水綾織る流れに身を任せ〜杜若〜





 腐れ縁がある。
 生まれてこのかた十と数年、一緒にいた奴がいる。
 保育園や小学校、中学校はもとより高校挙げ句は大学まで一緒。
 その上クラスまで一緒と来た日には、腐れ縁というかワイヤーというか、もはやがんじがらめの様な気がしないでもない。
 そもそも誕生日が一緒っていう事自体なんだか凄まじい気がする。
 とはいえそれは決して嫌なものじゃなくて。
 えーと、なんて言うかその・・・心地良いわけで。
 だからと言って好きだと言ってしまったらどうなるか解らないけどでも言わないでいるのはもっと嫌だしああどうしよう。
 って、何悩んでんだ、自分!
 このまま言わないであいつを失うのは嫌だから言っちまえ言っちまえ!
 などと背中を悪意というか情熱というかわけのわかんない感情が後押しする。
 ――妄想とか思いこみとか言うかも知れないけど。
 なんにしても、幸いにも明日は誕生日だし。
 ちょっと気合いを入れてみようなんて、そう思った。





 新谷仁也の朝は早い。
 とはいえジョギングをしたり新聞配達をするわけではない。
 ただ単純に二度寝の微睡みを楽しむために早起きするのである。
 早く起きればその分長く楽しめる。
 そう。
 その為だけに早起きをするのである。
 ましてや今日は日曜日。
 邪魔をする者は現れない。
 そんな安寧に満ちた微睡みの中、夢と現実の狭間89.7cmほど夢側寄りで仁也はぼんやりふにゃふにゃ呟いた。
「ああなんたる幸福〜誰に何の気兼ねもなく二度寝出来る幸福感〜」
 だがその幸福は儚かった。
 浅い微睡みの中、聞こえてきたのは階段を上る音。
 そのリズムは決して家族のものではあり得ない。
 その証拠に。
「仁也!朝だよ!」
 ドアを開ける音は爆発音にも似て。
 響く声は猫も慌てて飛び起きる。
「あ・・・朝が・・・俺の朝が濁っていく・・・」
 苦悩に満ちた呟きを漏らす仁也を半眼で睨み付けながら、
「随分な言い様じゃない」
 こう言ったのは仁也の幼なじみの三矢美弥。
 生まれた日も一緒なら時間も一緒、以来今に至るまでずっと一緒に過ごしてきた存在である。
 しかし今の仁也にとっては二度寝の幸せを邪魔する存在でもある。
「事実だろーが」
 反論すれば、
「む」
 言葉通りにむっとする。
 しかしそれを気に留める暇はない。
「とりあえず俺はあと少し二度寝るのだ」
 だからとっとと帰れと言わんばかりに手を振る仁也。
 その態度に美弥はとりあえず腹を立ててみた。
「こいつ・・・どうしてやろう」
 だがしかし。
「・・・・・・」
「もぉ寝てる!」
 時既に遅く、と言うべきか。
 仁也は既に夢に更に10mほど近付いていた。
「お、おにょれっ!」
 そして美弥に宿ったのは――裂帛の気合い。
 まずは思い切りカーテンを開け、窓を開ける。
 入り込んでくる風は心持ち寒い。
 しかし二度寝の幸せに酔いしれている仁也には効果はない。
「師匠・・・行きます!」
 心の中の師匠に宣言し、右手を構える。
「あたしのこの手が光って唸る!」
 力を、込めて。
「仁也を起こせと輝き叫ぶ!」
 気合いを、込めて。
「ひぃぃぃっさつ!目覚ましフィンガァァァァァ!」
 仁也の頭を掴む。
 しかし仁也は起きていた。
 どうやら寝たふりをしていたのだろう。
 自分の頭を掴む美弥のその手を――
 ぺろん。
 と。
 そんな感じで舐めあげた。
「ひゃ!」
 予想外の出来事に、思わず手を放す美弥。
「ふっ。まだまだ甘いな」
 一方、何とも爽やかな表情、爽やかな仕草で仁也。
「な、な、なななななな」
「ナスカの地上絵?」
「が、がが、ががが」
「ガオガイガー?」
「がっでぇむ!」
 その言葉と同時に美弥は拳打。
 拳は何とも美しい奇跡を描いて仁也の頭頂に突き刺さった。
「おお!頭が痛い!」
 頭を抱えてのたうち回る仁也。
「割れてしまえそんな頭っ!」
 荒い息を吐きながら、美弥は激しく言い捨てた。
 1分ほどのたうち回った後、仁也は何事もなかったかの様に起きあがり、極めて平静な声で問い掛けた。
「で、今日は何用だ?」
「どこかに遊びに連れてけ」
「却下だ」
 短く返答した仁也の表情は待ったくもって平静で真面目なものだった。
 しかし、口元が微妙に笑っている。
「へぇ?」
 美弥はかなり良い笑顔で拳を握った。
「・・・謹んでご案内させて頂きます」
 それに負けたのか、仁也は震えながら承諾した。
 様に見えたのだが。
「と言いたいところだけどな。
 悪い、今日ははずせない用事があってな。ダメだわ」
 結局、辞意を表明した。
 その表情は真面目だったので――本当に、真面目だったので、よほど大切な用事があるのが解ったのだろう。
「そっか・・・ゴメンね」
 美弥は諦めた――あっさりと。
「いや・・・悪いな」
「いいよ。・・・じゃ、あたし帰るね」
 微かに微笑い、ドアノブに手を掛けて。
「あれ?帰るのか?」
「ん。だって一緒に遊べないんじゃいても仕方ないし」
 ドアを開き。
「そっか。んじゃな」
「うん・・・またね」
 乾いた音を立てて扉は閉ざされて。
 仁也と美弥を隔てた。
 厚い、厚い壁にも思える扉に美弥は寄りかかり――呟く。
「バカ・・・今日は――」
 仁也とあたしの誕生日、なのに。
 と。
 一方。
「悪いな――本当は一緒にいたいんだけどな」
 仁也は口の中だけで呟いた。
「だが、簡単に誘いに乗ったのでは男として・・・否、漢としては負けなのだ!
 そして漢には色々準備があるのだ。赦せよ・・・」
 仁也、漢泣き。
 やがて、美弥が家から出てきて――一度だけ、仁也の部屋を見た。
 その視界には――仁也は映らなかった。
 美弥は一つだけ大きな溜息を吐くと、300mほど離れた自分の家に向かって歩き出した。
 ――肩を落としたままで。
「本当、悪いな。
 でもな・・・覚悟してろよ?」
 待ってろよ、と呟いて――
 仁也は家を出る準備に移った。


