第六夜 雨晴
虎蔵は
「眠い。だるい。寝る」
と惰眠を貪っている。
たぶん今も寝ていることだろう。
美津里は
「西で掘り出し物が出るらしい」
と嬉々として出かけていった。
そんな、ある雨の夕方。
いつもの様に往診に出かけた帰り道、呼び止められた。
「もし・・・」
女の声。
「私ですか?」
「はい」
何事だろう。
振り返れば、女が一人。
少しばかりきつい目つきの、しかし美人が其処に居た。
「お医者様とお見受けいたしますが・・・」
隠すこともないだろう。
私はそうだ、と答えた。
「申し訳御座いませんが、私についてきては頂けないでしょうか」
そして一呼吸。
「私に使えております方を診て戴きたいので御座います」
「ええ・・・いいでしょう」
何故か、そう答えていた。
我ながらお人好しだなぁ、と苦笑。
私が診るのは訳ありの患者が多い。
おおかたこの女の主とやらもその口だろう。
雨が降る。
その中をどこに向かっているやらも解らないまま、私は連れられている。
連れられながらも何故医者が必要なのかを聞いてみる。
と、何でも仕えている屋敷のお嬢様が具合が悪く、臥せっているらしい。
熱が出ており、譫言も続いているという。
来週には婚礼を控えており、一刻も早く何とかしたい、とのことだ。
まさか此処までとは思わなかった。
いくら何でも無理だ。
はて、これはどうしたものか。
帰った方がいいのかも知れぬ。
そう思ったときには、
「此処で御座います」
既に着いていた。
とんでもなく大きな屋敷だ。
よくもまぁ、今まで気付かなかったものだ。
感心しながら門扉を見上げていると、主に報告してくる、と言って屋敷の中に入っていった女が帰ってきた。
「さぁ、こちらで御座います」
おっかなびっくり案内されて辿り着いたのは、これまた見事な部屋だった。
思わずきょろきょろとしそうになるのを堪える。
「では先生。お嬢様をお願いいたします」
「はぁ」
布団が敷いてある。
そこに、そのお嬢様とやらは寝ていた。
目つきがきつい。
しかし、やはり美人である。
はて、これで治せなかったら私はどうなるのであろうか?
考えるだけで恐ろしくなってくる。
しかし、此処まで来たからには診ないわけにもいくまい。
私は診察を始めた。
しかし、診て直ぐに私は安堵の息を漏らした。
なんだ。どんな大きな病かと思えば風邪ではないか。
これなら手持ちの薬でよかろう。
私は調合済みの薬を三日分手渡し、三日後に来る旨を伝えた。
「ありがとう御座います」
弱々しい声で礼を言う女に、
「まぁ、お大事に」
とだけ告げ、私は屋敷を辞去することにした。
部屋を出るとあの女が待っていた。
「先生。ありがとう御座います。とりあえず、どうぞ」
封筒を手渡される。
妙に分厚い。
はて、此処まで感謝されても、と思ったのだが、とりあえず受け取っておくことにした。
「では、三日後に。先生のお家まで迎えに行きますので」
という申し出を受け、私は未だ雨の降る道を女に連れられて帰っていった。
三日後。
やはり雨が降っていた。
虎蔵はどこかに遊びに行っている。
どうせまた女だろう。
美津里はまだ帰ってきてない。
掘り出し物とやらは見つかったのだろうか。
埒もないことを考えながら煙草に火を付けようとしたとき、客は来た。
「先生、本日もよろしくお願いいたします」
やれやれ。
私は用意しておいた鞄を手に、玄関へと向かった。
やはり大きい。
私は門扉を見上げた。
はて、治っているやら居ないやら。
治っていなかったらかなり拙いことになるなぁ。
不安ばかりが育っていく。
「先生、ありがとう御座いました」
現実に引き戻される。
診れば、件のお嬢様だ。
血色も良くなっている。
しかし・・・いくら何でも三日間で此処まで良くなるものなのだろうか?
疑問だ。
「先生、如何なさいましたか?」
気が付けばこの屋敷の使用人が集まっている。
・・・誰も彼も目が少しきつい。
しかし、綺麗な顔立ちをしている。
妙なことに感心していると、彼らの中でも身なりの整った男が前に進み出てきて、私の手を握った。
「先生、誠に有り難う御座います。これで一安心です」
「そうですね。安心して嫁にやれますねぇ」
いつの間にか上品な女性が笑いながら立っている。
「はてさて、早まったかもしれんなぁ。もう少し先生と早くお会い出来ていたら娘の嫁入り先も変わっていたやも知れませんなぁ」
妙に楽しそうだ。
私はどう答えればいいのか?
