篝火花
どうすればいいのか、解らなかった。
僕の想い。
それは多分揺るがない。
でも、君の場所。
それを考えたら、この想いは口にするべきではないのかも知れない。
でも。
僕は、この想いを言葉にする。
勝手だって事は解っている。
君に迷惑がかかるかもしれないって事も解っている。
それでも、好きだから。
君は、笑うだろうか・・・?
こんな、僕を。
七尾正弥のこの1年は波乱に富んでいたと言っても良いだろう。
最高学年となった年、幼なじみの天羽かがりが新任の教師としてやってきたこと。
さらにはかがりが担任になったこと。
かがりに振り回されたあげく、事故に巻き込まれて骨折、入院していたこと。
毎日の様に友人達がやってきて、騒いだあげく立ち入り禁止になったこと。
友人達と入れ違いに、かがりが顔を出すようになったこと。
そのかがりに花瓶をベッドの上にぶちまけられたこと。
そのドタバタの中で治りかけた脚がまた折れて、入院が長引いたこと。
「・・・なんて1年だったんだろう」
思わず愚痴が口に出る。
「でも、悪くはなかったんでしょ」
曖昧な笑み――悪いとは解りつつも笑わずには居られない、という笑い――を浮かべつつ、北斗がほいとチャイを差し出した。
「悪くはないけど良くもないですよ」
ジト目で隣にいる女性を見る。
「う・・・悪かったです」
「反省してるなら何で俺はまた包帯を巻いているのでしょうか、天羽先生?」
にっこりと笑う。
「それは・・・えーと、あたしが投げたビーカーが七尾君に当たったから」
「そこだ!」
正弥、指さして指摘。
「何故にビーカーを投げますかあなたは」
あくまで笑みを絶やさずに。
「・・・ゴキブリがいたから」
居心地悪そうにかがり。
圧倒的に分が悪い。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無言で見つめる正弥と北斗に。
「えと・・・反省してます」
かがり、敗北。
「ならここ、かがりさんのおごりね」
嬉しそうに正弥が言うと、
「はい・・・」
かがり、承諾。
正弥はそれを受けて、少しだけ期待して更に。
「しばらくずっとね」
「はい・・・って、ええっ?」
承諾して驚愕。
「北斗さん、聞きましたよね?」
「聞いた」
救いのを求めて北斗に目を向けるも、北斗は既に正弥の味方。
「う・・・狡い」
がっくりと項垂れたのを見てさすがに悪いと思ったのか。
「嫌だったらいいけどね」
と正弥は言ってみたが、
「嫌なんて言ってないじゃない・・・全く、仕方ないなぁ」
かがり、結局承諾。
してふと時計を見れば、もう6時。
「そろそろ帰ろうか?」
先ほどまで落ち込んでいたのは振りだったのか、明るくかがりが言って。
「ん、そですね。そろそろ」
正弥は手をレシートに伸ばそうとしたが、かがりの手の方が僅かに早い。
「当分あたしのおごりなんでしょ?」
あっけらかんと笑って。
「・・・本気にしたんだ」
「本気じゃないの?」
驚いたような正弥と対照に、かがりは少し機嫌悪そうに言った。
「本気にしてくれたら嬉しいけれど」
フォローの言葉に。
「ならいいじゃない」
気をよくして、かがりはレジへ。
正弥は暫し、呆然としていたが。
支払をしているかがりを見ながら、北斗がぽつりと言った台詞。
「で・・・しばらくずっとってのは、要するに」
正弥はすぐさま反応。
「わ!内緒ですよ内緒!」
照れている。
あからさまに。
北斗は微笑いながら、問い質した。
「そりゃ黙っておくけどさ。いつ言うの?」
「今年のかがりさんの誕生日。キリがいいし」
嬉しそうに。
買うものも決めてるんです、と。
「そっか。上手くいくと良いね」
揺るがない想い。
それが嬉しくて、北斗は微笑った。
「はい。有り難う御座います」
