行潦〜水無月〜
いつからだろう?
君が笑わなくなったのは。
僕は無力さを感じていた。
僕がもっと強ければ。
僕がもっと君に近ければ。
その涙を拭うことが出来るのに。
でも僕は君に近くて、遠い。
どうすればいいのだろうか?
僕は、どうすれば・・・
しとしとと。
しとしとと、雨が降っていた。
(雨は、嫌い。――寂しくなるから)
あたしは誰に言うともなく、呟いた。
すぐ横を歓声を上げて子供が駆け抜けていく。
あたしはそれを何の感慨もなく見ていた。そして。
「あたしにもあんな頃、あったのかな?」
何とはなしに呟いた。
その響きが哀しくて、あたしは眉をひそめた。
「なんだかなぁ・・・」
あたしは憮然と呟き、そして地面に俯く。
「やまないな・・・」
傘を両手で持つ。
風に飛ばされた風があたしの手を濡らした。
濡れるアスファルト。そして川のように流れる雨水。
雨は当分上がりそうもない。
「雨は、嫌い・・・」
あたしはそう呟き、自分の肩を抱いて――
そして、独りで泣いた。
「今日も雨か・・・」
名越晶久は呟きながら、桂木雫のことを思いだしていた。
2歳年上の幼なじみ。
最近、妙に元気がない彼女のことを。
(やっぱり好きなんだよなぁ)
と自己分析。
『しのぶれど いろにでにけり 我が恋は ものやおもふとひとの問ふまで』
とはよく言ったもので、ことある毎に
『お前、悩みでもあるの?』
と言われる。
そう言った奴は自分の色恋沙汰には疎いのが腹立たしいと言えば腹立たしかったが。
(まぁ、相談に乗ってもらったら少しは楽になるだろう)
そんな軽い気持ちで相談を持ちかけることにした晶久であった。
「悪い、四季彩館に付き合ってくれるか?」
「ん、別にいいぞ」
と鷹介。」
「いいけどさ」
と貴哉。
亮平は
「あ、俺今日はパスね」
と辞意を表明。
「・・・彼女のとこか」
「ああ。約束してたし」
顔が緩んでいる。
「束の間の逢瀬を邪魔することも無かろう。ところで慎太郎は?」
と晶久が問えば、
「翠に引きずられていった。『映画館に行くよかまぁん!』だと。恭史郎と晴日は『面白そうだから見てくる』だそうだ」
やれやれ、と呆れた声で貴哉。
「あ、悪趣味な・・・」
鷹介は冷や汗を垂らしている。
そして四季彩館。
隅のテーブルに陣取って、鷹介はいきなり晶久に問い質した。
「晶久、桂木先輩のこと好きだろ?」
「好きだよ」
「あら、あっさり認めたね」
「隠しても意味ねぇし」
「で、好きだって言ったの?」
「言う前にフられた」
「は?」
「『あたしは誰とも付き合う気は無いわ』だそうだ」
「あらら・・・」
「『あたしに構わないで』とも言われたな」
「うわぁ・・・」
「もちろん『嫌だ、構うぞ』と返したぞ」
「嫌だ、って・・・」
「胸を張るところか、そこ」
「かなり驚いてたな」
「そりゃ驚くわ」
北斗はそんな3人の会話を楽しそうに聞いていた。
思わずくく、と声を漏らして。
「ん?俺、なんか変なこと言いました?」
「いや、真っ直ぐだなぁと思ってね」
また、くすりと笑う。
「そりゃぁ俺は雫姉一筋ですから」
「そーいやそうだな。お前告白されても断ってもんな」
「肝心の雫姉にはいくら好きだと言っても冗談だと思われてるけどな」
「お前シチュエーション考えてる?」
「あ、それ盲点」
「貴哉、お前が言うなお前が」
そんな会話に苦笑しつつ、晶久。
「・・・真面目に言うのって照れるじゃないか」
しかしそんな晶久に北斗は軽く、何でもないことだといった風に話しかけた。
「でもね。真面目に言わなきゃ伝わらないこともあるよ」
その声は、優しく響いた。
「本気なら、その本気を見せなきゃ」
だから、と言うわけではないだろう。
ただ単に、軽く背を押されただけ。決めていたことへの第一歩。
