見上げた空の蒼のいろ〜飛燕草〜





 今日も今日とて、快晴。
 梅雨に入ったものの雨雲は姿を見せず、蒼い空が続いている。
 あたしはただぼんやりと空を見上げている。
 困った。
 こう晴れ続きだと、野望が果たせない。
 いつ雨が降ってもいい様に準備だけはしているのに。
 いつもは大好きな蒼い空が、今はただ恨めしかった。





「あおちんあおちん」
 そう呼びかけられて、早乙女葵はつい問い掛けた。
「何そのあおちんってのは」
「葵だからあおちん」
 何で訊いちゃったんだろう、と葵は大きな溜息。
「青葉。だったら蝶子って名前だったらちょーちんになるの?」
 と、苦笑しながら再び問えば、
「そうなるね」
 葵の友人である氷室青葉は即答した。
 まさか即答。
 本当に即答。
 葵は何だか居たたまれない気持ちになって、
「やめて・・・」
 弱々しく呟いた。
 しかし青葉は
「あ。嫌だった?」
 あっけらかんとしている。
「嫌」
 と短く言えば、
「じゃあ葵ちゃん」
 まともに呼びかけた。
「最初からそう呼びなさいよあんたわ」
 声を震わせながら、今にもその手を青葉の首に伸ばさんとする葵。
 その手に気付いていないのか――あるいは気付いていながら逃げる自身があるのか。
 青葉はにっこり笑っていった。
「普通に呼ぶの芸無いじゃない」
「あ・・・青葉ぁっ!」
 葵と青葉、疾走開始。
「・・・仲良いんだか悪いんだか」
「あれは仲良いって言えるんじゃないの?」
 苦笑混じりの新谷仁也に、清水博也は走り回る2人を眺めつつ答えた。
「よく解るね」
 何の気無しにそう言うと、
「そりゃ解る」
 やや憮然と博也は答えた。
「恋する男は違うな」
 感心した様に、仁也。
「・・・・・・」
 その言葉に、博也は一瞬驚いて。
 何故知ってる、と問い掛けようとして――止めた。
「決してお世辞じゃないぜ?」
 妙な感じ。微妙に、何かが食い違っている。
 違和感を感じつつも、博也は苦笑。
「あのな」
 と。
「溜息混じりの頬についこの手伸ばしたくなる」
 仁也の手が博也の頬を掴み――うにょん、と伸ばした。
「おお、よく伸びる」
 その手を弾き、
「待てやコラ」
 仁也の頭にアイアンクロウ。
 仁也は更にその手を弾き。
「だっしゅ!」
 疾走開始。
「てめこの、待ちやがれ!」
 そして博也も疾走開始。
 走り回る者どもをぼんやりと見ながら、
「あいつらも仲が良いことで」
「全く」
 村雨和人と矢島雅雪は肯きあった。
 そして――
「バーニングトレイル!」
 と博也が仁也に拳を喰らわし。
「フリジットランス!」
 と葵が青葉の背中に氷を入れて。
「みぎゃぁぁぁぁ」
「うきゃぁぁぁぁ」
 という悲鳴がほぼ同時に、別々の方向で響いたとか響かなかったとか。



「美咲さん、ちょっと――店、頼みます」
 冬哉はエプロンを脱ぎつつ、美咲に話しかけた。
「冬哉・・・また?」
 呆れた様に美咲。
 しかし――
「・・・頼む」
 今日の冬哉は妙に真面目で。
 手には花束を持っていて。
 それで、気付いてしまう。
 いつもの様に、あの場所に――行くのだと。
 美咲は哀しそうな顔になるのを我慢して、なるべく優しく。
 なるべく明るく、言った。
「・・・仕方ない、ね。この貸しは大きいよ?」
 冬哉の答は――
「ああ」
 という、笑みで。
 美咲が何も言えないでいるうちに、すぐに出て行ってしまったから。
「・・・バカ」
 という、美咲の言葉は――冬哉の背中には届かなかった。



