった。
 好きでもない、彼にチョコレートをあげたのは。
 でも──どうしてだろうか。
 時が経てば経つほど気になっていく。
 好きじゃなかったのに。
 全然、好きじゃなかったのに。
 気が付くと、本当に好きになっていた。





「はぁ・・・」
 大槻晴日は大きな溜息をついた。
(どうしよう・・・)
 そもそもの始まりは去年のバレンタインデー。
 カラオケでの勝負で負け、好きな人の名前を言わされた。そのときは工藤恭志郎の名前を挙げたのだが、事態は名前を言うだけでは収まらなかった。
 一緒にカラオケに行った友達は
「工藤くん?うん、何となく解るよ」
 と言い、
「なら、チョコあげなきゃ!」
 と言うことになってしまった。
 退くに退けず、結局に手作りのチョコレートを渡すことになってしまった。
 友人達が見守っている手前、恭志郎にチョコを渡さざるを得なかったのだが、恭志郎の反応にはかなり驚かされた。
「ああ、ありがと」
 微笑いながらそれだけを言い、彼はすたすたと歩き去った。
 そのあっけなさに最初はむかつきもしたけど──
 いつの間にか、忘れていた。 
 忘れかけていたその年のホワイトデー。
 恭志郎はやはり微笑いながら、
「バレンタインはありがと。これ」
 とだけ小さめの箱を渡して、すたすたと歩き去った。
 自分でも忘れてたのに。
 憶えて、いた。
 それが意外だった。
 それがきっかけで、晴日は恭志郎と友人になった。
 一緒に過ごすうち、晴日はいつの間にか恭志郎を眼で追うようになっていた。
 講義の時。
 通学の時。
 そして、色々話した。
 バイトのこと。
 講義のこと。
 試験のこと。
 そして、いつの間にか好きになっていた。
 暖かい笑顔も。
 柔らかい声も。
 不意に見せる、真面目な顔も。
 全部、好きになってた。
 大好きになっていた。
 ずっとこのままで居られたら。
 晴日はそう思い始めていた。
 だから、今年のバレンタインデーにははじめての本気のチョコを送った。
 恭志郎も喜んでいるようだった。
 しかし。
 先日、ついに知られてしまった。
 去年のチョコの意味を。
 それ以来、恭志郎が避けているような気がしていた。
 眼が合いかけても、逸らす。
 声をかけようにもかけられない。
 そんな日が続き・・・・・・カレンダーは3月14日の日付を示していた。
 しかし──恭志郎は晴日の前に現れなかった。
 
 
「ううううう・・・・・・」
 晴日は四季彩館のカウンターで突っ伏していた。
 そこだけ妙に滞った空気を漂わせながら。
「晴日・・・暗い!」
 びし!と晴日を指差して雪緒が指摘する。
「大槻、何か暗いぞ」
 鷹介も同様に。
「放っといてよ・・・・・・」
 突っ伏したままで、晴日はどよんとした声で言った。
「これは・・・根が深いね。何か知ってる?」
 北斗は冷めた紅茶の替わりを淹れながら、聞いてみた。
「ええ。この子、好きになった人に嫌われた、と思ってるようでして」
「何よ〜雪緒だって悪いんじゃない〜」
「好きな人が居ないなら居ないって言えばいいじゃない。見栄はるから」
「赦してくれなかったでしょ〜」
 やり取りを聞いているうちに北斗は理解した。
「うーん、要するにこういうこと?なんかの機会で好きな人を言わされた、と。でもその人のことはあまり好きじゃなかった。でも、チョコとか渡さざるを得なくなって、渡した。で、仲良くなってるうちに本当に好きになってしまった・・・」
「ええ」
 顔を起こして、弱々しく晴日は頷いた。
 それを確認して北斗は言葉を続けた。
「でも、先日ばれてしまった、と。・・・・・・で、そのこと、自分の口から言った?謝った?」
「いえ・・・・・・」
 力無くうなだれる晴日。
 北斗は晴日の肩を優しく叩いた。
「まずは謝らなきゃ。で、今の気持ちを伝えること」
「・・・・・・はい」
 でも、赦してくれるだろうか?
