『奇跡幻想曲』movement 07
舞を支えているのは、彼女にとっては本当になってしまった一つの嘘だった。
『この場所は魔物に狙われている』
舞はそれが現実であれば少年は去らないと思った。思いこんだ。
だからそれを現実にしてしまった。
――魔物。
その正体は舞の意志を外れ、暴走する神典そのものである。
そのことに気付いていながら気付いていない振りを続け、やがてはそのことを忘れた。
戦ってきた。
彼が帰ってくる場所を護るため。
そんな、ある日のこと。
守護役として、妖物を滅するために駆けつけたときに出会った。
妖物の群にただ1人立ち向かい、無数の光矢を放ち屠る少女。
それは危うい風景だった。
確かに力はある。しかし、脆い。
自己破壊衝動に取り憑かれ、しかしそれを自覚していない。
――なんとかしなきゃ。
舞は彼女に話しかけ――そして、二人は友人同士となった。
彼女と組み、守護役としての責務を果たし、彼の帰還を待ち続ける。
やがて生じた諦観に心が蝕まれかけていた時。
彼は、帰ってきた。
再会したとき感じたのは、喜びだったろうか?それとも、恨みだったろうか?
いずれにせよ、暴走していた魔物はその存在意義を失った。
彼が帰ってきたのなら、最早魔物など必要ないのだから。
しかし、魔物は――神典は、そのまま消えるには時間を経すぎていた。
魔物として切り離された神典は、独立した存在となっており――舞に牙を剥いた。
舞の中に帰ろうと――神典に戻ろうとして。
しかし変質した神典は舞の中に戻れない。ただ害を与えることしかできない。
――でも、斬れなかった。
全ての記憶を取り戻した以上、斬れなかった。
唇を噛み締め、啼きながら自分を襲う神典を救ったのは舞の住まう街の総長だった。
彼の左腕は彼の放つ言葉のままに変質した神典を癒し、そして舞と神典を救った。
そして、告げた。
彼の戦いの意味。
彼の友人の迷い。
眠り続ける彼女。
涙を忘れた彼女。
苦しみの連鎖、街に潜む呪詛、それに抗う希望、そのための力。
ああ、彼は苦しんでいる。
自らの行いを知りつつ、それでも止めることは出来ないでいる。
彼は、確かに自分を救った彼は、しかし過去の自分の鏡像だ。
ならば、自分が助けることに問題はない。
それより何より結果的とはいえ数年ほったらかしにされた以上、帰ってきた彼を懲らしめるのは当然の権利だ。
僅かばかりの感謝と、かなり大きな八つ当たり、
それらを宿し、舞は剣を振るう。
佐祐理は今なお眠り続ける弟に、限りない罪悪感を抱いていた。
佐祐理の弟が眠りについたのは7年前。
閉鎖動乱の直前、佐祐理は自身の弟に言い放った。
『お前なんか嫌いだ。いなくなってしまえばいい』
その言葉を言わせたのは、幼い嫉妬心だった。
両親とも自分には構ってくれないのに、弟には構う。
理性では分かっていた。
それは、弟が病弱であるからだ、と。
しかし、感情が納得していない。
それが、爆発した。
その言葉を投げかけたとき――
弟は一瞬だけ泣き出しそうな顔をして、そして微笑った。
微笑って、謝った。
『お姉ちゃん、ごめんね』
と。
やり切れなかった。
だから、逃げた。逃げ出した。
屋敷に戻った佐祐理は謝ろうとして――
眠り続ける弟を見つけ、絶望した。
変わり果てた彼の姿を見たとき、佐祐理が感じたのは無力感だった。
そして、何故自分はその場にいなかったのだろう、という悲しみだった。
自分が何かを出来たとは思わない。
しかし、何かが変わったのではないか。
もっと、違う結果になったのではないか。
だからといって、眠り続ける樹精の少女や何処か思い詰めている少年、そして何かを決意した匪天の少女を責める気にはなれない。
彼女たちもまた、己の無力さを噛み締めているのだから。
彼女たちは誓った。
取り戻す、と。
ならば――彼女たちは力を貸すべき相手だ。
佐祐理は贖罪と希望を胸に、光を放つ巨杖を振るう。