 目当ての場所に辿り着き、
「こんちゃ」
 と声を掛けたなら。
「おっといらっしゃい。見ての通り俺はやや忙しげなのだが」
 そんな返事が戻ってきた。
 花信風。
 そんな名前の花屋の店主である彼は、忙しそう、というよりも何も出来ない状態にあった――すなわち、簀巻きにされていた。
 簀巻きにされたまま、実に無造作に転がされている。
 仁也は冷や汗を垂らしつつ、周囲に気を配りながら尋ねてみた。
「何やったんですか?」
 ここまでされる、ということは――それなりにとんでもない事をしたのだろう。
 その返答は、妙に明るい声でやってきた。
「おみやげのケーキの中にワサビを仕込んだ。
 こぉ、チューブ差し込んでにゅるるるる〜と。それだけ」
 冬哉は言いながら、それはそれは器用に起き上がった。
 まるで簀巻きにされてはいないかの様に。
 対する仁也は大きな溜息一つ。
「何でそんなことを?」
 冬哉はうむ、と頷いて。
「仕返し。普段の仕打ちからしたら可愛いものだと思うんだけど」
 乱暴で困ったものだ、と呟くや、
「冬哉が店をサボるからでしょーがっ!」
 瞬時に美咲が現れ、肘打を冬哉に突き刺した。
「ぐはぁっ!?」
 すっ飛んだ冬哉は机にぶつかり、上にあったものを撒き散らしながら再び床に倒れ込んだ。
「い・・・いいの・・・持ってんじゃねぇか・・・」
 冬哉、失神。
「あの」
「はっ!見られた!」
「いい?あなたは何も見なかった」
「いや、でも」
「あなたは何も見なかった」
「冬哉さんが・・・」
「見なかった」
「ハイオレハナニモミマセンデシタ」
 仁也、敗北。
 何でこんな目に、と泣いてしまいたくなった仁也の耳に届いたのは、妙に同情と共感に満ちた声だった。
「ほら酷いだろ?」
「ええ酷いですねって・・・ええ?」
 振り向く。
「え?」
「い、いつのまに・・・っていうか、何で?」
 冬哉が爽やかに微笑っていた。
「ふっ・・・!」