 そんな不安を抱いていた晴日の耳に。
 ドアベルの音が、響いた。
 なんとなくその方向を見てみたら・・・
 恭志郎が、居た。
「あ・・・」
 晴日の姿を認め、目を反らす恭志郎。
 そして、それを見た瞬間、感情のたがが──外れた。
「ねぇ、何であたしを避けるの?」
「避けてなんか・・・」
 その声も言い訳に聞こえて。
「避けてる!あたし、工藤くんのこと好きなのに・・・!」
「!」
 呆然とする恭志郎。
 しかしその顔も今は冷笑に見えた。
「解ってる・・・信じてくれないよね」
 哀しそうに、微笑いながら。
「仕方ないよね・・・あたし、最低だもんね・・・」
 限りない、悔恨を込めて。
「でもね、信じて。あの時は確かにあなたのこと、好きじゃなかった。でも・・・」
 どうしようもない、切なさを含んで。
「でも、今は違うよ。好きだよ・・・」
 晴日は、自分の想いを。
 今の、想いを。
「本当に、好きだよ・・・工藤くん・・・」
 恭志郎に、告げた。
「・・・・・・」
 しかし──恭志郎は、黙っていた。
「ごめんね。それだけ、言いたかったんだ・・・」
 赦してくれると思っていたわけじゃない。
 伝わって欲しかったわけでもない。
 ただ、知って欲しかった。
 好きになっていたことを。
 そんな心の叫びを残して──晴日が走り去っていく。
 涙の雫を散らしながら。
 振り返ることもなく。
 走り去っていった。
「恭志郎!」
 鷹介の呼びかけにも、恭志郎は答えない。
 俯き、沈黙を守っている。
「恭志郎、あんたねぇ・・・!」
 雪緒がトレイを手に取り──恭志郎に叩き付けようとするのを北斗が抑えた。
「ふむ」
 そしてなにやら納得したような顔で、氷を手に取る。
 そして、恭志郎の背中に落としこむ。
「うひゃぉう!」
 とたんに、こちら側に戻ってくる恭志郎。
「何だ!何があった!」
 どうやら告白からの記憶が無いようである。
「思考の停止かい・・・」
「忘れてたわ。恭志郎ってこーゆー奴よ・・・」
 呆れたように鷹介と雪緒がうんうん、と肯きあった。
「何するんですか酷いじゃないですかっ!・・・ああっ!大槻さんがいない!」
「今気付くなよ今!」
「なんでいないんだ!」
「お前が凍ってるのを勘違いして出てったの!」
「あーはいはい、どーでもいいから早く追いなさい」
 北斗が促す。
 晴日を追うことを。
「言わなきゃいけないことがあるんだろ?彼女に、ね」
 そして恭志郎は無言で力強く頷き、ドアを開けて・・・
 駆け出す!
「おー早い早い・・・って何戻ってきとるかおまえわ!」
 そう、恭志郎は帰ってきてしまった。
 そして開口一番、
「お勘定忘れてた」
 律儀であった。
「いいから行きなさいって」
 苦笑しながら、北斗が促されて、
「じゃぁ後で払いに来ますんで〜!」
 今度こそ駆けだしていく恭志郎。
 恭志郎の律儀さに、
「まぁ、あんなだから晴日も本当に好きになったのかもね・・・」
 と雪緒が呟いた。
「そうだな、あんな奴だから・・・」
 少し呆れた顔で鷹介。
 ふと恭志郎が走り去った方向を見る。
 ──ドアの近くに、小さな箱が落ちていた。
 ホワイトデーのお返しらしい、小さな箱。
 恭志郎の落とし物。
「まったく、なぁ?」
「そうだね」
 鷹介と雪緒は顔を見合わせ、微笑った。
 そして北斗は。
「さて・・・ランチ用に仕込んでおくか、な」
 厨房に向かい、豚肉の紅茶煮を作り始めた。
 暖かい、暖かい匂いが四季彩館に満ちた。
 

 晴日が何処にいるのか解らないまま、恭志郎は駆けた。
 二人で出かけた場所へ。
 駅前。
 商店街。
 公園。
 映画館。
 そして。
 二人ではじめて行った場所へ。
 海へと。
 そして──
「大槻さん・・・やっと見つけた・・・」
 晴日は、そこにいた。
 岩場に座って、海を見ていた。
「・・・工藤くん?」
 ──泣きながら。
「同情なら止めてよ。そんなの要らないよ・・・」
「えーと・・・・・・」
 言葉を探す恭志郎。
 その態度が、晴日は哀しくて。
 嫌われた、と思って。
 また、涙を流した。
「何で追いかけてきたの?あたし、期待しちゃうじゃない・・・」
