桃花源
一人、街を見下ろす丘に来ていた。
この丘――展望台のあるこの丘の周りには四季の花が植えられており、今は桃の花が咲いていた。
ほの紅く、微かに薫って咲くその花。
思い起こすのは幼い日。
帰ることなど叶うはずもないあの日々。
思い出すたびに――
悔恨に襲われていた。
あの頃は無邪気だった。
そして、残酷だった。
色々なものを傷つけた。
色々なひとを傷つけた。
今も心に残るのは――
痛みを呼び起こすのは――
年下だった、その子。
しょっちゅう連れ出していた。
山へ。
海へ。
河へ。
連れ出していた。
こっそり連れ出した時のその子の笑顔が好きで。
とても、とても大好きで。
その笑顔を引き出せたことが誇らしくて。
叱られても叱られても連れ出していた。
でもあのときの僕は知らなかった。
その子は、病気だったと言うこと。
激しい運動を禁止されていたこと。
あの日、公園には桃の花が咲いていた。
僕はその光景に心を奪われて。
とても綺麗だと思って。
だから、その子にも見せてあげたいと思って――
また、連れ出した。
連れ出してしまった。
綺麗だと言ってはしゃいだその子の笑顔。
その大好きな笑顔を浮かべたその子は。
急に。
急にうずくまり――
みるみる蒼くなっていった。
僕は、
その子を、
ただ、
抱きかかえて、
震えて、
震えて、
震えて助けを呼ぶことしかできなかった。
助けてよ、と。
誰かこの子を助けてよ、と。
泣き叫ぶことしかできなかった。
すぐ側にいた大人が救急車を呼んでくれて、その時は事なきを得たのたけれど。
そのあと、
父親に、
思い切り、
殴られても、
あのときの、
あの子の、
あの表情が、
辛そうな、
苦しそうな、
でも嬉しそうな、
あの表情が、
頭から離れなかった。
そして、その子と両親はどこかに去って――
そのあとのことは、知らない。
ごめんなさいも。
頑張っても。
何も、何も言わせてくれないまま。
彼らは結局帰ってこなかった。
その意味が分からないほど子供だったら良かった。
でも、その時――
その意味を知る程度には、大人になってしまっていた。
そして、その意味を理解したとき――
僕は、泣いた。
そして気付いたもう一つのこと。
どうやら僕はその子のことが好きだったと言うこと。
そう。
こうして僕の初恋は――終わった。
そしてそのまま。
僕はまだここに居る。
僕はあの子を連れ出したこと自体は後悔していない。
あの子の笑顔を引き出すことが出来たのだから。
絶対に後悔しちゃいけない。
後悔していることがあるとすれば――
あの日、あの子が引っ越した日に会えなかったこと。
もしかしたら。
あのとき、もしも――
頑張って、と。
そう言えたのなら。
もしかしたら手術は成功していて。
なんて思うことがある。
その思いは痛みとなって蟠り、
未だに僕を嘖む。
そして苦笑。
今更――
何もかも今更のこと。
そう。
僕はずっと後悔し続けてきた。
だから、どんなことについても――
僕は、僕の周りの人達に後悔して欲しくない。
目を閉じる。
あの子の好きだった、花の香りに包まれて。
目を開ければあの頃から変わらないようでいて変わってしまった街。
そして見下ろしている僕は変わっているのだろうか?
変わったようにも思える。
変わらないようにも思える。
ただ言えるのは、僕は――
温もりを求めてしまっている。
自嘲しつつ、実感。
そう。
僕は温もりを求めている。
でも、本当に――
求めて良いのか、まだ迷っているのも事実。
こんな僕を見たら多分――
あの子は笑うんだろうけど。
人は温もりを求める。
それを弱さという人もいる。
しかし――
弱いことは罪なのだろうか?
いや、それは本当に弱さなのだろうか?
仮にそれが本当に弱さだったとしても――
それでいいんじゃないかと思う。
そんな弱さ。
僕はそんな弱さを肯定する。
だから。
温もりを求め、足掻いている人を助けたいと思う。
自分が足掻いていない人には気付かせてあげたいと思う。
それは傲慢なのかもしれない。
でも、やはり――
動かずにいられないのは業なのだろうか?
それとも――罪滅ぼしなのだろうか?
どっちでもいい。
ただ、僕は――
僕の側にいる人に、笑って欲しい。
そう、思う。
もう一度目を閉じる。
感じるのは日差し。
季節の風。
そして。
微かに、街の喧噪。
人の営み。
こんなにも。
こんなにも暖かい街。
そこで、僕は生きている。
見て、いるか?
見ているだろうか?
君は、見ているだろうか?
僕は、まだここにいる。
君の笑顔を忘れないまま、ここにいる。
君の笑顔を抱いたままでここにいる。
だから。
遠くで。
もしかしたら、近くで。
君には――
笑っていて欲しい。
それで僕は進んでいける。
多分、きっと。
君を忘れないままで。
僕は、誰かに恋をする。