百花繚乱
気になっている。
それは事実。
でもまだ想いを告げることは出来ない。
それもまた事実。
自分の想いと向き合って、解ったこと。
まだ、あの子――さくらのことを気にしているということ。
だけど、それではいけない。
前に進まなきゃいけない。
彼女への想いを自覚した今、もう、逃げない。
さくらのためにも。
美咲のためにも。
自分のためにも。
見守ってくれている、みんなのためにも。
「悪いな、北斗」
「・・・どした?急に呼び出して」
冬哉は北斗を呼び出していた。
呼び出した場所は彼らが良く行くショットバー『Silent sign』。
ちょっとな、と呟いて冬哉はでグラスを揺らした。
澄んだ音。
氷と硝子の奏でる音色に耳を澄ませ、一口。
そして揺れる氷を見つめながら、
「美咲が、やっと踏ん切り着いた。というかつかせた」
その言葉の意味を理解し、北斗はただ
「そか・・・」
と呟いた。
「ああ。あの莫迦、俺のことなんかいいのに」
冬哉が苦笑し、
「でも、それを言葉に出来なかった。違うか?」
北斗は真面目な表情に。
その北斗の言葉に、冬哉は一つの表情を浮かべた。
「違わない・・・。俺は、あいつに甘えてた」
その表情は自嘲。
確かめるまでの時間が掛かりすぎた、自分への。
「・・・で。お前はどうするんだ?ん?」
北斗はそんな冬哉に苦笑しつつも、本題を問い質した。
その問いに対して冬哉が浮かべたのは、先ほどまでとは違う笑み。
――柔らかな、微笑み。
少し哀しそうな、笑みだった。
「いつもの場所で、さ。あの子にお別れする」
そして告げたのは決別の決意。
「・・・そうか」
「ああ。そうしないと、俺も踏ん切りが付かない。多分、ね」
そんな冬哉の言葉に、北斗は苦笑。
「・・・難儀な」
「そうだな。
でもそろそろ・・・お別れしなきゃいけないよな。
忘れはしないけど。忘れる事なんて、出来やしないけど」
目を閉じ、思い出しているのは――
あの頃なのだろう。
少し楽しそうに。
でも哀しそうに。
微笑った。
そして、目を開けた時には既に違う表情。
――決意。
「でも、サヨナラを言わないと・・・俺は前に進めない」
そうして思い浮かべているのは――
「彼女の手を取ることも出来ない」
いつも、花信風に来る常連。
「だから、行ってくる」
少しばかりのんびりした、でも――
どこか。
気の強そうな、彼女の表情。
「美咲・・・行ってくる」
「ん。ちゃんと、報告するんだよ?」
美咲に見送られて、冬哉は花信風から一歩出た。
その手には、二つの花束。
一つは決別のための。
もう一つは決意の。
それらを手に、冬哉は美咲に振り返った。
「解ってる。そうしないと、彼女に何も言えないだろうから、さ」
そして手にした花束を少し揺らして――
「行ってくる、妹!」
「行ってこい、兄!」
そして冬哉は車を走らせる――
目指すのは、いつもの高台。
「や。また、来たよ・・・」
白が舞い落ちる中辿り着いた高台には人影は無く、ただ静寂のみが満ちていた。
「あの、さ」
冬哉は少し口ごもり、しかし決心して。
言葉を、紡いでいく。
「どこが、とか解らないし言葉にも出来ないけど――
気になる子が出来た」
それは多分――今はもういない、あの子――
さくらが、気にしてるだろうこと。
「やっと、人に恋することが出来たよ。
君以降、初めてだよ」
苦笑して、長かったよ、と呟いて。
「今日はそれを報告に来たんだ」
さらに、言葉を続けていく。
「俺は・・・君を置いて、幸せになってしまおうとしてる。
我ながら酷いな、と思う。
でも、さ。
・・・あの子と、幸せになりたいと・・・そう思うんだ。
君じゃないだれかと・・・」
微かに滲む涙に、気付かない振りをして。
「でも、さ。
一方的なお願いだけど、見守っていて欲しい。
道を見誤らない様に。
彼女を、幸せに出来る様に」
願いを、言葉にしていく。
痛みに耐えながら。
「――見守っていて欲しい」
そして。
呟いて、花束を放ろうとした瞬間。
「やっぱり、ここだった・・・」
響いたのは、その彼女の声。
「・・・ああ。なんで、ここに?」
放ろうとした花束を、ばつが悪そうに見つめ。
腕を元に戻して訊いたなら、
「訊いたんです。あの、花信風のバイトのひとに」
という答え。
冬哉は少し気まずそうに呟いた。
「美咲か・・・ふぅ。なんてか、タイミング良すぎだっての」
その呟きはあまりにも小さく、彼女には届かなくて。
だから、彼女は少しだけの沈黙のあと、問いを投げかけた。
「あの、訊いていいですか?」
決意を秘めた目で。
「あなたが、忘れられないその人は――どんなひとだったのですか?」
その、問い。
いつか答えなければならなかった問い。
それが今になっただけのこと。
だから冬哉は答えた。
「・・・そうだなぁ。
病気がちなくせに負けん気が強かった」
懐かしむように。
「笑顔が、良くてさ。
その笑顔のためなら何だって出来た。
何だって・・・出来たんだ」
涙を、滲ませて。
「好き、だったんですね・・・」