「いや、期待してもらわないと困るんだけど」
 晴日は頭を殴られたような気がした。
 ここまで嫌われていたのか、と。
 しかし、恭志郎の言葉は──晴日の望んだものだった。
「だって──僕は大槻さんのことが好きだから」
 微笑いながら。
「だから、期待してもらわないと困る」
 恭志郎は晴日に向けて一歩踏み出し。
「好きでいてくれないと──困る」
 そしておりしも強く吹いた風と、海草に足を取られてバランスを崩し、そのまま──海へと。
 大きな水柱が上がった。
「くああああああっ!いかんだろうこれは!」
 慌ててテトラポットに捕まる恭志郎。
「あー。やばかった」
 息をあらげながらも妙に呑気な恭志郎に、晴日は──思わず、笑った。
「あは・・・あははははは」
「笑うことはないでしょうに」
「ご、ごめんなさい・・・あははは」
 涙が流れるほどに、笑う。
 喜びの涙を流す暇も無かったのは多少不満は残るが。
 何かが洗い流された、そんな顔になった。
「でも・・・いいの?」
「何が」
「あたし、工藤くんを傷つけたし」
「?」
「去年の、バレンタインデー・・・」
 痛みを含む声で、晴日。
 しかし。
「あ、あのこと。でも、今は好きでいてくれてるんでしょ?ならいいじゃない」
 あまりにもあっさりと、答える恭志郎に。
 晴日は、
「・・・ありがと」
 心から、お礼を言った。
 不意に、風が吹いた。
 微かに春の薫りを孕んだ風が。
 しかしその風は今の恭志郎には辛すぎるものだった。
「いかん、寒い。四季彩館に戻ろうか・・・えーと、・・・晴日?」
 ぎこちなく、名前で呼ぶ恭志郎。
 そっと、手を差し出している。
 晴日は迷わず恭志郎の手を掴み。
「うん。恭志郎くん」
 嬉しそうに、微笑った。
「でも・・・恭志郎くん。何で、あたしを避けてたの?」
 聞かずにはいられないこと。その答は。
「照れくさかったんだよ」
「え?」
 きょとんとして、晴日。 
「だって去年だけならただの気まぐれかと思ったけど、今年もくれたじゃない。だから、ひょっとしたら、なんて思ったら・・・照れくさくて」
 海の方を見ながら、震えながらの言葉に、つい。
 恭志郎の顔をのぞき込む。
 赤くなっていた。
 それを誤魔化すように、恭志郎はポケットをまさぐり、
「あ。そうそう。バレンタインのお返しだけど・・・・・・あれ?」
 あっちでもない、こっちでもないと探した後──
「ごめん。無くしたみたいだ」
 すまなそうに、謝った。
「さっきの海か!」
 海に向かって駆けだした恭志郎の手を晴日は掴んだ。
「いいよ・・・」
「いや、良くない!」
 力説する恭志郎の手を握った。
 両手で、しっかりと。
「ううん。最高のお返し、もらったから」
「?」
 余りよく分かっていない様子の恭志郎の手を引いて。
「恭志郎くん、早く行こ!風邪、ひいちゃうよ!」
 晴日は、四季彩館に向かって駆けだした。





 蒼い空が広がっている。
 桜の蕾もほころんでいる。
 あたしは公園で彼が来るのを待っていた。
 どきどき、する。
 彼が来たらなんて言うだろうか?
 あたしは彼になんて言おうかな?
「ごめん、待った?」
「ううん、あたしも今来たとこ」
「じゃあ、行こうか」
 彼は照れくさそうに手を差し出して。
 あたしはおずおずと手を握る。
 ・・・なんて風にはならないだろうなぁ。
 あたし達ならどんな風だろ?
 想像してみようとしたとき、駆けてくる彼が見えた。
「晴日、ごめん、待たせた!」
 息を切らしながら、彼。
 あたしは。
「気にしないで」
 微笑いながら。
「待ってるのも、楽しいから」
 でも、ね。
 待ってるのが楽しいのは、待ってるひとがあなただからなんだよ。
 それだけは、解ってね。
「ごめん。ちょっと休憩」
 公園のベンチに腰掛けて、彼が空を見上げる。
 習うように、あたしも。
「春の、空だね・・・」
 彼が歌うように呟き。
「うん。いい、空だよね・・・」
 あたしは彼の言葉に応える。
 見上げれば、蒼い空。
 どこまでも蒼い、春の空。
 あたしの中に残る不安。
 それを吹き飛ばすように。
 春一番、吹いた。