見上げれば白、日差しの中で〜木蓮〜





 そう、それは2月の始め。
 街を歩いていた僕は一人の少女とすれ違った。
 そう、すれ違った。
 ただそれだけ。
 なのに、何故か懐かしくて――
 思わず振り返った。
 すると。
 向こうも振り返っていて。
 その驚いたような表情は――
 僕がよく知っている――いや、知っていたものだった。
 5年前。
 僕たちは同時に、違う場所へと引っ越していった。
 引っ越していく君を僕はただ追いかけることしかできなくて。
 この手は届かなくて。
 無力さに、泣いた。
 それから2年ほど前にこの街に来て――
 そして君と再会した。
 聞けば、引っ越してきたばかりだとのこと。
 こんな事もあるもんだね、と微笑って――
 君は、手を伸ばした。
「また、よろしくね」
 と。





 笹井巧己は悩んでいた。
 と言うのも5年ぶりに再会した幼なじみ、志崎由衣が何を思ったのか、
「5年分と今年のだよー」
 と、バレンタインに大量のチョコを渡してきたからである。
 悩む。
 悩む。
 悩む悩む悩む。
 まずどういった意味なのかを悩む。
「まさか本命じゃあるまいし、とはいえ義理なら・・・あそこまで手は込んでないよなぁ?」
 本命だったらかなり嬉しいのだが、と溜息一つ。
「やはり・・・いや、簡単に信じてはいけない。
 男の大きな勘違い!
 そうだったときがあまりにも哀れだ」
 それがまず、悩みの一つ。
 そして更なる悩みとしては、
「何を返せばいいのか・・・
 アクセサリー?
 いやいや、バイトするには時間がない。
 何しろその日は目の前だ。
 クッキー?
 あまりにもひねりがない。
 手作りならともかく、そんな技術は俺にはない。
 花束?
 一見良さそうだが・・・
 勘違いだったらそりゃぁ哀しいぞ。
 そもそも本当に返すのか?」
 はふ、と溜息をもう一つ。
 どうするか、どうするべきか。
 悩みながらもとりあえず、自分が行くべき場所へ行くために体を起こした。
 すなわち、学校へと。


「巧己ちゃん、おはよ!」
「ああ・・・おはよ」
 声をかけてきた由衣に返事しながらも、巧己はひたすら悩んでいた。
「どしたの?」
「ああ、なんでもない・・・」
その表情が、あまりに暗かったから。
「本当に大丈夫?心配だよ」
 そう言いながら、由衣は匠の額に手を伸ばし、熱を測ったが――
「うーん、熱はないみたいだけ・・・」
「!」
 巧己に手を振り払われた。
「・・・あ・・・」
 そして巧己は――
 自分の行為に気付いて――
 走り去った。
 そして今日はずっと由衣に会わないようにしていた巧己だった。


「・・・というわけで」
 という、巧己の言葉に――
「阿呆かお前わ!」
 いきなり相羽辰也の鉄拳。
「うがぁっ!頭が割れるように痛い!」
 のけぞり、倒れ、のたうち回る。
 それを少しだけ見て、のほほんと矢島雅雪と片瀬三冬は。
「あ。知ってる?頭蓋骨ってば最初からヒビ入ってんだって」
「お前さ、目の前で人がのたうち回ってるの見て吐く言葉がそれかい」
「そう言いながらお茶すすってる君も酷いと思うけど」
「違いない」
 あははーと笑い合う
「ひ、酷い・・・酷いよ・・・」
「どっちが酷いのかな。よく考えてみな」
 という、雅雪の言葉。
 思わず考え込んでいたところに。
「あのさ、自分知らへんやろうけど。
 あの子、ここ5年誰にもチョコ渡してへんかってんで?」
 そんな辰也の言葉に――驚愕。
「本当・・・なのか・・・?」
「いや、適当に言ってみただけやけど?」
 でもな、と辰也は前置きして。
「お前がやったことは・・・相当酷いことやで?」
 どうすればいいのか。
 もう、分からない――
 そんな表情の巧己。
 考え込んだ と
「あのな」
 その辰也の言葉を断ち切って。
「ははは、関西弁のにーちゃんよ!
 なかなか鋭いぞ!花丸をあげやう!」
 そんな声。
「誰やっ!」
 振り返って誰何する辰也の耳に飛び込んだのは。
「貴様らに名乗る名前など無いっ!」
 そんな言葉。
 に、北斗は少し呆れたように。
「冬哉。何馬鹿やってんの」
「北斗。ばらしてはいけないばらしては」
 苦笑しつつも冬哉は巧己の方を向き。
「とま、冗談はさておき・・・
 悪いけど、彼借りるね」
 と、辰也達に宣言した。
「ふふふふふ、悪いようにはしないから」
 その言葉はあまりにも不吉に響いた。
「・・・」
 冬哉はまだ黙り込んでいる巧己の首根っこを掴んで――
「さっさと来る!」
 引きずっていく。
「ああ・・・巧己が・・・」
「拉致されていく・・・」
「ドナドナド〜ナ〜ド〜ナ〜♪」
 そんな巧己を生暖かい目で見送る友人達だった。
 が。
 途端に正気に戻る。
「・・・北斗さん。アレ、誰ですか?」
 その質問に、北斗は笑いながら答えた。
「もっともな質問だが・・・あいつが答えたとおりだよ。通りすがりの――かどうかはしらんが、花屋さん。今日は・・・花の配達かな?車だったし」
「・・・なんてデンジャラスな花屋さんだ・・・」
 思わず震える雅雪に、
「あいつ、あーゆー腑抜けたこと言う奴には厳しいから」
 少しばかり厳しい声で。
 しかし、少しだけ嬉しそうに北斗。
「友達、なんですか?」
「ああ」
 そして北斗は辰也たちの方を向き――
 告げた。
「とても大切な・・・友人だ」


