第十一夜 あらこと
夜中に出歩くものではない。
それは承知していたが、歩かないわけには行かなかった。
往診の帰りだった。
往診した患者の様子が急変し、なかなか帰れなかったわけだが、なんとか持ち直したので私は一時帰宅することにしたのだ。
その家も何というか・・・恨まれる、というか。
妬まれることの多い家だった。
しかしただ成功しただけ。
そんな家だった。
そんな家の跡取りの、妻。
それが患者だった。
弱っていた。不自然に。
若い跡取りは妻を心配し。
妻は若旦那を思いやり。
良くできた、夫婦だった。
「やれやれ・・・また明日も行かなきゃだなぁ・・・」
ごちながら、1人歩く。
夜闇の中。
時間は――午前、2時。
そして。
とある神社の前を通りがかったとき――
聞こえて、来た。
硬質な音。
金属と金属が打ち合う様な。
そして――笑い声。
「・・・・・・」
溜息が出る。何でこうも厄介事に巻き込まれるんだろうか。
私は足早に立ち去ろうとしたのだが――
躓き、商売道具の鞄を落としてしまった。
響き渡る、音。
そして境内からの音が止まる。
私はついていないときはとことんついていないことを実感した。
「冗談じゃない・・・!」
こんな訳の分からない、しかも好んで首を突っ込んだわけでもないのに妙な目にあってたまるか。
私は今度こそ駆け出した。
否。
駆け出そうとした。
私の足は止まった。
振るわれた鉈によって。
女だった。
若い、女。
怨。
と。
その様な声を挙げて、鉈を振るい。
私の髪の毛を千切っていく。
人なのか。
一瞬浮かんだ疑問を呑み込む。
否。
人なのだ。
余りにも、人過ぎるのだ。
人でないと為し得ない表情だ。
恨みに凝り固まり。
嫉妬に燃えて。
「やっと・・・やっとあの人を手に入れられると思ったのに・・・!」
丑の刻参りを邪魔した私を憎み、恨み、殺そうとしている。
「お前のせいで・・・お前のせいで・・・!」
更に鉈を振るう。
「あの女を殺せない!」
そして。
「あの人を独り占めしているあの女を・・・志野を殺せなくなった!」
狂気にその目を血走らせ。
「待ってて下さいね、小太郎さん・・・此奴を殺して、志野を殺して・・・」
髪を乱している。
「私は、貴方の妻になるのですから・・・」
その言葉。
その言葉で、歯車がぴたりとあった。
小太郎。
志野。
夫婦。
不可解な症状。
丑の刻参り。
即ち。
私の目の前にいるこの女は。
横恋慕の末、思い人の妻を呪っている。
そして。
その思い人の妻が。
私の、患者。
今日診てきたばかりの、女だ。
「小太郎・・・様・・」
ぎち、と。
嫌な音が響いた。
目の前の、女から。
ぎちぎち、と。
骨が軋み。
肉が軋む音。
「小太郎・・・・・・様ぁぁぁぁぁぁぁ!」
変貌していく。
鬼、としか言い様のない物に。
変貌していく。
人を喰らった訳ではない。
もとから鬼だったわけでもない。
恨み。
嫉妬。
深い深いそれら故に、人であった者が鬼になっていく。
世界から、外れていく。
ここまで人は人を憎めるのか。
己が身を鬼に変じさせる程に。
これじゃあ。
人と、鬼――人外の者どもの差など無いに等しいではないか。
否。
寧ろ、人であった物の方が余程質が悪い。
冗談じゃない。
冗談じゃない。
冗談じゃない。
冗談じゃない。
冗談じゃない!
崩れる。
崩れていく。
私が。
私の意識が。
崩れて・・・行く・・・
・
・
・
・
・
・
気がつけば――鬼女の姿は見えなかった。
立ち去ったわけではないだろう。
私は生きているからだ。
ならば――
何が起こったのか。
額の汗を拭おうとして――
気付く。
血塗られた、腕。
私の腕。
赤い、腕。
そして。
思い出す。
ああ。
そうか。
私も。
また。
人ならぬ物の。
血を。
受けて。
いたのだ。
苦笑。
変わらない。
何も、変わらない。
私は変わってはいない。
変わるかも知れないが、しかし今は変わってはいない。
ならば良いではないか。
これで呪いは消えたのだし――
少しは値をふっかけても良いだろう。
私は途中で酒を買うことに決め、家へと急ぐことにした。