 では、先ほどの光景を再現してみよう。
 まず、肘打を受けた瞬間、冬哉は机の方に飛んだ。
 視界の隅にティッシュペーパーの箱とカッターを捉えつつ、それらが下に落ちる位置と自分の倒れる角度を計算・実行。
 跳ね飛ばされたカッターが簀巻きの上部、背中側から入る様に角度を合わせ、まずは脱出用の道具を確保。
 続いて床に落ちたティッシュの箱に肩が当たり、衝撃が緩和される様に倒れ込む。
 あとは気絶したふりをしながらちまちまと脱出の準備を重ねていって――
 今に至る。


「以上!」
 どーだと胸を張った冬哉に仁也は驚愕と共に一言。
「・・・ばけものですかあんたわ」
 一方美咲は本気で悔しそうに。
「くっ。今回はあたしの負けのようね!でも次はそうはいかないわよっ!」
 思い切り冬哉を指さした。
「ふっ・・・何度同じ台詞を聞いたかなぁ?」
 冬哉はふはははは、と悪役めいた笑いで返す。
 緊張が店内を支配し、一触即発の気配が漂った――かと思いきや。
「・・・とまぁ」
「遊ぶのはこれまでにしといて、と」
 あっちにおいといて、のジェスチャーを2人揃って、それはもう見事に動作をシンクロさせて。
「・・・息、合ってるし」
 仁也は思わず呟いて、2人に一度に睨まれた。


「んで、今日は?」
 このままじゃ埒が明かない、と冬哉が問い。
「花下さい」
 と仁也が答えて。
 更に、問と答を重ねる。
「花・・・たくさんあるけど何がいい?」
「貰った側が逃げ出すくらいの花束を」
 その答は意外だったのか。
「へ?」
 美咲は間抜けた声を出した。
「本気ですよ?」
 しかるに、仁也の口調は強い。
 迷いも、無い。
「高いよ?」
 冬哉が真面目に言っても。
「いいですよ」
 言葉は揺るがない。
「くっくっくっ・・・後悔するなよ?」
「う。早まったかもしんないけどいいです。やっちゃって下さい」
 そう。揺るがない。
「その意気や良し!」
 微笑い、手に取る。
 花束となる花を。
 思いを伝える手段となる花を。
 ガーベラ。
 霞草。
 オンシジウム。
 スナップドラゴン
 etcetc・・・。
 そんな花々を選び、束ねて。
 包み、リボンを添えて。
「ほい、上がり」
 華やかさと、暖かさの同居した花束。
 手に取りながら、仁也は不安そうに問うた。
「幾らですか?」
「ふっ」
「・・・あの」
 不安そうな仁也に、
「10,000円!」
 と言ったなら。
「はい、1万円」
 仁也はあっさり福沢諭吉を出してきた。
「こらこら本気にしたか?しかも払うか?」
 何故か慌てつつ、冬哉。
 その真意は――
「あいつに告白するためですし」
「を、言うね〜。10,000円と言いたいけど3,000円かな?」
 からかうため。そして。
「いいんですか?」
「いいんだよ。・・・美咲さん、文句はないね?」
 嬉しかったから、だろうか。
「言っても聞かないくせに」
 呆れた様な、しかし嬉しそうな声で美咲は呟き。
「よくおわかりで」
 分かってるんだけどな、と冬哉は苦笑した。
 苦笑して、
「んじゃ、後は――」
 仁也の背中を強く叩く。
「ええ。俺次第です、ね」
 少しだけ痛そうに、涙を滲ませながら。
 仁也は、店を出て行った。
 来た時と同じ、自信に満ちた足取りで。
「いいなぁ」
 美咲は本当に羨ましそうに、花束を抱えて出て行く仁也の背中を見ていた。
「おや美咲さんも憧れますか」
 少しだけ優しそうに、結構意地悪く訊いた冬哉の方に向き直りもせず、
「そりゃ、ね」
 答えて。
「ならばまず・・・」
 一瞬の躊躇。
 その後、躊躇したにしてはやたらきっぱりはっきりと冬哉は言い放った。
「まず、人をすぐ殴るのをやめやがって下さい」
「冬哉がバカなことやサボるの止めたら」
 対する美咲の返答もやはりきっぱりとしていたが。
「あはははは、無理!」
 言うや、冬哉は疾走開始。
「全く・・・」
 呆れつつ、しょうがないなぁと美咲は冬哉を見送った。
 しかし、その表情に浮かんでいるのは紛れもなく――