 臨海公園。
 暦の上では春とは言え、まだ肌寒いこの場所で、冬哉は巧己を車から降ろした。
 そして、巧己が何か言う前に――問いかけた。
「さて・・・巧己君、で良いのかな?」
「・・・・・・何の、つもりですか?」
 胡散臭そうな巧己に、冬哉は笑いながら――告げた。
 その眼は、しかし――笑っていない。
「ん。お節介というか――ちょっと腹が立ってね。
 ホントのことを教えるために」
 柵まで歩き、振り返り――話を続ける。 
「辰也君が言ってたこと。
 彼は思いつきで言ってたみたいだけど――
 あれは本当のことだよ。
 彼女――由衣ちゃんは、5年間、誰にもバレンタインのチョコを渡していない」
 その、言葉に――巧己は失笑。
「なんで・・・分かるんですか?」
「彼女、店に花買いに来てね。
 嬉しそうに言ってた。
 5年ぶりに、巧己ちゃんに会えた。
 5年分、チョコ上げるんだ、って」
 そして、苦笑。 
「もっとも、本命かどうかなんて知らない。
 そんなことまで聞く趣味はないしね。
 でも・・・
 君は、ちゃんと応えるべきだよ。
 いや、彼女に応える、ってのとは違うな。
 自分の心の答を出さなきゃいけない」
 その言葉に、巧己は俯いたまま答えた。
「でも・・・もし、義理だったら――
 こんな格好悪いことないですよ。
 考えましたよ、色々と。
 どうすればいいのかって。
 でも――」
 まだ悩む巧己に、冬哉は一喝。
「格好悪い?
 格好悪いと言ったか君は?
 君はどっちが格好悪いと思う?
 彼女の想いが恋じゃなくても、君の想いが込もったプレゼントをするのと。
 彼女の想いが本物だった場合、適当にお茶を濁すようなプレゼントするのと。
 どっちが格好悪いと思う?」
 その言葉は、厳しくて、優しくいて、しかし怒りの色を孕んでいた。
「・・・・・・」
 巧己は、自分に問いかける。
 何を悩んでいる、と。
 別れのときの哀しみ。
 あれは嘘だったのか?
 出会えたときの喜び。
 あれは嘘だったのか?
 嘘じゃない。
 絶対に嘘じゃない。
「・・・・・・」
 顔を上げた巧己に、冬哉はもう一度問いかけた。
「もう一度聞く。
 どっちが格好悪いと思う?」
 そう問いかけられた巧己の眼はじっと――そう、じっと。
 冬哉を見据えている。
「俺は――」
 その眼の色を見たからか。
 冬哉はその表情を緩めて。
 巧己の次の言葉を待った。
「俺・・・!
 駄目ですね。
 人に言われるまで忘れてたなんて。
 由衣のこと、こんなに好きだったこと忘れてるなんて」
 そして巧己は――
 迷いを振り払った笑顔で、告げた。
「花束、作ってくれますか?」


