第九夜・彼岸花





 鬼が出る。
 最近そんな噂がこの街には流れていた。
 なんでも男女を問わず若い者の肝が抜かれ、喰われているのだという。
 しかしよりにもよって鬼とは。
「本気なのかなぁ」
 私は一人ごちた。
 そして、苦笑。
「鬼、か・・・」
 鬼の血肉は今なお私の中に息づいている・・・らしい。自覚はないが。
 尤も、覚醒されて困るのも事実だ。
「兎に角、早く帰ろう・・・」
 私は帰途を急いだ。
 早く帰らなければ、また――出会ってしまう。
 しかし、どうやらその手の事件というものにどうやら私は縁が深いのだろう。
 見てしまったのだ。
 私が診ている老人の側に付いている男が、若い男の死体を捨てるのを。
 その上。
 雲に隠れていた月が出てきて。
 辺りが明るくなって。
 その男と、私の――
 視線が、交錯した。
「!」
 私は駆け出した。
 まだ間に合う。
 まだ、間に合う!
 あいつ等なら何とかしてくれる。
 そんな、淡い――否、淡すぎる期待を抱き、私は眩桃館の扉を叩いていた。
「虎蔵!美津里!」
「なんだ京太郎、騒々しい」
「珍しいねぇ、あんたがそんな血相を変えるなんて」
 虎蔵も美津里もきょとんとした顔だ。
 私は兎に角先ほど見た事を説明した。
 しかし、彼らの返事は――
「悪いけどな。俺は自分に火の粉が降りかかってこない限り興味ないから」
「な・・・!」
「好奇心猫を殺すってね。あんたも見なかった事にするのが身のためだよ」
 予想通りだった。
 出来るなら私も見なかった事にしたい。しかし――
「いや・・・」
 私は気弱な笑みを浮かべた。
「もう、遅いわ」
「・・・・・・は?」
「だってあの連中の雇い主、俺が時々診てるもの」
 あらら、と美津里は口に手を当て、虎蔵はやれやれといった風に頭に手を当てた。
 そして私はうつろな笑いとともに決定的な言葉を口にした。
「それとな。顔、ばっちりと見られた」
「・・・お前なぁ」
 はぁ、と溜息をつく虎蔵。
「高いぞ、俺は?」
「・・・すまん」
 とりあえず頭を下げておく。
 ・・・何だか最近こんなのが多い。借りばかりが増えていく。困ったものだ。
「解れば良いんだ解れば。どっちにせよお前がおっ死んだら只の宿が無くなる」
 しかし虎蔵はいけしゃあしゃあと言ってのけた。
「お前ってそう言う奴だよ・・・」
 私は苦笑するしかなかった。
 兎に角――これで私の身の安全は図られた。
「兎に角、帰るぞ。暫くは用心棒してやるよ」
 そんな私の意図を見抜いたのだろう。虎蔵はにやりと笑った。

 そして、眩桃館から私の家までの帰途。
 不意に、軽い音が届いた。
 たとえて言うなら、手を叩く様な音。
 そんなあまりにも軽い音が数発。
 それと同時に――虎蔵は踊る様に地に伏せた。
 そこここに紅い花を咲かせながら。
「おい!」
 返事はない。
「おい!虎蔵!何時まで馬鹿やってるんだ!早く起きろ!」
 ただ、ひゅうひゅうと枯れた音がするだけだ。
「虎蔵!」
 叫びと共に衝撃が私を襲い――
 私は意識を手放した。



 目覚めれば、そこには――あの、老人が居た。
「先生、困った事になりましたねぇ」
 笑みを絶やさないまま、その老人は言った。
「お前が何も言わなければ良かったものをの」
 嬉しそうに、言葉を続ける。
「ああ、あと眩桃館・・・だったか。そこの女主人も災厄だったのお」
 くくく、と爬虫類めいた笑いを浮かべる老人に、私は吐き気を憶えていた。

「ああ。店の事は気にせずとも良い。儂が責任を持って品は引き取ろう」

「なんでだ?何であんな事をしている?」
 私は微かな吐き気とともに言い放った。
 しかし、老人は何を下らない事を、と鼻で笑い、さも当然と言った風に答えた。
「儂は生きねばならぬ。生きてこの国を導かねばならぬ。ならば命の一つや二つ、軽いものではないか?」
 にこにこと。
 にこにこと、笑って――いや、嗤っている。
 ああ。
 人間というのは欲の為なら此処まで醜くなれるのだなぁ。
 私は朦朧とした頭でそんなことを考えて居た。
「しかし、とりあえず世間が騒ぎすぎた。まずは犯人を作らねば」
 笑みを絶やさないまま、老人。
「役者不足だが、仕方ない。先生にさしあたっての犯人になって貰うとしようか」
 くくく、と老人は楽しそうに嗤い――
 後ろに控えていた男に何事かを命じた。
 刹那。
 老人の後ろで幾つもの大輪の紅い花が咲いた。
 一輪。
 二輪。
 立っていた男の数だけ花が咲き、散った。
「何だ・・・?」
 老人は自分の体を濡らした何かを訝しがり、振り向こうとしたが――
 身長が半分になった。
「よぉ、世話になったな」
 にやりと笑いながら姿を現したのは――
「貴様は・・・」
「あんたの部下に撃たれた虎蔵だよ。結構痛かったぞこの野郎」
 虎蔵であった。
「貴様、死んだはずでは・・・?」
 驚愕する老人。それと対照に、
「死んでたら来れねぇよ」
 面白くも無さそうな虎蔵だったが、
「ば・・・化け物め!」
 老人のその言葉に憤慨した。
「何が化けもんだ、失礼な」
 つかつかと抜き身の刃を携えて張って逃げようとする老人に近付き――
「お前さんの方が余程化け物めいてるだろうが」
 鼻で笑いつつ、刃を一閃した。
 そして。
 私の。
 視界は。
 紅く。
 染まった。


「酷い目にあったねぇ・・・」
 美津里は珍しく労る様な口調だ。
 私は頷き、
「全くだ。とんでも無い目にあった」
 ぼやきながら酒を一口。
「俺も酷い目にあったぞ」
 虎蔵もぐい飲みで酒を飲んでいる。
 まぁ、撃たれたらしいから酷い目と言えば酷い目だったんだろう。
 もっとも怪我一つ無いが。
「美津里は?」
 と問えば、
「あたしゃ代価を頂いたからね。どっちかと言えば儲かった方」
 ほくほく顔だ。
 ・・・まぁ、何があったかは解る気がする。
 色々手に入れたんだろうなぁ。
「ちゃっかりしてやがる・・・」
 にこにこと笑う美津里を見ながら、やれやれといった風情で虎蔵は酒を呷った。
「全くだ・・・」
 私も倣う様に酒を呷った。
「思ったんだけどな。人間の方が・・・」
 怖いかも知れない、と言いかけ、私は口を閉ざした。
 これではまるで私自身人間からかけ離れてる様ではないか。
 しかし、美津里も虎蔵も涼しい顔だ。
 涼しい顔で、私の言葉の跡を継ぐ様にあっさりと言った。
「寧ろ人間の方が余程怖いのかも知れないねぇ」
「違い無いやな」
 私は――どう答えればいいか解らず、黙ったまま酒を呷った。