その言葉を口にしたとき、確かに彼女は辛そうだった。
でも、答えなければいけない。
それが義務だと。
冬哉は自分に言い聞かせ、答えた。
「・・・うん。ずっと、昔のことだけど。
あの子のこと、ずっと・・・好きだった」
「その子の名前、憶えてますか?」
その問いも予測していた問い。
だから、答えていく。
「さくらって呼んでたことしか・・・憶えてない」
その言葉に、彼女は驚いて――顔を伏せた。
「・・・・・・」
何かに、耐える様に。
そして流れた、沈黙の後。
「こんなことって、あるんだね・・・」
こう言って顔を上げた彼女が浮かべていたのは、笑顔。
笑いを堪えられない、と言った表情で。
笑顔のままで彼女は、囁く様に告げた。
「さくら・・・佐倉花耶だよ。とーや」
その台詞に、冬哉は凍り付いて。
「・・・・・・はい?」
思わず問い返して。
だから彼女は悪戯っぽく笑った。
「酷いなぁ。あたしのこと、死んじゃったと思ってたんだ」
その言葉の意味を考えて考えて、冬哉は結論。
思い切り勘違いしていた。
その事実につい、渇いた笑いを漏らしつつ、恨みがましそうに花耶に言った。
「・・・そりゃあんな別れ方すりゃぁなぁ」
驚きを隠せないまま、冬哉。
しかし――
「なんで・・・知ってる?
俺が、ずっとあのことを気にしてたこと」
そう、それが分からない。
しかしさくら――花耶は悪戯っぽく笑って。
「あのね。美咲ちゃん、全部教えてくれたんだけど」
言葉を、続けていく。
「冬哉が好きだったひとのこと、訊きたくて。
問いつめたんだけどね。
なんか、話聞いてる内にあれ、と思って。
で、その子の名前訊いたら・・・あたしじゃない。
びっくりしたよー」
そして苦笑。
「それに、花信風のあの子――あたしが、気にしてた子って美咲ちゃんだったんだもの。
嫉妬してたのがバカみたいだった」
そして、苦笑して。
何か、秘密を話すような表情になって。
あのころのことを花耶は話し出した。
「あのね。名前のことなんだけど――子供の頃、あたし自分の名前嫌いだったんだ。
だから、名字の方名乗ってたんだけど・・・
まさかこんな事になるなんて」
「・・・華々しくバカみたいだな、俺」
冬哉は安堵の涙を隠すために、今なお白が舞い降りる空を見上げて。
「名前は間違えて覚えてるわ、さくら――花耶が死んだと勘違いするわ」
なるべくバカっぽく話し出す。
そのことが解っているからだろうか。
花耶も、冗談めかして。
なるべく重くならないように、話を進めていった。
「あ、でも理由、あるんだよ。手術のすぐ後、お父さんの転勤が決まって。
それで、その場所が静かなところだったので静養ついでに・・・」
でも、とそこで花耶は言葉を句切り。
笑みを、消して。
真面目な表情で冬哉を見つめて。
言った。
「でもね、とーや。あたしはとーやのこと、忘れなかったよ」
「俺だって忘れてなかったよ・・・方向性は華々しく間違ってたけど」
「そーだ。酷いぞー」
そしてくすくすと、笑って。
「・・・こっちからもいいかな?」
冬哉の言葉を、待つ。
「随分変わってないか?いつもはそう、この・・・大人しいっぽいのに」
その言葉は、問い。
あまりにも変わった雰囲気に対する。
花耶は少しばかり気まずそうに笑いつつ、
「あ、あはは・・・嫌われるの怖くて猫かぶってた」
冷や汗など垂らしている。
だが、冬哉は少し呆れた表情。
「・・・なるほど」
「怒らないの?」
「なんで?どんなだろうが花耶は花耶じゃない」
あっさりと、肯定して。
だから、花耶は嬉しそうな表情を浮かべたが――
「・・・ん」
そして浮かべた幸せそうな笑みは、しかしすぐに曇って――
浮かべたのは、哀しそうな笑い。
「でも・・・ね。あたし、駄目なんだ」
「何が?」
至極当然な冬哉の問いに。
「ここに、ね」
花耶は、自分の胸元を指差して。
消えそうな笑顔で。
涙のにじむ笑顔で。
本当は言いたくなかったことを言った。
「手術の痕、残ってるんだ」
哀しそうに笑いながら、花耶。
その指は自分の胸を横切って。
「大きく、残ってるんだ」
そして冬哉に背中を向けて。
「だから、さ。
水着とかも・・・ビキニなんか着れないし、派手な服なんかも着れないし。
・・・こんなじゃ、ダメだよね」
結論。
したのだが、冬哉は思い切り大きな溜息一つ。
「はぁ・・・」
そして思い切り間を溜めて、一言。
「バカ」
呟いて、花耶を背中から抱きしめた。
「バカだよ、お前」
囁いて。
「俺は、さ。花耶がいてくれるってだけで嬉しいんだから」
強く、抱きしめて。
告げる。
「だから、お前も気にするな」
予想外だったのだろう。
花耶は、涙ぐんで。
「いいの?」
背中から抱きしめる冬哉の腕に、自分の手を重ねて。
「本当に、いいの?」
そして、問えば。
「当たり前だろ」
あまりにもあっさりとした、冬哉の答え。
でも、まだ不安なのだろう。
花耶は問いを重ねていく。
「あのさ。あたし、泣いちゃうよ?」
「泣きたい時は泣けばいいだろ?」
「あたし、嫉妬深いよ?