 目的地は、臨海公園。
 駐車場に車を置き、花束だけを持って冬哉は奥へと歩いていった。
「・・・・・・」
 ふ、と空を見上げて――懐かしむ。
 子供の頃を。
「まさか・・・あの頃は自分が花屋になるなんて思ってもなかったっけ」
 甦るのは、あのときの女の子の笑顔と苦しそうな顔。
 悔恨。
 追憶。
 そんなものが心の中で渦を巻く。
「笑ってなきゃ、な」
 でないと――きっと、心配をかけてしまうから。
 苦笑。
 すぐに苦笑を消して、坂を上っていく。
 と。
「あ、花信風の・・・」
「あー、北斗んとこの常連さん」
 冬哉が出会ったのは博也。
「あれ?今日は一人なんだ」
 と問えば、
「ちょっと、考えたいことがありまして」
 笑って答える。
「・・・ああ、彼女の事ね」
 少し考えて、思いついた事を口にしたら。
「分かりました?」
 図星。
「何となく言ってみただけなんだけど・・・正解とは」
 しばし、笑って。
 博也は空を見上げて話し出した。
「ぼけーと、空見上げてて――考えてました。俺は早乙女のこと、ほんとに好きなんかなーって」
 雲を目で追いながら、言葉にしていく。
「考えて、考えて、考えてみたんですけど――やっぱわかんないです。答はすぐそこにありそうなんですけど」
「そっか、分かんないか」
 冬哉がそう答えると、博也は少し驚いた表情。
「あれ?」
「ん?」
 目で問えば。
「鉄拳が飛んでこないんですね」
「あのね」
 思わず冬哉は額に手をやって。
「好きだって自覚しててうじうじしてんならともかく、まだ分かんないのを焚き付けられますか」
 苦笑しながら答えた。
 しかし。
「・・・もし自覚したら?」
 との問には。
「そりゃ当然タイランレイヴの一撃など 」
 しばし絶句した後、博也は思わず苦笑した。
「はは・・・憶えておきます」
 そこで、博也は冬哉の手に目をやり、気になっていたことを口にした。
「ところで、その花束――」
「ん、これ?」
 持ち上げられた花束に頷いて、
「デートですか?」
 と、問うたら。
 冬哉は――微笑った。
 微かな、痛みさえも見せずに。
「はは・・・そんなとこ」
「綺麗な花ですね」
 感嘆の言葉に、もう一度微笑って。
「ん。デルフィニウム――飛燕草。結構好きな花で、ね」
 花束を持ち上げてみる。
 その蒼を見つめながら、博也は少し考え込んで。
「いい、蒼だなぁ・・・。そーいやあいつは空の蒼、好きだって言ってたっけ」
 うん、と頷いて。
「うーん、決めた。その時が来たら――花束お願いしたいんですけど」
 笑って言った。
「了解」


 博也と別れ、更に奥へ。
 少し急な坂を上り詰め、辿り着くのは――断崖。
 風が強い。
 手すりの方に近付き、暫く海を見る。
 空も海も夏の色に近付いている。
 冬哉は花束を放ろうとしたが――
「・・・あ」
 という声に、手を止め、振り向いて。
「あら」
 と呟いた。
 そこにいたのは、名前も知らない花信風の常連。
「あの、その花束・・・」
 どうしたんですか、という言葉にならない問に答える様に。
「命日、ってわけじゃ――ないんですけどね。習慣になってまして」
 花束を放る。
「季節の花を――手向けるのが」
 花束は風に散らされることもなく、水面に降りて――揺れている。
「大事な人、だったんですね」
「ええ」
 迷い無い、冬哉の言葉に。
「その人――」
 と『彼女』は何か言いたそうにしていたが――
「ん?」
 結局、何も言わず。
「いえ。止めときます」
 微笑みだけ残して、立ち去った。



