夕時雨〜暮古月〜
雨が降っていた。
紅葉が濡れていた。
冷たい、雨。
その場所に至る道は、静かで。
とても静かで。
でも、寂しくて。
溜息を一つつく。
雨は当分上がりそうもない。
あの人にはじめて会ったのは雨の日だった。
お姉ちゃんに連れられてきたあの人は少し困った様な顔で――
大きなくしゃみを一つした。
その後、あの人はお姉ちゃんが拾ってきた猫に引っかかれたりお父さんに思い切り飲まされて潰れたりと、本当に大変だったのを覚えている。
それが良かったのだろうか。
あの人とお姉ちゃんは、急に仲良くなっていった。
映画に行ったり、コンサートに行ったり。
ただ猫と遊んだり。
そうしているうちに、あの人とお姉ちゃんはいつの間にか付き合いだした。
ごく、自然に生まれた関係。
好きだとも言い合うこともなく、いつの間にか付き合っていた――そんな感じ。
何だかもどかしくて。
でも、暖かくて。
あたしは――
そんな二人が大好きだった。
でも、唐突に。
本当に唐突にお姉ちゃんが倒れて。
二人の恋は、静かに、とても静かに壊れていった。
想いが無くなったわけじゃなく、小さくなったわけでもないのに。
あの人と。
お姉ちゃんの恋は。
壊れていった。
でも、想いは更に深くなったんだと思う。
だって、最後のお姉ちゃんはとても幸せそうだったから。
最後の日。
あの人は、お姉ちゃんにはじめて好きだと言った。
お姉ちゃんは嬉しそうで。
本当に、嬉しそうで。
でも、それは最後だったから。
本当に、最後になってからだったから。
あの人は、泣いていた。
だたしも、哀しくて。
とても哀しくて。
泣きそうになった。
でも。
最後にお姉ちゃんはあの人に微笑ってって言った。
とても、とても幸せそうな顔で。
あの人は、お姉ちゃんに応えるために微笑って。
お父さんも。
お母さんも。
あたしも、何とか――微笑って。
お姉ちゃんを見送った。
それが、お姉ちゃんのお願いだったから。
そして。
あの人に手を握られて。
お姉ちゃんは。
逝ってしまった。
お姉ちゃんの葬式。
ずっと、あの人は泣かなかった。
お父さんも。
お母さんも。
泣かないでって言うのが、お姉ちゃんの最後のお願いだったから。
でも、駄目だった。
あたしは泣いてしまった。
泣いてしまったあたしを、あの人は一所懸命に慰めようとして。
泣きやんでも、側にいてくれて。
だからあたしは安心して、いつの間にか眠りについていた。
本当に安心して、眠れた。
お姉ちゃんが拾ってきた子猫たち。
あの子たちの温もりが、嬉しくて。
あの人の手の温もりが、嬉しくて。
本当に、嬉しくて。
あたしは、眠りにつけた。
その、明くる日。
あたしはまだお姉ちゃんが逝ってしまったことが信じられずに、お姉ちゃんが眠っているあの場所に向かった。
海の見える、場所。
とても綺麗な、場所。
そこで。
あたしは見てしまった。
お姉ちゃんのお墓の前であの人が泣いていたのを。
ごめん、って言って。
今だけは泣かせてくれと言って、泣いていた。
そんなあの人を、慰めたくなって。
でも、あの人の背中は救いを求めてなくて。
でも、思わず。
声を掛けてしまった。
そして、背中から抱いてしまった。
あの人は。
驚いた様な、照れた様な顔で。
見つかっちゃったね、と笑っていた。
その笑顔が、痛かった。
とても、痛かった。
あたしには何も出来ずに。
ただ、側にいることしか出来なかった。
でも、あの人はあたしが側にいる限り微笑い続けた。
大丈夫だよ、って。
あたしを安心させる、そのためだけに。
あの人を助けたくて。
でも、あたしがいるからあの人は耐えなきゃいけなくて。
でも、1人にしたくなくて。
悩んだ。
悩んで、悩んで、悩んで。
得た、結論。
あたしは――
あの人を支えたい、と。
そう思った。
あの人よりもずっと歳は下だけど、そう思った。
