すれ違う想い





「そういえば、明日はサガラ軍曹のセーフハウスを視察する予定でしたね?」

お汁粉ドリンクを一口飲んだあと、テッサは背後のマデューカスにたずねた。

「ハッ、視察にあたるカリーニン少佐はすでに身支度を整えております。…ところで、そのサガラ軍曹から報告書が届いておりますが…」

「読んでください」

目を輝かせて催促するテッサの様子に内心で眉をしかめながらも、マデューカスは報告書を読んだ。

「え〜、《前略》護衛対象とともに学校より帰還中、対象とその肉親により暴行を受ける。理由は、薬局において妊娠検査薬『スグワカ〜ル』を購入した為であるらしいが、当時のような切迫した事態では、何より事実確認が最優先であると考えられ、やむをえないものと…」

「ぶほぅ!」

テッサはおもわずお汁粉ドリンクを吹き出した。

宗介はかなめの祖父の尾行を確かめるために薬局に入り、手近にあったその薬を適当に選んで買っただけなのだが、神ならぬ身のテッサにそんなことがわかるはずもない。

『切迫した事態』『妊娠検査薬』『事実確認』などのキーワードが彼女の優れた想像力を刺激して、あらぬ妄想が頭の中で生々しい映像となる。

「それは、ゆゆしき事態ですね…」

ぽつりとつぶやいた彼女の表情を見たマデューカスは、思わず一歩退いてしまった。

その頃、メリダ島の高級士官専用食堂奥の厨房では、カリーニンがボルシチの最後の仕上げにかかっていた。辺りにはすでにトマトソースの豊潤な香りが立ち込めている。

「ふふ、ワタシの腕もまだまだ捨てたものではないな…」

味見を終えたエプロン姿の彼は、いつに無く上機嫌な様子で満足そうにつぶやいた。

―と、ちょうどその時、入り口からテッサが入ってきた。顔には笑みさえ浮かべているが、すでに修羅モードである。なんとなくイヤな予感を感じるカリーニン。

「な、何かありましたか、大佐殿?まあ、このボルシチでも食べて…」

とりあえずできたてのボルシチを勧めてみる彼をさえぎって、テッサはいきなり告げた。

「カリーニンさん、明日の視察は私が替りに行くことにします」

顔には幽鬼の微笑み。古強者のカリーニンですら背筋が凍るほどの迫力である。

「いいですね?」

…カリーニンに逆らうすべはなかった。

「フフフ、しょせんワタシには過ぎた夢だったのだよ…。なあ、そうだろう?」

彼女の去った厨房では、カリーニンが悲しそうにボルシチに語りかけていた…


「サガラさんの部屋に行くのは、あのべヘモスの件以来ね…」

アパートの前でテッサは懐かしそうにつぶやいた。宗介がカナメを妊娠させたとマデューカスから聞いた時にはずいぶん冷静さを欠いてしまった彼女だが、メリダ島から飛行機で来る間にだいぶ落ち着きを取り戻していた。今では久しぶりに宗介に会えるのが楽しみですらある。

「そう、きっと何かの間違い。あのサガラさんにそんな甲斐性があるわけ無い…」

さりげなく酷いことを言いながら宗介の部屋の前まで来た彼女の表情がぴくりと痙攣した。

――ドア越しにかなめの声がする。

(…ん…あぁ…ダ、ダメ…まって…ソースケ…そこは…ダメ…!)

(む…では、ここか?)

(あ…!そう、そこよ…んッ、そう…ゆっくり…あ…上手…)

(いいのか?…では、いれるぞ…)

(ええ…いいわ…そのまま…入れて…)

ドアにピタリと耳をくっつけて盗み聞きをしていたテッサの目に、じわりと涙が浮かぶ。

二人の声の様子は、間違いなく『なんかしちゃってる』最中のようだ。二人の仲を知らずにあれこれとアプローチをかけていた自分は、なんと愚かだったのだろう…。

こみあげる嗚咽を我慢しきれなくなったテッサは、急いでこの場を駆け去ろうとし…

そして、ずるべたーーん!!とコケた。

「なんか、すごい音しなかった?」

宗介に『テトリス』を教えるのに熱中していたかなめは、廊下から聞こえて来た壮絶な物音でふと我に返った。

「気にするな。危険は感じない。」

むっつり顔のまま宗介が答える。

「それよりも、少佐殿の到着が遅いのが気になる。夕食はとらずに、テトリスの技能を向上させて待っておけ、との命令だったのだが…」

「なんでテトリスなのよ?」

「なんでも少佐殿の母国で生まれたゲームなのだそうだが、おそらくこれで反射神経と判断力を鍛えるように、ということだろう。後で対戦形式で実力をチェックするとも聞いているので練習に手は抜けん」

「……まあ、いいか。久しぶりにやったら面白かったし」

言葉どうり、楽しそうな表情のかなめ。

「うむ、問題無い」

そう答える宗介もやはり、どことなく楽しそうだった。

もちろん、この後「問題無い」ですむような騒ぎではなくなるのだが…それはまた、べつの話。