正弥が礼を言ったと同時に。
「正弥君、帰るよー」
かがりの声。
「んじゃ・・・、俺行きます」
正弥はかがりの元に早足で向かった。
「本当。上手くいくと良いね」
仲良さそうに歩く二人を見送り、北斗はぽつりと呟いた。
「俺はやる!」
店を出るや、正弥は雄叫びを上げようとして止めた。
ここで奇異の眼で見られるわけには行かない。
「えーと、とにかく落ち着け俺」
買うべきものは手に入れた。
後は渡すだけ。
彼女はどんな表情を見せてくれるだろうか。
胸が高鳴る。
あとは彼女のもとに走るだけだった。
しかし、帰り道。
夜の繁華街。
正弥は見た。
見てしまった。
かがりの肩に腕を回している男。
年齢はかがりより上に見える。
男は満面の笑みを浮かべている。
かがりの表情は――見えない。
見えないが、嫌がっていないように見える。
仲良さそうな二人。
自分なんかよりもよっぽどお似合いの。
「そっか・・・そうだよな・・・」
馬鹿馬鹿しくなって、苦笑。
黙って立ち去ろうとしたその瞬間。
鈍い音が響いた。
「ん?」
何気なく振り向き、絶句。
かがりがその男を殴り倒していた。
一撃。
二撃。
三撃四撃。
膝蹴りまで交えて叩きのめしている。
「・・・・・・はっ!」
あまりの光景に暫し呆然としていたが、事態に気付いて駆け寄った。
「かがりさんかがりさん拙いって拙いって!」
かがりは正弥をも容赦無しで迎撃しようとしたが、目が合って。
「あは・・・あはははははは」
乾いた笑いを漏らした。そして問い。
「・・・見た?」
正弥は重々しく頷いた。
「見た」
少し困ったような表情の後、かがりは
「このことは他言無用。いい?」
声を潜めた。
「意味無いと思う」
呆れたように正弥。
「大丈夫、彼らはあたしに罪はないと証言してくれるから」
自信たっぷりのかがりに一抹の不安を覚え、正弥は思わず問いかけた。
「・・・そうなの?」
「そうなの。だってこいつ、いきなりナンパしてきたと思ったらあたしの胸つかんでくるんだもの」
痙攣している男に蹴りを加えようとするかがりを宥めつつ、正弥はギャラリーに問いかけた。
「・・・そうなの?」
「俺は見た!鷲掴みにしてたぞ」
「最低」
「スペクタクルだった」
どうやらかがりの言っていることは本当だったらしい。
正弥は溜息一つ。
「・・・そうらしいね」
それで安心したのか、かがりはにっこり笑った。
と、聞こえてくる音。
走ってくる音。
そして、言葉。
「おまわりさん、こっちです!」
瞬時に理解。
非常に拙い現状。
とるべき手段は一つ。
「・・・かがりさん」
「?」
「とりあえず・・・逃げよう!」
とりあえず正弥とかがりは疾走を開始した。
「こ・・・ここまで・・・来れば・・・」
息をつく。
「大丈・・夫だ・・・と・・・思・・・」
「そう・・・だ・・・ね」
ベンチに座り、冬の空気を胸一杯に吸い込む。
腕時計が表している時刻は20:48。
そして日付はかがりの誕生日。
深呼吸一つ。
正弥は自分に気合いを入れて、話しかけた。
「時にかがりさん」
「?」
きょとんとしているかがりに、とりあえず。
「かがりさんは狡いと思う」
「何が?」
よく解らない、と言った表情のかがりに不満をぶつけてみる。
「いつも天羽先生と呼びなさいとか言ってるくせに自分だけ正弥君と呼んだりすること」
「いいじゃない。二人きりのときは。それとも、嫌かな?」
微かに、愁いを帯びた声。
正弥は思わず苦笑を漏らした。
「えーと、一応誤解の無いように言っとくけど。嫌なんじゃなくて、狡いと言ってるの」
「?」
また、解らないと言う表情。
「自分は好きなときに好きなように呼ぶくせに俺には天羽先生としか呼ばせようとしないのは狡い」
「?」
言葉の意味を判断しかね、何か問いたげなかがりの目を。