「じゃ、俺・・・行きます」
「行ってらっしゃい〜」
 巧己を送り出したあと、少しサービスしすぎたか?と首を捻っていた冬哉に。
「冬哉」
 その、声。
 振り返るとやはりそこにいたのは――
「・・・げ、美咲」
 美咲は大きな溜息一つ。
「また・・・採算度外視?」
「あは・・・あはははは」
 乾いた笑いを漏らしつつ、冬哉は後ずさったが――
「でもま、大目に見てあげる」
 その声は、嬉しそうで。
 優しい。
「ひょっとして、見てた?」
「最初から最後まで」
 美咲はうんうん、と頷きながら苦笑。
「全く、お人好しなんだから」
「・・・性分でね」
 肩をすくめた冬哉に。
 美咲は、笑顔で。
「でも冬哉のそう言うところ、あたしは好きだな」
 こう言った。
 それを受けた冬哉も笑い。
「一応礼をいっとく。さんきゅ」
 こう、返せば――
 美咲は店先に出て、巧己の背を見ながら、願うように。
 言った。
「でも、さ。彼。上手く行くといいね」
「ああ」
 そう言いつつ、冬哉も。
「本当にな・・・じゃ・・・少しだけ、頼む」
 言いつつ、店先に出て。
「へ?配達終わったんじゃないの?」
「四季彩館にお茶代払うの忘れてた」
 そして疾走開始。


「いい、天気だな・・・」
 冬哉は四季彩館に向かってのんびり歩きながら空を見上げた。
「本当、いい天気だ・・・」
 店に戻ったら多分美咲に無茶苦茶怒られるだろうが。
「・・・ケーキでも買っておこう。少しは怒りが治まるかも知れない」
 うん、そう決めた、と歩を早めた冬哉に、その薫りは届いた。
 見上げる。
 そこには、木蓮の花。
「そんな、季節なんだな・・・」
 呟く。
「白く。
 白く。
 白く、咲きて
 風に薫り。
 雨に薫り。
 暁に仄かに。
 宵に密かに。
 木蓮はなおもそこにあり、か・・・」
 樹を見上げる。
 見上げたその花は、どこか優しくどこか物悲しい。
 そんな、白。
 空を見上げる。
 見上げた空は春の色に変わりつつある。
 そんな青。
「そして僕もまだここにいる――」
 微かに呟く。
 その人の名前。
 その名前の欠片が消えるか消えないかのうちに。
「どうも、です」
 と、声。
 振り向けば。
「この前とは・・・逆になりましたね」
 笑顔がそこにあった。
「何を考えていたんですか?」
 心配そうな声。
 冬哉は努めて明るく答えた。
「上手くいったらいいな、と」
「そうですか・・・上手くいったら」
「ああ」
 どこか、心配するような。
 どこか、懐かしい――そんな声に。
「あなたは・・・」
 思わず問いかけようとして――
「ん?」
「いえ。何でもないです・・・」
 断念。
 そして去っていく。
 春の風に背中を押されたかのように。
 彼女は、去っていった。


 その頃。
 志崎由衣は、と言えば―― 
「わ、何?その花束、どうしたの?」
 巧己が持ってきた花束にひたすら驚いていた。
 逃げてたのはびっくりさせるためだったのか、と納得。
「5年分の、お返し」
 照れたようにそっぽを向いた巧己に、思わず抱きついて。
「ありがとぉ!こんなのもらえるなんて思わなかった!」
 嬉しそうに笑い。
 泣いて。
 その表情を見た巧己は、自覚。
 ――ああ。
 ――やっぱり、こいつのこと・・・好きだ。
 と。
 背中を押してくれた人がいる。
 心配してくれている人がいる。
 そして、自分の言葉を待っている人がいる。
 ならば。
 このままずるずるとこんな関係を続けるのは――裏切りだ。
 いや。それ以前に。
 自分の心が赦さないだろう。
 だから、言うだけ。
「なんでこんな簡単なことに悩んでたのやら」
 苦笑し、由衣を見つめて――
「これが俺の答。
 由衣。
 ずっと、好きだった。
 出会ったときから、ずっと」
 その言葉。
 欲しいと思っていた言葉。
 それが、告げられ――
「え?あたし、本気にしちゃうよ?」
 思わず、聞き返したら。
「本気にしてくれないと困る」
 そんな言葉。
「・・・じゃぁ」
「ああ」
「これからも」
「ずっと」
「よろしく」
「・・・由衣」
「・・・巧己ちゃん」





 空が、青い。
 僕はずっと忘れていた。
 空がこんなに青いこと。
 あの日。
 さよならしたのは、俯いていた日々。
 そして始まる、君と過ごすだろう日々。
 僕は空と花を見上げながら君を待つ。
 見上げた空の青。
 彩るように木蓮の白。
 僕はそっと目を閉じる。
 解らなかった色々なことを感じるために。
 柔らかな日差し。
 微かに過ぎゆく優しい風。
 そして、遠くから――
 駆けてくる君の足音。
 心地よいリズムで僕の待つこの場所に向けて。
 君が走ってくる。
 途端に強く感じる。
 君の、存在を。
 もう少し。
 あと少し。
 それで君に逢える。
 君の存在感がとても、とても強くなって。
 目を開けたら、すぐそこに君の姿。
 そして、君の声と一緒に――
 ほら。
 春が、来た。