と、背筋に冷気。
・・・怒っているのだろうか。
「馬鹿なことを言ってはいけませんよ、あなた。先生には決まった方が居られるようですから」
冷気が消える。
・・・助かった。
しかし、一刻も早くここから逃げた方が良いだろう。
「ああ、お元気になったようで。でも、まだ油断はなさらないように。一応薬は出しておきますので」
薬を出し、
「では、私はこれで」
私は逃げるように立ち去ろうとした。が、
手を捕まれた。
「先生」
「な、なんですか?」
目が怖い。
・・・拙いか?
「お礼を受け取って戴かないと」
ほっとした。
おい、と屋敷の主が呼べば、は、と差し出される封筒と風呂敷包み。
封筒は先日のものよりも遙かに分厚い。
風呂敷包みは・・・少しばかり重い。
兎に角、有り難く受け取っておこう。
「どうも、有り難う御座います」
頭を下げつつ礼を言い、頭を上げる。
「・・・・・・何だ?」
私は廃寺に居た。
何だ?
妙な胸騒ぎを感じつつも先ほど受け取った封筒を開ける。
「葉っぱ?」
まさか。
懐に入れたままの先日受け取った封筒を開けてみる。
「矢張り」
なんてことだ。
喜んでいたのが馬鹿みたいではないか。
しかし・・・
「はははははっ!やられたなぁ」
悔しくはなかった。
まぁ、狐が金を持っているはずもない。
これで納得した。
彼ら全員狐だったわけだ。
しかし、私一人を騙すのにずいぶん力を入れてたなぁ。
私は妙に可笑しくなって、廃寺を後にした。
「ということがあってな」
「ドジ」
「間抜け」
「お前ら、そこまで言うか・・・」
半眼になっている彼らに抗議しつつ、受け取った葉っぱを取り出す。
「で、これが入ってたんだ」
「これ・・・」
美津里の目の色が変わった。
「それで、これが一緒に渡されたものだ」
綺麗な布袋。中に入っていたのは短刀だった。
「おい、こりゃぁ・・・」
虎蔵もなんだか様子がおかしい。
美津里が真面目な顔になった。
「あんた、何やった?」
「何って・・・薬を出しただけだぞ」
この葉っぱがどうかしたのだろうか?
「そうかい。・・・京太郎、これはあたしが買い取らせてもらうよ」
真面目な口調だ。
虎蔵は虎蔵で、
「俺はこれ欲しいのだが・・・、いかんせん、俺が持ってても意味はない。これはお前が、持っとけ」
名残惜しそうに短刀を私に戻す。
「何がどうしたんだ?」
本気で解らない。
「この葉っぱはねぇ、そうさね。あたしらにとっては喉から手が出るほどに欲しいものなのさ。現在は全く手に入らなくなってねぇ」
ぱちぱちと算盤を弾きつつ、
「この額で買い取らせちゃくれないかねぇ?」
うわ。
すごい額だ。
まぁ、私が持っていても意味はないだろうし。
「まぁ、構わないけど」
「有り難うよ、京太郎!」
私の手を取ってぶんぶんと振り回す美津里。
よほど欲しかったのだなぁ。
・・・・・・封筒がもう一つあることはとりあえず黙っておこう。
「この短刀はなぁ、天狐と地狐の守り刀だ」
なんだそりゃ?
「要するに、だ。お前は玉藻の前とかの妖狐の加護を得たわけだ」
はぁ?
「まぁ、お前の診たお嬢様とやらな。恐らく玉藻の前の一人娘だぞ」
・・・・・・おいおいおい。
とんでもない話になってきたなぁ。
「はて、あんたどこまで行くのかねぇ?」
「全くだ」
驚いたような、楽しげな二人。
はて、どうなるやらは私が一番知りたい。
「お、狐の嫁入りか?」
虎蔵の声にふと外を見れば、午後の日差しを受けて、雨の滴が光っていた。
「狐の嫁入り、か・・・」
私は窓から光と水の入り交じる風景を見ていた。
遠くで狐の鳴き声が聞こえたような気がした。