北斗の言葉は、その手助けをするだけ。
「・・・俺、雫姉迎えに行ってくる」
そう決心した晶久。
それに応え、
「男は度胸だ!」
と鷹介が背中を叩き、
「坊主も読経だな」
と貴哉が茶々を入れる。
「貴哉、気が抜ける気が抜ける」
「あまり気合い入れすぎるなってことだよ。・・・そう睨むなって」
「気合いが根こそぎ抜けていったぞ・・・」
「褒めるなよ。照れるなぁ」
本気で照れた風な貴哉。もちろん演技だが。
「褒めてねぇ!」
晶久は怒りながらも、目は笑っている。
それを横目に見ながら笑っている北斗。
足下には丸くなって眠っている猫。
穏やかな時間が流れていた。
「おし!じゃぁ雫姉に会いに行ってくるぜ!」
顔をぱん、と叩いて気合いを入れた晶久を、
「いってらっさ〜い」
鷹介はそう言って見送った。
貴哉は晶久に近づき、背中を叩いた。
「行って来い!」
「おう!」
そして、駆け出す。
と思ったら戻ってきた。
「傘、忘れた」
お約束といえばお約束。
「行ってらっしゃい」
気が抜けている鷹介と貴哉を横目に、北斗は笑って送り出した。
「はい!」
そして再び駆けていく。
全力で。
と思ったらまた帰ってきた。
「お茶代払うの忘れてました」
「「「いいから行って来い!」」」
これもまたお約束といえばお約束。
校門で待つ。
ひたすら待つ。
思い人が出てくるのを。
小一時間も過ぎた頃だろうか。
ようやく、雫が出てきた。
晶久は迷わず、近付いていく。
晶久の姿を認めて、雫は一瞬嬉しそうな顔を浮かべたが――
すぐに顔を強張らせた。
「雫姉、一緒に帰るぞ」
既に確定事項のように話しかける晶久。
しかし。
「あたしに構わないで、と言ったはずだけど?」
雫はあくまでも冷たい。
しかし、晶久は退く気はなかった。
「嫌だと言ったはずだな」
「何で?」
「分からないのか?」
「分からないよ。とにかくもうあたしには構わないで」
「嫌だと言ってるだろうが」
「なんでよ?」
「本っ当に分からない?」
「分からないわよ。」
「くそ、なんだか悔しいぞ」
「何を言いたいのか分からないけど、あたしに構わないで」
「絶対嫌だ」
「何でよ!」
「分からないのか!?」
「分からないわよ!もうあたしに構わないでって言ってるでしょ!」
「だから嫌だと言ってるだろう!」
「なんで構うのよ!」
「雫姉のことが好きだからに決まってるだろうが!」
「またそうやってからかって!いい加減にして!」
「からかってないって!」
「じゃぁあたしのどこがいいの!?」
「解るか!」
「そんなときはお世辞でも声が綺麗とか顔が可愛いとか言うものでしょ!」
「俺はお世辞が言えないの!」
「胸を張って言うこと?」
「別にいいじゃないか!」
「良くないわよ!」
言い争っているうちに、不意に笑いが浮かんだ。
「・・・俺たち何やってんだろ?」
「・・・わからないわよ」
何も考えずに、誰かが見ていることも構わずに、ただ、笑った。
ひとしきり笑った後、晶久が切り出した。
「俺、さ。多分、雫姉の全部が好きなんだと思う。だからどこが好きかなんて言われても困る」
「え?」
びっくりした様な目で、雫。
「本当、なの?」
「冗談でこんなこと言えるか」
照れた顔で、そっぽを向きつつ晶久。
「でも・・・晶久、この前女の人と楽しそうにしてたじゃない」
「?」
「ほら、先週の土曜日。四季彩館で仲良さそうにしてたじゃない」
「ああ」
ぽん、と手を叩く。
「あ、水澄さんね」
「え?水澄・・・なの?」
また誤魔化して、と言う目で睨む雫。
しょうがないなぁ、という顔の晶久。
「うん」
「でも、何か仲良さそうだった・・・」
少し辛そうな雫。
絞り出すように、言葉を紡いでいく。
「楽しそうだったから、本当に楽しそうだったから、あたし・・・!」
