ゆびきりげんまん。





 月宮あゆは台所で悩んでいた。
「うぐぅ、困ったよ・・・」
 溜息一つ。
 鍋の中を見る。
 絶望的な溜息をもう一つ。
「・・・また祐一くんに馬鹿にされる」
 むむむ、と唸りながら見たくないものに蓋をする。
「本当に困ったよ・・・」

 始まりは相沢祐一の一言だった。
 料理のレシピを食い入る様に見ていたあゆに一言。
「ポトフか。今のあゆには無理だろうな」
 あゆ、激怒。
「そんなことないもんっ!ボクにだって作れるよっ!」
 祐一、溜息。
「何?その顔は何?哀れむ様なその顔はっ!」
「いや、現実を直視できないってのは不幸だなって」
 そして溜息をもう一つ。
「うぐぅ、絶対絶対見返してやるもんっ!」

 そしてレシピを見ながら作ってみたのだが――
 出来たのは炭だった。
「うぐぅ、このままじゃ本当に拙いよ・・」
 あゆは肩を落としてキッチンから退出。
「とりあえず習わなきゃいけないことが解ったよ・・・」
 むん、と気合いを入れて2階に上がり――
 名雪の部屋の前で立ち止まった。
「・・・名雪さんはどうせ寝てるんだろうし」
 溜息をつきつつ、自分の部屋に。
 着替えて、そして街へ出かけた。
 その頃名雪は。
「くー」
 寝ていた。
 水瀬名雪、出番終了。
「くー」


「なるほど。相沢さんに料理が出来るところを見せたい、と」
「うん!美汐ちゃん、お願いだよ!」
 美汐はあゆが本気なのが解ったのだろう。
 快諾した。
「解りました。良いでしょう」
「ありがとうっ!」
「それで、料理は何を作るのですか?」
 そして――
「ポトフだよ」
 このあゆの一言で表情は急変した。
「・・・はい?」
 怪訝な表情。
「ポトフを作るんだよ」
 だめ押しのあゆの一言で、無表情に。
「どうしたの?凄い汗だよ」
 何がどうしたのか解らない、と言った表情のあゆ。
 美汐はそんなあゆを見据え、淡々と告げた。
「そんな酷なことは無いでしょう・・・ポトフなんて・・・」
 そしてあゆを残してふらふらと街に消えていった。
「美汐ちゃん、美汐ちゃぁんっ!・・・行っちゃった」
 とりあえず手を振りつつ。
「うぐぅ、何が悪かったのかなぁ?」
 何が何だか全く解っていないあゆだった。


「というわけで栞ちゃん。ボクにポトフの作り方を教えてほしいんだけど」
「何がというわけで、なのかは解りませんが了解しました」
 栞はガッツポーズ。
 その後、てきぱきと準備をしていった。
 手際が良い。
「あゆさんは野菜を切ってください」
「うん!」
 言われるままに悪戦苦闘しながら野菜を切る。
 退院してからの特訓の効果は――まぁ、有ったと言って良いだろう。
 不格好なりに、努力の跡が見られる。
「後は煮込みながら味を調えるだけです」
 栞はそう言ってにっこりと笑い、寸胴に蓋をした。 
 数分後。
 栞は味見。
 顔を少ししかめて――
「♪」
 楽しそうに、ポトフに――
 砂糖を入れた。
 山盛り数杯。 
 あゆは自分の記憶にあるポトフのレシピを思い出してみた。
 どこにも砂糖を入れる様な記述はない。
「栞ちゃん。まさか」
 ボクと祐一くんの間を引き裂くために、という言葉を思わず呑み込む。
「え?どうかしましたか?」
 栞はにこにこと楽しそうに鍋をかき回している。
 お玉で一口掬い、味見。
「うん、美味しいです」
 その表情は本気。
 本気で美味しいと言っている。
 だから。
「・・・ボク用事を思い出したよっ!」
 あゆは脱兎の如く走り去ろうとして――
 玄関で香里と衝突した。


 香里はとても良い表情であゆを尋問、事の真相を聞き――
「それは・・・災難だったわね・・・」
 あゆに同情した。
「あの子、甘党だから」
 遠い目をする。
「それで逃げ出してきたわけ?」
「うん・・・」
 申し訳ない、と言った表情のあゆに、香里は優しく笑いかけた。
「解るわ・・・その気持ち・・・あたしだって逃げたいもの」
「じゃぁ・・・見逃してくれるの?」
 嬉しそうに出ていこうとするあゆを――
「それは不許可」
 香里は捕まえた。容赦なく。
「香里さん!何するんだよっ!」
 じたばたともがくあゆ。しかし、動かない。動けない。逃げ出せない。
「ちゃんと食べてね。栞が作ったポトフを」
 傷ついた表情で。
「あたし達だけで食べるには辛すぎるのよ。解って・・・」
 香里が呟く。
「それにね。ポトフを作ってってあの子に言ったのは・・・誰?」
 にっこりと。
 極上の笑顔で。
 香里が微笑み――
「うぐぅ、放して、放して〜!」
 あゆは絶望した。