 そして。
 葵がずっと待ち続けていた雨が降ったが、博也は教室内の喧噪など我関せずと、掃除入れに近付いた。
「こんな時のための置き傘だ」
 それを見ていた葵は口の中で
「・・・・・・縁が、ないのかな?」
 と呟いて。
 それを見ていた仁也はぽつりと。
「・・・あ。掃除用具入れの中の傘、博也のだったんだ」
「?」
「先に謝っておく。すまん」
 博也は仁也の方を見ながら掃除道具入れを開け。
 見事に折れ曲がったそれを取り出した。
「あ・・・」
「ちょうど良い長さだったもので野球など少し」
 いやーすまないと笑うき仁也。
「・・・ああああああああ」
 苦悶の声を上げる博也。
 対照的に仁也は笑っている。 
「いやー。思い切り曲がってしまった」
「曲がったじゃなくて曲げただろーがっ!」
 それを聞いていた葵は、
「ナイス、新谷!」
 と呟いて。
 意味ありげな笑いを浮かべている仁也に感謝して。
「・・・掃除用具入れの中に置いてる清水も悪いと思うけど?」
 と、笑いながら博也に話しかけた。
「う」
 と博也は唸り、沈黙。
「何か用事でもあったの?」
 と葵が問い。
「ああ。ちょっと、な」
 と諦めた様に博也。
 葵はこっそり深呼吸して。
「四季彩館の紅茶一杯で手を打つけど?」
 何とか、言葉にした。
「早乙女。お前傘持ってないだろが」
 という問いに、葵は何とか落ち着いて、どーだと傘を突きだした。
「ふっふっふ。世の中には折り畳み傘という便利な傘があるの、忘れてた?」
「・・・悪い。世話になる」
 と博也は笑い。
「んじゃ・・・行こっか」
 教室を出て、振り向いたら――
 仁也のサムアップと、手を振る美弥が2人の視界に入った。


「あのさ。あたし、野望があったんだ」
 傘を博也の方に傾けながら、葵はぽつりと呟いた。
「野望?」
 と問い返しつつ、博也は葵の方に傘を傾けて。
 それに気付いた葵は少し笑って。
 告げた。
「好きな人と相合い傘するの」
「・・・そりゃまた、お手軽な様で・・・難しい野望だこと。んで、叶ったの?」
 少しだけ、痛みを抑えた声で。
 笑いながら、言ったなら。
 葵の、答は――
「うん。今日、叶った」
 という、博也にとっては予期せぬ言葉。
葵にとっては前から準備していた言葉。
「へぇ・・・え?」
 頷きかけ、その言葉の意味に気付き、困惑。
「そゆこと・・・嫌だった?」
 博也の表情に、不安そうに葵の問い。
 博也は葵を不安にさせまいと、即答した。
 ――まだ、自分が本当に葵を好きなのか解らないにしても、嫌じゃないのは事実だったから。
「そんなわけない」
 こう、答える。
「本当に?」
 見上げる葵の瞳は涙に濡れていて。
 つい、抱きしめそうになるのをこらえる。
 まだ、答は出せていないから。
 だから――
「こんな事で嘘言うほど悪趣味じゃないぞ」
 こんな、言葉だけ。 まだ、嘘のない言葉しか言えない。
「信じたげる」
「おう、信じろ」
 答をちゃんと――たとえどんな答にしても、出さなきゃいけないと。
 博也はそう思い。
 答をいつか――たとえどんな残酷な答でも、いつか答を出してくれると。
 葵はそう思い。
 だから。
 今は、ただ――一緒にいたいと。この雨の中、2人で歩いていたいと。
 2人は、そう思った。





 なんて言うか、どさくさ紛れに告白して。
 うやむやの内にあたし達は何となく付き合いだして、何となく付き合っているわけで。
 不安になる。
 何しろ博也はまだ答を出していない。
 なんて中途半端な、なんて思っているのは事実なんだけど。
 好きだーとか、そんな言葉が欲しいのも事実なんだけど、答を待つって決めたから、まだ何も言わないでいるのは――やっぱり、弱気だなと思う。
 ところが。
 ひょっとしてやっぱり駄目だったのかなーと思ってたところに、ほら、と手渡されたのはデルフィニウムの花束。
 なんでも寝ずに考えても分かんなかったけど、思い切り寝て朝起きたら、なんだやっぱり好きなんだって気付いたとのこと。
 なんて言うか、力が抜けた。
 でも凄く腹立たしかったので、待たせすぎだよ、とでこピン一発した後で、腕の中の花を見る。
 あたしの大好きな晴れの日の空の色を、映した様なその蒼がとても、眩しくて。
 空の色が好きだって言ってたことを、憶えていてくれたのがとても、嬉しくて。
 だから、あたしは――
 あたしは、笑って彼に抱きつく。