それからずっと、背中を見つめてきた。
優しい、背中。
人のために傷ついて。
人の背中を押して。
人の恋にはすぐ気付いて。
そのくせ、自分のことには気付かなくて。
鈍感な、あの人を――
いつの間にか、好きになってた。
そして、それがあたしの初恋だった。
お父さんはお姉ちゃんが逝ってしまった後、会社を辞めた。
本当は店をやりたかったんだ、と言って笑って――
そして、出来たのが四季彩館。
あの人は開店と同時に四季彩館でアルバイトを始めた。
毎日の様に、あの人はアルバイトしていた。
だから、あたしも来ていた。
あの人に会いたくて。
ただ、あの人の声を聞きたくて。
あの人の姿を見ていたくて。
あの人の存在を全身で感じていたくて。
それからのあたしは、あの人と一緒にあった。
あたしの受験勉強。
思ったよりも厳しくて、少しびっくりした。
あの人の寝顔。
思ったよりも子供っぽくて、少し嬉しかった。
あたしの受験。
あたしよりもあの人の方がおろおろしていて、心がかえって落ち着いた。
あの人の卒業式。
あたしの卒業式。
桜並木の中、2人で歩いて。
躓いたあたしをあの人が支えてくれて。
そこを狙っていた様にお父さんがカメラで撮って――
その写真は――あたしにとっては宝物。
見てるだけで照れるけど。
でも、とても大切な宝物。
そして――
卒業と同時に、あの人は四季彩館に就職した。
あたしも四季彩館でアルバイトを始めた。
少しでもいい。
一緒に、居たかったから。
そう。
あたしは。
あの人しか、見えない。
四季彩館でのあの人は――
哀しくて。
寂しくて。
悔しくて。
でも、微笑って――
自分の心を削りながら微笑って。
他の人たちのために走って。
そして、幸せになった人たちのために微笑って。
まるで、贖罪だと。
最後まで好きだと言えなかった贖罪だと言うかの様に。
他の人の恋のために、ただ、走っていた。
あたしは知っている。
諦めた人を見たときの、あの人の寂しそうな目を。
動いた人を見たときの、あの人の嬉しそうな目を。
他の誰もが知らなくても、あたしは知っている。
だから。
あたしも。
動いてみよう。
そう、思った。
だから今、あたしはここにいる。
あの人が、愛した人。
あたしの、お姉ちゃんが眠るここに。
あたしは、来ている。
お姉ちゃんのお墓には、あの人が持ってきた竜胆の花束。
嬉しいけど、哀しかった。
あの人はまだお姉ちゃんを忘れていない。
あの人はまだお姉ちゃんのことが好きなまま。
忘れてなんて言わない。
忘れて欲しくない。
でも、少しでいい。
少しでいいから、あたしの方を向いて欲しい。
ただ、それだけ。
ただそれだけなのに、何でこんなに難しいんだろうか。
でも。
難しくても、あたしは諦めない。
あたしは、諦めない。
見上げれば、星が出ていた。
吹いてくる風は冷たくて。
側にいて欲しいあの人は居なくて。
1人でいることを思い知らされる。
想う。
もしもあの人が側にいてくれたら。
もしもあの人が笑いかけてくれたら。
もしもあの人があたしの方を見てくれたら。
どんなにいいだろう。
でも、そう思うたびに、涙が出てくる。
お姉ちゃんはもっと一緒に居たかったんだろうと。
ずっとずっと一緒に居たかったんだろうと。
痛いくらいに解る。
解りすぎるくらいに解る。
けど・・・でも――
御免ね。
お姉ちゃん、御免ね。
でも・・・駄目なんだ。
止められない。
止められないよ・・・
あたしは・・・
あの人のことが、好きです・・・
いつの間にか、君は心に入ってきていた。
いつの間にか、君に心が向かっていた。
君はいつも笑っていて。
君は僕に笑いかけて。
君を想い浮かべれば、心が温かくなる。
夜空を見上げる。
するとそこには手に届きそうな星空。
今はもう逢えない人が見守っている、星空。
次回四季彩記・春待月『星月夜』
幸せは、いつもそこにいた。