「かがりさんはかがりさんなの、俺にとっては」
正弥は見つめて、はっきりと。
「えーと、それって・・・」
自分の感情を口にした。
「要するに、だ。かがりさんのことが好きってこと」
途端にかがりが赤くなった。
「ば・・莫迦!」
一度好きだと言ったら開き直れたのだろう。
「莫迦と言われても好きなものは好きだし」
あとは、渡すだけ。
「てなわけでこれ、誕生日のプレゼント」
正弥が差し出したのは、鉢植えが一つ。
「あ・・・シクラメン」
何でシクラメン?と問いたげなかがりに答える様に。
「カガリビバナって言うんだってさ。で、何となく買ってみた」
それと、と呟き。
照れながら、正弥は言葉を続けた。
「それと。上手く世話してやったら来年もまた咲くから。
今年も、来年も一緒に咲かせたいなと思って」
その言葉。
その言葉にがかがりの目に涙を生んだ。
「それと、もう一つ」
差し出され、開いた手の中には。
「今の俺にはこれが精一杯」
シンプルな銀のリング。
「もらってくれるとかなり嬉しい」
手渡されたものの、かがりは。
「莫〜迦」
指輪を正弥に戻した。
その真意を測りかね、考えあぐねている正弥の前に手が差し出された。
「こう言うときは、正弥君の手で、ね?」
安堵。
しながら、震える手で指輪を――
「この指にね?」
右手の薬指に。
「あの・・さ」
自分の指を彩っていく銀を見ながら、かがりは自分の想いを口にした。
「不安だったのはあたしの方。五つも年上だしさ」
思わず、正弥は突っ込みを入れた。
「とてもそうは思えないけど」
「む!そうなの!」
勢いが殺がれた、と少し不機嫌になったものの、右手の薬指に加わった銀に落ち着いたのか。
かがりは話を続けた。
「怖かったよ。あたしは好きでも、正弥君がどうかは解らなかったし。それ以上に、想いが知られるのが怖かった」
眼を伏せる。
ぽつりと、水滴。
不安から生じ、安堵によって流れたそれがかがりの手を濡らした。
「でも駄目だね。やっぱり我慢出来なかった」
顔を上げ。
そして、笑う。
正弥を。
正弥の目を、見つめて。
「好きだよ、正弥君。ずっと、ずっと昔から」
拍子抜けしたのか、あまりにも予想外だったのか。
正弥の反応はたった一言。
「・・・ありがと」
思わず、かがりは苦笑。
「お互い様だよ、それ」
そしてひとしきり笑ったあと、銀に彩られた右手を差しだし、かがりは告げた。
「とりあえずさ。これからもあたしを宜しくね。・・・正弥」
正弥は右手を優しく包み、かがりに答えて。
微笑った。
「これからも、俺を宜しく・・・。かがり」
それから、僕たちは何とか誰にもばれない様に付き合ってきたのだが、あっさりと彼女と僕の親には知られてしまった。
原因は単純。
彼女が寝ぼけてこう言ったそうだ。
「好きだよぉ、正弥ぁ」
・・・正直言って覚悟した。
引き離されること。
でも、諦めるつもりはなかった。
彼女を。
でも、何というか――
能天気なのか、それとも本気なのか。
僕たちの仲はあっさり赦された。
彼女の母親曰く、
「好きあってるなら良いじゃない」
僕の母親曰く、
「あんたにはしっかりした人が良いからかがりちゃんなら大いに賛成」
思わず顔を見合わせて笑ったのを覚えている。
今、僕たちの前には僕が贈ったシクラメンの鉢植えが一つ。
願わくば、来年も。
再来年も、この花を一緒に見られます様に。
僕の側に君がいて、君の側に僕がいられます様に。
君が、笑顔でいられます様に。
そう、強く。
強く、願った。
でもそれは絶対に叶う願い。
なぜなら。
僕たちに叶えることが出来る願いだから。
僕たちにしか叶えられない願いだから。
そして僕は君を見つめて、約束の言葉を口にする。
たった一言。
僕の、君のためだけの言葉を。