とーやが他の子と話してただけで、ひっぱたいちゃうかも知れない」
「そーゆーもんだろ?かえって光栄だな」
どこにも嘘のない、冬哉の答えに。
体中に伝わってくる温もりに。
ようやく安堵して。
「・・・・・・」
涙に滲んだ目を見開いて、冬哉の腕の中から花耶は見上げて。
冬哉はそんな花耶を見つめて。
言えなかった一言を告げた。
「・・・おかえり」
「・・・うん。ただいま、とーや」
なんていうか、全ては勘違いだった様で。
勘違いから僕は毎月の様に花を捧げ、彼女はそれを見て心を痛めていた。
自分よりも大切なひとができたんだな、と。
全部分かってしまえば、なんてバカなお話。
勘違いから始まった全ては終わり、新しい全てが始まる。
いつもの、あの高台。
眼下に今は荒れる海。
空からは白が舞い落ちて。
そんな中、映えるのは赤い傘。
「や」
心は急ぐのに、わざとゆっくり近付いて花耶の肩を叩く。
「や」
花耶のほうも、一瞬だけ少し驚いた様な顔を見せたけど、すぐに笑って片手を上げた。
「寒いね」
「寒いな」
「・・・・・」
花耶は少し不機嫌そう。
「本当、寒いよね」
「本当、寒いよな」
「・・・・・・」
あ。
更に不機嫌そうになった。
「ねぇ!」
「でもこうすれば暖かいだろ?」
うん、絶妙のタイミング。
花耶の方を抱き寄せてみたりする。
わはは、驚いてる驚いてる。
「うー、狡いよー」
呟きには気付かないふりで、更に花耶を抱き寄せる。
「寒いし、とっとと行こう」
「・・・ん」
こう言うと、花耶は幸せそうに頷いて、笑顔をくれた。
でも、時々見せる陰が気になっていたんだけど――
その理由を訊く前に、花耶の方からその理由を教えてくれた。
問い、と言ったカタチで。
「ねぇ、冬哉。冬哉はあたしのどんなとこが好きになったの?」
だけど、そんな質問には答えられない。
答なんか、見つからない。
だから、無理矢理答えてみる。
「子供の頃は、何でだったんだろ。・・・忘れたな。
再会してからも・・・正直、分からない。
どこが好きになったのか、なんて分からないな」
案の定、花耶は少し不機嫌な顔。
「でも、確かなことがあるな」
そう呟いて、車のキーを開ける。
「俺はさ、花耶。花耶が居るという事実だけで、幸せになれる」
伸ばした手の先には助手席のドア。
花耶には背中を向けたまま。
「それと、俺が花屋になったのは、さ」
ドアを開けて、手を伸ばす。
「花屋になったら・・・いつでも花耶に花を贈れるから」
そして振り向いて。
「そう思って、花屋になった」
差し出したのは、全ての想いを込めた花束。
「花耶。好きだぞー・・・」
花耶は花束を受け取って。
「・・・うん」
ただ、小さく頷いて。
「あたしもね。冬哉のこと、好きだよー」
シンプルな言葉を伝え合う。
そして、お互いに微笑った。
今日も風が吹いている。
風はずっと眠っていた言葉を揺り起こし、目覚めさせて。
想いを確かなものにする。
両手一杯に花を抱えて、
両手一杯に想いを抱えて、
たった一人の。大切なひとを。
僕は待ってた。
「ねぇ。もう一度、言って?」
「ん?」
「もう一度、『君が好きだよ』って。『君を待ってる』って」
僕は、彼女の願い通りに。
でも、そのまま言うのは少し癪なので。
「・・・・・・」
無言で、彼女を抱きしめて。
耳元で、囁く。
大切な、一言。
君のためだけの、ひとことを。