「うむ、なかなか酷い目に遭ってしまった」
 ほてほてと歩く。
「今日は――川沿いの道を歩くのも良いか」
 紫が水面に映り、揺れている。
「杜若、か・・・」
 呟く。
 花の名前を。
「え?花菖蒲じゃなくて?」
 不意に聞こえた声に振り向き、
「ありゃ」
 呟く。
「ども、です」
 少し眩しそうに目を細めて、
「杜若とかって、よく解らないんです」
 恥ずかしそうに、微笑った。
「まぁ、ぱっと見には。みんなアヤメ科ですし」
 少しばかり驚きながらも律儀に返してみる冬哉。
 さらに。
「杜若は生えてるのは水の中からですよね?」
 ほら、と指さしつつ。
「花菖蒲は、水中というか川縁とか。あと綾目は乾いたとこが好きですね」
「さすがお花屋さん・・・そっか、杜若かぁ・・・」
 口の中で呟き、
「じゃ、間違えないで済むかな、これからは」
 微笑った後。
 杜若杜若と呟きながら、立ち去っていく。
 冬哉は何となく見送り、首を捻った。
「なんだか――」
 言葉に出来そうで、出来ない。
 その言葉自体が無いかの様に。
 思い起こせないのでは無く、探せない。
「何を言おうとしたんだっけ?」
 呟いて。
 もう一度、川面を見る。
「いずれ綾目か杜若
 それともあるいは花菖蒲
 紫はゆらと水面に映り、か――」
 どんなに似ていても、それらは絶対に違う存在。
 記憶と、現実。
 それが似ていても違うことがある様に。
 自分に言い聞かせる様に。
「違うよなぁ、全然?」
 苦笑。
 どうしようもないなぁと呟いて、暫く、杜若を眺める。
 紫はまだ水面に揺れていた。





 美弥の家に着いた仁也はとりあえずドアを連打した。
 どどどどどど、とリズミカルな音。
 その音と同時に、
「美弥いるかいるなすぐ出てこい」
 声を掛ける。
 と同時に階段を駆け下りる音。
 仁也はそれを気にせずに宣言。
「いないなら勝手に入っちゃうぞいいかいいな」
「待てぇぇっ!」
 と同時に凄まじい勢いでドアは開かれ――
 仁也は後ろに飛んだ。
「出てきたな?」
「出て来るわよっ!」
 吐く息も荒く、美弥。
 相当に機嫌が悪いらしい。
「・・・で、何の様?今日はあたしに構ってる暇無いんじゃなかったの?」
「きついなぁ」
 やや寂しげに呟く仁也に、なおも冷たい言葉を掛ける。
「・・・用、無いなら」
「あるぞ」
「あるならさっさと言いなさいよ」
 苛々と、睨み付ける美弥。
 しかし仁也は対照的にのんびりと。
 自分の言葉を噛み締める様に――
「あのなー」
「何よ・・・」
「美弥」
「だから何なのよ」
「好きだぞー」
 自分の想いを、告げた。
 予想外。
 まさかこんな時に、こんな風に。
「それと、これな」
 こんな、花束まで渡されるとは思わなかったのだろう。
「莫迦・・・」
 美弥はようやくこう呟いた。
「んなこと言われてもなぁ」
「莫迦」
「バカバカ言うな」
 そして――仁也に抱きついて。
「・・・莫迦」
 少しだけ、泣いた。





 なんて言うか、美弥と付き合い始めてしまった。
 振られたらかなりショック受けてたかも知れないけど、たとえ振られたにしても――後悔はしなかっただろう。
 それは確信している。
 しかし実際には両思いだったわけで、いやもう嬉しいのなんの。
 夜空に向かってありがとうを叫びそうになったのはここ数年の一番の秘密だ。
 しかし運が良かったというか、なんというか好きでいてくれてありがとうというのが近いか?
 ま、何はともあれ美弥との縁は余計に強く、喩えるならば単分子ワイヤーを寄り合わせたくらいになったわけで。
 願わくば――
 願わくば、この腐れ縁がいつまでも続きます様に。