「うぐぅ・・・酷い目にあったよ・・・」
 ふらふらと、街を彷徨っていたら。
「舞さん、佐祐理さんっ!」
 スーパーから出てきた舞と佐祐理にエンカウント。
「・・・あゆ」
「あはは〜どうしたんですか、あゆさん?」
 あゆは涙を滲ませながら舞と佐祐理に相談した。
「・・・大丈夫」
「舞と佐祐理にお任せですっ!」
「うぐぅ、ありがとう・・・」
 感涙の涙を流すあゆを。
「困ったときはお互い様」
「あはは〜。そんな大したことは出来ませんけどね〜」
 舞と佐祐理はそれぞれ慰め、3人は舞の家へと行った。
「じゃぁ、準備する」
「あゆさんは見ていてくださいね〜」
 エプロンを身につけ、手を洗い――
 その後は凄まじいスピードだった。
 舞が玉葱を切っていき、佐祐理が切られた玉葱を炒めていく。
 見事なコンビネーション。
 気になったことと言えば、舞が鍋にバターをたっぷりと入れたことくらいだろうか。
 しかし、それさえも気にならないほどのいい匂いがしてくる。
「これなら期待出来そうだね・・・」
 しかし。
 佐祐理と舞が交代したとき、それは起きた。
 舞は牛肉の切り落としを鍋に入れて炒めた。
「あれ?」
 そして醤油を垂らし、味を調えて――
 大葉を無造作に千切って鍋に。
「・・・よし」
 その間に佐祐理は丼にご飯をよそっている。
 出来上がったそれを、舞はおもむろにご飯に掛けた。
「あの・・・ 舞さん、佐祐理さん・・・?」
「西洋風牛丼」
「えっと」
「美味しいですよ〜♪」
「あゆも食べる」
 ずい。
 確かに美味しかった。
 しかしポトフとは似ても似つかなかった。


「うぐぅ・・・・・・」
 あゆはとぼとぼと帰途についた。
「ただいま・・・」
 力無くドアを開ける。
 と同時に。
「うわぁっ!なんだこりゃっ!」
「あう、真っ黒・・・」
 呆れた様な、恐怖に歪む様な声。
 そして、恐る恐ると言った風な、祐一の声。
「真琴じゃないんだな?」
「違うわよう!」
 何かを蹴り倒す音。
 そして、階段を上がっていく音。
 ごろごろと床を転がる音。
 どうやら真琴は祐一を蹴り倒し、自分の部屋に入っていったらしい。
 ごろごろと転がっているのは恐らく祐一。
 よっぽど強く蹴られたらしい。
 気になったのでキッチンを覗いたら――
「痛ててててて・・・あ、あゆ」 
「うぐぅ、見つかっちゃった・・・」
 祐一と目が合った。
 祐一は開口一番。
「・・・あの炭、あゆだろ?」
 直球を投げてきた。
「う、うぐぅ・・・」
 あゆは言葉に詰まり、唸るだけ。
 祐一はそれだけで全てを悟り、溜息一つ。
「やっぱりあゆか・・・」
「うぐぅ。やっぱりボクには無理だったよ・・・」
 そして顔を歪ませる。
「どうしたんだ?泣きそうな顔して?」
 心配そうな祐一に、あゆは今日有ったことを訥々と語り出した。
 最初は神妙な顔で聞いていた祐一だったが、事の顛末を知ると爆笑。
「うぐぅ、酷いよ祐一くん極悪だよっ!」
 本気で怒っているあゆだが、あまり怖そうではない。
 祐一は涙を拭いながらあゆに訊ねた。
「いや、だって・・・なんで秋子さんに訊かなかったんだ?」
「うぐぅ・・・秋子さん、今日はお仕事だって・・・」
「そうか。なら仕方ないよな」
 心の底から残念そうなあゆ。
 祐一は秋子の仕事が気になったものの、無理矢理その疑問を押さえつけた。
 変わりに大きな溜息一つ。
「・・・それにしても。ほんっっっっっ」
 溜める。
「っっっっっっとうに馬鹿だなあゆあゆは」
「あゆあゆじゃないもんっ!それになに馬鹿ってのはっ!」
 更に怒っているあゆに、祐一は素っ気なく。
「少しずつ出来る様になれば良いじゃないかそんなもん」
 そして優しく笑いながら。
「それにな。俺は『今の』あゆには無理だろうとは言ったけどな」
 あゆの頭に手を伸ばし。
「出来る様になるって思ってるぞ」
 優しく、撫でた。
「!」
 真っ赤になる。
「ま、そのうち食べさせてくれ。気長に待ってるから」
「うん・・・そのうちね」
 あゆは照れながら手を差し出した。
 祐一はそれが解っていたかの様に手を差し出していた。
 そして。
 2人の小指が、絡んだ。
「約束、だぞ」
「うん。約束、だよ」





というわけで神代さんおめでとう。