あしあとはきえ あしあとがのこる





 空の蒼は日に日にその色を深めていき、秋の到来を告げている。
 海はその表情を強く激しく変え、水面の碧と波の白のコントラストは夏の日を思い出させもしない。
 そんな海に恭也は来ていた。
 以前は主治医であった彼女。
 そして今は恋人であるフィリスと。
「ほらほら恭也くん、カニがいますよー」
 フィリスは無茶苦茶嬉しそうである。
 別にカニを見付けたことが嬉しいのではなく、恭也と一緒にいるのが嬉しい。
 そんな感情が伝わってくる表情。
 もしここに彼女の姉がいたのなら、
「その優しさの一欠片でもいいからあたしに向けてくれ」
 とかなり真剣に願っていたであろう。
 しかしここには彼女はいない。
 他に見えるものと言えば、彼女と腕を組んでる彼とか彼と手を繋いでる彼女とか彼女の肩を抱いている彼とか、そんなのばっかりなわけで。
 しかるに恭也とフィリスは手を繋いでいるわけでもなく、ただ並んで歩いているだけ。
 フィリスもそう言う願望を持っていない訳じゃないので、やはり仲良さそうな他の人たちが羨ましくて、だから少し恥ずかしそうに言ってみた。
「ちょっと、寒いですね」
 しかし恭也はこう宣った。
「じゃぁ帰りましょうか。風邪をひかないうちに」
 予想外である。
 鈍い鈍いとは思っていたが、ここまで鈍いとは。
「あの、恭也くん?」
 咎める様にこう言っても、
「なんですか?」
 本気で分からないといった風に聞き返してくる始末。
「普通は、彼女が寒い、とか言ったら。ほら、こう・・・
 なんて言うか、その・・・」
 真っ赤になってこう言うも、
「?」
 やはり分かってない。
 せめて手をつないでくれたらいいのに、この態度はいったいなんでしょう?
 むか。
 フィリスはむかついた。
 確かに恭也が鈍いのは知っている。
 でもだからといってここまで鈍いのが赦されるだろうか?
「絶対絶対赦せないです!」
 そう、それが女の子ってものです。
 偉い人にはそれがわからんのです。
 てなわけで。
「あーもういいです!」
 フィリスは拗ねた。
「フィリス先生?」
 しかし恭也はフィリスの手をとるどころか、先生をつけて呼んでいる。
 むかむかむかむか。
「大体恭也くんは酷いです。鈍いです。鈍すぎますっ!
 もうちょっと恋人らしくしてくれてもいいじゃないですか」
 涙をじんわり滲ませて、フィリスは早足で砂浜を行く。
「えーと、フィリスさん?」
「それは確かにわたしの方が年上ですよ?
 でも、だからといって甘えさせてくれないのは酷いですよ」
 恭也の呼びかけを無視しつつ、少しばかり目をつり上げてひたすら前へ。
「おーい、フィリス?」
 ついついなぁに、と振り向きそうになったのだが、フィリスはぐっと我慢した。
「恭也くんのバカ恭也くんのバカ恭也くんのバカ恭也くんのバカ恭也くんのバカ恭也くんのバカ恭也くんのバカ恭也くんのバカ恭也くんのバカ」
 21回目の『恭也くんのバカ』を呟いた時。
「!」
「こういう事でしょ?」
 不意に温もりが伝わってきた。
 すぐ横を見れば、恭也の顔。
 恭也はフィリスの肩を優しく抱き寄せていた。
 その瞳は優しくフィリスを――いや、フィリスだけを見つめている。
 少し照れた様な、そんな表情に。
「・・・恭也くん、意地悪です」
 甘えた様な声で言ってみて。
「ほんと、意地悪です・・・」
 呟き、身体をすり寄せた。


 砂に残る、26.5pと22pの靴跡。
 ずっと80pの距離を保ってきたそれは波に浚われ、そして消えて。
 今残る2人の足跡の距離は30p。