そのにじゅうきゅう。





 夜。
 縁側から夜空を見上げていた。
「ふぅ……」
 溜息を一つ。
 だけど、俺は今笑っている。間違いなく、笑えている。
 他の誰かのためじゃなく、俺自身のために。
 それを、素直に受け止めることが出来ている。
 ――親父。俺、微笑えてるよ――
 
「邪魔するぞ」
 そう言って隣に腰を下ろしたのは言峰。
 両手にはマグカップ、その中身は夕食のトムヤムクンの余り。
「呑むか?」
「ああ」
 受け取って一口呑む。………あれ?
「どうした。不思議そうな顔をして」
「いや、お前の事だからてっきりタバスコ一瓶入れてるんじゃないかと」
「……衛宮士郎、貴様は人をなんだと思っているのだ」
 言峰はやれやれ、とばかりに肩をすくめ、
「入れたのは私のだけだ」
 ……なんだかどっと疲れるなぁ。
「結局入れてるんじゃないか」
「……やらないぞ?」
「要らないって」
 言峰は安心してトムヤムクンを啜り、
「……うむ、美味い」
 そして困惑の表情を見せた。――その奥底に笑みを湛えて。
「衛宮士郎。ここは――優しいな」
 噛み締めるように、呟く。
「狂った聖杯。
 存在をねじ曲げられた英霊達。
 最早聖杯戦争はその意味を喪い、監視者もその意味はない。
 魔術師も変容し、今となってはあの有様だ」


 微かに聞こえてくる声。
「桜!そのチョコアイスは私のよ!」
「これだけは姉さんにも渡せません!」
 と喧嘩を始める冬木の霊脈の管理者姉妹。
「なってないわね。
 レディーとして恥ずかしくないのかしら?」
 と言いつつちゃっかり全種類を抑えているだろうアインツベルンの姫君。
「小豆とチョコが合うとは思わなんだ!まっこと美味いのぉ、クケケケケ!」
「……お爺様、その笑い方やめましょうよ。でも本当に美味しいなぁ」
 まったりとしている古き血たるマキリの魔術師とその孫。
「……………」
 声は聞こえないが、確実にその場にいて、アイスを貪り食っているであろう枯れた殺人鬼。
 ――居間で仲良さそうに騒いでいるのは、本来は敵同士の筈の魔術師達。


 その声を聞きながら、言峰は苦悩を吐き出した。
「冬木の聖杯は狂っている、と協会の誰もが言う。
 修復しなければならない、と魔術師達は叫ぶ」
 溜息。
 どうしたいのか、は決まっている。
 協会の一員として取るべき行動も決まっている。
 だが、自分はどうすればいいのか。
 それを図りかねたように、呻いた。
「近い内に、本部から魔術師が来るだろう。
 聖杯を修復するために」
 だが、と呟いた後言葉を続ける。
「あの聖杯に関わった者は、皆概ね幸せになっている。
 貴様も、マキリも、遠坂も、アインツベルンも、サーヴァント達も。
 ならば――」
そして言峰は、躊躇した後、
「あの聖杯こそが、聖杯の正しい姿ではないだろうか?
 そして、もし――」
 自嘲めいた声で問い掛けた。
「もし、神が存在するなら――
 冬木の『狂った』聖杯を守る者とそれを『正常に』戻そうとする者。
 どちらの味方をするのだろうな?」
 ……そんなことか。
 まったく、らしくないな。
「さあな。俺は神様なんかじゃないからな」
肩をすくめ、
「でもさ」
 考えを、告げる。
「この聖杯が狂っている、て言うならば。
 元々聖杯は取り返しが付かないくらい狂ってたんじゃないか?
 それが少しマシになったんだよ、多分さ」
 耳を澄まさずとも、喧噪は届いた。


「友よ、今こそアイスを頂く時で御座います!」
「応!」
 なにやら響く蹄の音とランサーの怒声。
「あ、こらハサンに小次郎!それバーサーカーのだぞ!可哀想じゃねぇか!」
 直後にバーサーカーのションボリとした咆吼と、それを慰めるギルガメッシュの声。
「■■■■■……」
「バーサーカー、しょげるな。そら、我のを分けてやろう」
 そしてギルガメッシュをからかうランサーとアーチャーだ。
「お?英雄王も丸くなったもんだな?」
「う、煩いぞっ!」
「くくく、そう照れなくても良かろう」
 そしてギルガメッシュの苦し紛れの反論。
「そ、そういう貴様も最初は士郎殿を目の敵にしていたではないか。
 どの様な心境の変化だ?」
 その疑問に、
「知れたこと!正義は通じ合うのだ!」
 アーチャーはきっぱり答えた。
「……キャスター。この赤いのは本当にシロウのなれの果てなのでしょうか」
 セイバーが困惑し、
「あくまでも可能性の一つ、でしょ?でも……ねぇ」
 キャスターが分析し、
「ええ。ここの士郎さんはアホの子ですからねー
 ……………なんかそのものっぽいですね」
 ライダーが諦観した。
 アホの子、か。
 ………ほっとけ。自分でもわかってるんだい。
 ってか、君らが『シロウの魔力は余りにも低いので、バックアップが必要ですー!』とか言って、地脈いじって俺に繋げたのが一因だろーが。
 そもそも君ら全員アホの子だし。

 ともあれ――聖杯を求めて殺し合うはずのサーヴァント。
 彼らは今、俺が作ったアイスクリームを求めてじゃれ合っている。
 なんて――
 なんて、間の抜けた、だけど。
 なんて、穏やかな風景なのだろう。

「ま、要するに――まともな聖杯なんか存在しない、ってことなんじゃないか?
 それにらしくないぞあんた。
 あんたはいつものように、根拠のない自信を持ってふははははー、と笑ってればいいんだよ」
 俺の言葉に対する言峰の反応は苦笑。
「そうか――いや、そうだな。確かに私らしくない」
立ち上がり、苦笑を消し。
 穏やかな笑みを浮かべ。
「ならば私も決断しよう」
 決意を、告げる。
「私は少しでもまともな――いや、違うな。ピントはずれてるが、皆を幸せにしてくれる方を選ぼう」
 苦渋の判断なのだろうか?
 いや。決めていたことを、口にしただけなのだろう。だから。
「たとえ協会を敵に回しても――私は、この街の聖杯を守り抜こう。
 狂った聖杯を守る狂った守護者、か。ふふ、お似合いではないか」
 言峰は心底楽しそうに、明るく、晴れやかに笑った。
 ああ、こいつも――救われた一人なんだ。
 この冬木の聖杯を、護ろうとしている一人なんだ。
「そうか……。なら、言峰綺礼、お前は――」
 衛宮士郎の、味方だ。