日々是好日 〜あるいは盆栽好きな剣士のとある休日〜





 それはとある日曜日。
 高町恭也は縁側に寝っ転がり、空を見上げて呟いた。
「いい天気だな」
 空は日増しに秋の色になっている。
 空から降るようなしゃわしゃわという蝉の声は絶え、入れ替わる様に鈴虫や邯鄲、蟋蟀の声が縁の下から聞こえている。
「良し」
 恭也は呟くと、剪定鋏を手に盆栽のもとへ向かった。
「・・・・・・」
 まず木の姿を見て、どこを切ればいいのかを吟味。
「・・・む」
 結局枝を切るのは止め、伸びすぎた部分を整えるだけに留める。
 ぱちん。
 ぱちん。
 まさしく真剣、精神集中。
 普段は周囲に気を配る恭也も、このときばかりは完全に周りが見えていない。
 ――未熟。
 彼の伯母ならこう言って、その後頭部にハリセンで鳴神でも叩き込んだことだろう。
 しかし今彼に近付いているのは恐怖の伯母ではない。
 殺気なんかは発しないし、
「恭也」
 と呼ぶ声もどこか甘えた風なもの。
 だから気付かない。
 そう、彼は今盆栽と会話しているのだ。
 そこに他者の入り込む隙はない。
 それがたとえ恋人であるフィアッセ=クリステラであろうとも。
「・・・・・・」
 だから答えることはなく、
 ぱちん。
 と作業いや会話を続けるのみ。
「恭也」
 ぱちんぱちん。
「ねぇ、恭也」
 ぱちんぱちんぱちん。
 返事はない。
 それどころか目を向けもしない。
 これにはさすがにフィアッセも怒った。
 それもそうだろう、まさか返事もしてくれないなんて。
 恭也がこんなんだってのはフィアッセも解っていたが、それでもやはり赦しがたい。
「恭也ったら!」
 フィアッセは恭也の肩を揺さぶって。その結果。
 ばちん!
「うわああああっ!」
「きゃああああっ!」
 いい枝振りだったその盆栽は、その翼を喪った。
「あ・・・あ・・・ああああああ」
 自らの手で切り落とした枝を手に、茫然自失の恭也。
 そう言えばこの盆栽、恭也の一番のお気に入り。
 そのことに気付き、さすがに身の危険というか悪いことしたなーと思いつつ。
「あ・・・あはは・・・じゃ、そゆことで」
 気まずそうに乾いた笑みを浮かべつつ、ゆっくり逃げ出そうとするフィアッセだったが。
「待ていフィアッセ」
 逃がさヌ、とばかりに肩を掴まれた。
「な、なんでしょう?」
 語尾が微妙に上がっている。
 声も微妙に震えている。
 そんなフィアッセに、
「何の用だ?」
 恭也はにっこり笑って聞いたのだが。
「えーと、あの」
 フィアッセは思わず言い淀んだ。
「まさか用もないのに声を掛けたとでも?
 そしてその結果俺はこの!この枝を切ってしまったとでも!」
 下あごを梅干しにして、涙をそれはそれは盛大に流しながら恭也。
 よっぽど辛かったらしい。
 フィアッセは少しばかり悩んだ後、小さな声でこう言った。
「・・・最近、どこにも出かけてなかったから。そのお誘い」
 怒る?ねぇ、怒る?
 子犬みたいな目で見上げるフィアッセに、恭也はぽむと手を打って、
「ん?あ。
 ああ・・・そう言えばそうだったな」
 あっさりと、まるで何もなかったかの様に。
 ついつい目を丸くしているフィアッセに、
「フィアッセは準備出来てるのか?」
 と聞いてくる。
「え・・・あ・・・うん」
 と戸惑いつつ答えれば、
「じゃぁちょっと待っててくれ。
 すぐに着替えるから」
 とのこと。
 まさかここまであっさりと言うこと聞いてくれるなんて。
 いやいや、きっと何か魂胆があるに違いない。
 フィアッセは冷や汗一つ垂らしながら、縁側に上がった恭也に訊いてみた。
「あの・・・恭也」
「ん?」
「怒ってないの?その・・・盆栽のこと」
「いやぁ、怒ってるよ?
 だから今日はフィアッセの奢りな」
 あくまでもにっこり笑ったままで恭也。
 フィアッセはただただ
「あう」
 と呻くしかなかった。


 そんなこんなでデートにこぎ着けて、フィアッセはそれなりに嬉しかった。
 今日のデートは結局自分の奢りだったことも、彼女にしてみれば些細なこと。
 ただ、一つ不満があるとすれば――
「好きだ」
 という言葉が無いこと。
 付き合い始めて3ヶ月。
 その間に恭也は何回好きだと言っただろうか?
 この数ヶ月に恭也に好きだと言われた回数を数えようとしてみて、フィアッセは気が付いてしまった。
 片手で足りるほどしか好きだと言われていない。
 世が世なら顔に縦線が派手に入り、目は白目と化していたであろう。
 あたかも玻璃のペルソナの登場人物の如く。
 確かに好きだ、と言う恭也の想いは態度から伝わってくる。だが、それだけではやはり不安になる。
 半歩先を進む背中。
 手と手は繋がれているが、今日も好きだという言葉は無かった。
 何度でも好きだと言って欲しい。
 そう思っているのだが、言葉に出来ない自分も悪いのだろうけど。
 フィアッセは軽く溜息をつき、吐息の様に呟いた。
「あのさ、恭也。
 わたしも女の子だから、さ。
 言葉に、出して欲しいよ?」
 その背中に呟きは、届いているのかいないのか。
 フィアッセ自身にも聞こえない程の声だったので、多分届いていないだろう。
 秋の香りを含んだ夕風に髪を揺らしながら、フィアッセは恭也の背中を物欲しそうな顔で見ていたのだが。
「ああ、フィアッセ」
 高町家の門の前。
 恭也は不意に振り返った。
「何?」
 何かあったっけ?と言いたげなフィアッセに、恭也は微かに笑って言った。
「好きだぞー」
「ひゃ!」
 不意打ち其の壱。
 真っ赤になっているフィアッセに、
「それとこれ。
 今日の御礼」
 恭也はほい、と包みを放った。
「わ」
 受け取ったそれはなかなか重く、
「へ?」
 と思わず恭也を見る。
 当の恭也は、と言えば。
「じゃ、そう言うことで」
 素っ気ないのか照れているのか、そそくさと立ち去っている。
「・・・逃げられた」
 ぽつりと呟き、恐る恐る包みを開けてみる。
 箱の中に入っていたのは、いつの間に買ったのだろうかブレスレット。
 そのプレートには短い文章が刻まれていた。
 その文字を読んだフィアッセは、
「不意打ち、だよ。こんなの」
 呟き、恭也を追って駆け出した。


 そして次の日曜日。
 恭也は今日も縁側に寝っ転がり、蒼い空を見上げていた。
 そのこと自体は変わっていない。
 しかし劇的に変わったことがある。
「恭也ー」
「ん?」
「呼んだだけー」
 それはフィアッセに膝枕をされていること。
 フィアッセの右腕にブレスレットが飾られていること。
 そして、ブレスレットのプレートに刻まれた文字は、
”amo tu in aeternum”
 ――あなたをずっと好きでいる。