俯いて。
「悩んだんだよ。凄く、凄く悩んだんだよ・・・」
俯いたまま、涙が零れる。
「だからあたしから離れようと思った。あたしが居たらきっと邪魔になるから。晶久と彼女の邪魔しちゃうから、って・・・」
零れた涙が、テーブルを濡らした。
それを見たのか見ていないのか、晶久は告げた。
「あのね、水澄さんは従姉妹。それ以上でもそれ以下でもないよ。それに仲が良くて悪いことはないでしょーに。それと水澄さん、好きな人居るよ」
「・・・」
雫の肩が少しだけ、揺れた。
好きな人、という言葉に反応したらしい。
それを眺めつつ、晶久は言葉を続けた。
「ちなみにそれは俺じゃない」
途端にほっとする雫。
「それとね、雫姉一番大切なことを忘れてる」
「大切な、事・・・?」
「俺の気持ち。俺が好きなのは雫姉だから」
そう言って笑う晶久。
それを聞いて雫は真っ赤になった。
「でも、そっか。雫姉、妬いてくれたんだ」
「・・・そうよ」
顔を上げて。
「そうよ!妬いてたわよ!悪い!?」
「いや、悪くない。それどころか嬉しい」
その言葉を聞いた途端、更に真っ赤になる雫。
真っ赤になりながらようやく出せたその言葉は、
「馬鹿・・・」
だった。
「馬鹿とは失礼だな馬鹿とは」
「馬鹿、だよ」
すん、と鼻を鳴らして抗議する雫。
どうやら涙が零れていたらしい。
さっきまでのは悲しみの涙だった。
しかし、今流れているのは喜びの涙。
晶久は不意に雫に向かって手を伸ばし――親指で雫の涙を拭った。
「全く、狡いね」
くすぐったそうにしながら、雫。
「何が?」
雫の顔に手を当てたままで、晶久。
「こんな時、凄く優しいんだから」
晶久の手に、自分の手を重ねて。
「でもね、あたし・・・」
深呼吸一つ。
「晶久くんのそんな所が・・・」
晶久の目を見つめながら。
「結構気に入ってるよ」
「・・・結局好きとは言ってくれない訳ね」
ぼやく晶久に、雫は一言。
「精進、してね」
そして笑った。
(そう、もう少しじらさなきゃ。今まであたしが悩んできた分仕返ししなきゃ、ね)
悪戯っぽく笑う雫。
「・・・精進かぁ」
呟く晶久。
雨は今日も降り続いている。
だけど、今日の雨はどこか暖かかった。
そんな6月のある日の午後。
しとしとと。
しとしとと、雨が降っていた。
「雨は嫌いじゃないよ。寂しくても、君がいるから」
あたしはあなたに聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。あなたは怪訝そうな顔であたしに振り向く。
すぐ横を歓声を上げて子供が駆け抜けていった。
あなたはそれを微笑いながら見ていた。そして。
「俺にもあんな頃あったんだよなぁ」
感慨深そうに呟く。
その響きが可笑しくて、あたしは笑った。
「なんか変なこと言ったか?」
あなたは不思議そうに言い、そして空を見上げる。
「あ、晴れたな」
傘を閉じる。
微かに、湿った風があたしたちの髪を撫でた。
雲の切れ間に青い空。そして橋のように架かる虹。
明日はきっと晴れる。
「虹が出るから、雨もそう悪くないね」
あなたはそう言って、あたしの手を引いて――
そして、二人で微笑った。
いつからだろう?
君がすぐ側で微笑っているのは。
僕はただ、嬉しかった。
君が微笑っていることが。
何よりも君が僕のすぐ側にいることが。
僕は君の微笑みを護れるだろうか?
自分に問いかけようとして、止める。
そう、ただ誓えばいいのだから。
僕は、君の笑顔を守り抜く、と。
次回予告
雨――雨が降り続ける。
降り続ける雨の中、僕は君の言葉を思い出す。
『止まない雨なんてないし、明けない夜もないよ』
僕は、忘れない。
どんなときも笑顔をくれた君を。
四季彩記・風待月『八重雨』
僕は――微笑えているだろうか?