ただ、笑顔を取り戻したい。
――否。取り戻す。
その誓いのため、あゆは闘い続けてきた。
他の誰かではない。
他の何かでもない。
己の絶望。
己の諦観。
己の悲愴。
それらに負けないために繰り返される風水。
少しずつ、少しずつ、しかし確実に。
目の前の樹の中で眠りにつく友人達を救い出すために。
彼の身体が樹に呑まれないように。
彼女の心が散ってしまわないように。
風水は続けられてきた。
不器用に真っ直ぐに、硝子のように繊細に。
彼女は、ずっと護ってきた。
胸に抱くのは夢。
目覚めて微笑む樹精の少女と、苦笑を浮かべる幼なじみの少年。
遠くから帰ってきた初恋の少年と、満面の笑みを浮かべる自分。
4人は昔の様に笑い転げ、はしゃぎ回っている。
それが彼女の求める光景。
彼女が護りたいと思いつつ護れなかったもの。
しかし取り戻すと誓ったもの。
それを脳裏に描き、風水を続けた。
空へ飛び立つ鳥が羽に力を溜める様に。
少しずつ、少しずつ風水の効果を込めていった。
幼い日から繰り返されてきた風水の支配詞諧が200万を越えたとき――
彼が帰ってきた。
自分たちを救うために拳を振るい、
この街を護るために身体を投げ出し、
右腕以外の全てを喪ってこの街から離れ、
それでもいつか帰ってくると信じていた少年が。
再会したとき、全てを話してしまいたかった。
でも、出来なかった。
彼が壊れてしまうかも知れなかったから。
だから、笑顔を作った。
無理矢理に笑顔を作った。
――準備が整うまで。
そして今こそ復活の時。
あゆは歓喜の涙と共に翼を解き放つ。
通常、華音の住民が神典に目覚めるのは精神と身体が神典を扱うだけの能力を得る、10台前半の頃だ。
しかし名雪が神典を初めて使ったのは小学校に上がる直前。
しかも覚醒と同時に十二分なほどに使いこなせていた。
そんな名雪に対する周囲の反応は――賞賛ではなく、恐怖だった。
同世代の子供達は離れ、その親たちも自分を見て怯える。
――耐えられなかった。
もしも従兄弟や彼を通じて知り合った幼馴染みがいなければ、間違いなく自分は壊れてしまっていただろう。――たとえ母親の絶大なる庇護があったとしても。
従兄弟と、その友人達は戸惑うことなく名雪に手を伸ばした。
おずおずと伸ばした手を力強く握られた。
だから、名雪は笑えることが出来た。笑うことを忘れずにすんだ。
だから、名雪は誓った。
もしも彼らが困っているなら、きっと自分が力になろう、と。
しかし――
その誓いは叶うことはなかった。
従兄弟の少年は身体を封じられ、樹精の少女は心を封じられ、絶望が街に巣くう様になった。
自分がいれば何かできたとは思わない。そこまで傲慢になれない。
でも、もしかしたら少しだけ何か違っていたかも知れない。
後悔を抱き、名雪は眠りと滅びの力を放った。
彼女を孤立させ、しかし彼らと出会うきっかけとなった力を。
樹精の少女を眠らせ、字我崩壊を防いだ。
従兄弟の記憶を滅ぼし、彼の心を護った。
それを成し遂げたのはただ一つの想い。
『喪いたくない』
樹精の少女は眠り続け、従兄弟は心がバラバラになりこの街を離れた。
それでも信じた。
いつか会える。いつか笑いあえる。
必ず会える。いつか必ず会える。
信じ、待ち続けた。
手を差し伸べてくれた友達が絶望を祓うだけの力を手に入れるまで、名雪は自分に使命を科した。
絶望の遺伝詞を眠らせること。
匪天の少女が彼らを助けるために力を振るうのなら、自分は彼らが帰ってくる世界のために力を振るおう。
誓い、名雪は力を求めた。
かつては忌み嫌っていた力を、成すべきことを成すための力として受け入れた。
そして――従兄弟が、還ってきた。
それこそが『その時』の訪れを知らせる。
名雪は暫し眠りを忘れ、滅びを呼び込む絶望と向き合う。
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