今宵、星影の下で君と。





 一日の修行が終わり、美由希は既に眠っている。
 起こさないように気を付けながら、恭也はテントを抜け出してその場所へと向かう。
 ――幼い頃、父と2人で空を見上げたその場所へ。
「――――」
 その樹を見上げ、感慨深そうに溜息を一つ。
「この樹は、変わらないな・・・」
 恭也は大樹に背を預けたまま、目を閉じた。
 意識が、冴えていく。
 今、この場所には――誰も、いない。
「・・・・・・」
 音は無い。
 気配も無い。
 ――様に、思える。
 だが。
「――美由希か」
 目を閉じたまま、恭也は呟いた。
 途端に、気配が生じる。
「あ――分かっちゃう?」
「そりゃ、分かる・・・すまない、起こしたか?」
 その問いに、
「ううん。実は起きてた」
 やった、と美由希は微笑。
 やられた、と恭也は苦笑。
 美由希は少しだけ躊躇して。
「・・・隣、いい?」
 遠慮深そうに訊いてくる。
 そんな美由希に、恭也は更に苦笑。
「ああ。駄目なんて言うとでも思ったか?」
 美由希はその返答に、
「思った。恭ちゃんときどき意地悪だから」
 そう言って、悪戯っぽい笑顔。
「あのな」
「冗談だよ」
 滑るように、恭也の隣に歩み寄って――
 美由希は、腰を下ろした。
 そして背中を恭也と同じように樹に預けて、目を閉じた。
 目を閉じたら、様々なものが『視えて』くる。
 それは例えば頭上の枝を走る動物。
 それは例えば遠くの川のせせらぎ。
 それは例えば頬を撫でる風のいろ。
 恭也と美由希はどちらが先ということもなく目を開け―― 
 恭也は立ったまま。
 美由希はその隣に座ったまま、夜空を見上げた。
 空気が澄んでいるからだろう。
 この場所では、街よりも遙かに多くの星が見える。
「綺麗、だね――」
 美由希のその台詞は恭也の答を期待してのものではなかったのだろう。
 ただ、自分に――今、恭也とここにいる自分に聞かせるためだけのもの。
 そうだったのだが、恭也は短く――
 呟いた。
「ああ」
 美由希はその言葉に一瞬驚いた後、嬉しそうに笑った。
 そして、しばしの沈黙が周囲を支配したあと、美由希は不意に立ち上がって。
 あのさ、と前置きして――
 言葉を紡いだ。
「この星はさ。あたしと恭ちゃんしか知らないんだよね――」
 他の――恭也の側にいる他の誰も。
 この星だけは、知らない。
 恭也と見上げているこの星は――知らない。
 そんな、想いを込めて。
 それに対する恭也の答は、また美由希の想像とは外れていて。
「――そうだな」
 という、少し優しい声音で。
 思わず美由希は恭也の肩に手を置いて。
 無理矢理少しだけしゃがませて。
 その額に自分の額を当てた。
「・・・恭ちゃん。熱でも、ある?」
「お前な・・・」
 照れくさいのだろうか。
 少し顔を赤らめながら、恭也。
 美由希も少しばかり顔を赤くして。
「あは、冗談」
 微笑う。
 そして、また沈黙。
 心地よい沈黙が周囲を支配し――
 風のいろを変えていく。
 風のいろが変わったのは――
 美由希の心。
 恭也の心。
 その、いろが滲み出たからなのだろう。
 微かに気怠く。
 微かに切なく。
 微かに優しく。
 微かに、甘い。
 そんな、風のいろ。
 色とりどりの、心地よい風の中。
 美由希は――恭也を見上げて。
 ぽつり、と。
 気負いもなく。
 その言葉を、口にしていった。
「あのさ」
「――ん?」
「良かったな、って思うよ」
「――?」
 自分に言い聞かせるように。
 自分の心を確かめるように。
「恭ちゃんと兄妹になれたこと――
 良かったな、って思うよ」
 その言葉に恭也はそっぽを向いて。
「莫迦」
 恥ずかしそうに、短く。
 その言葉は照れ隠しから来ている。
 それが解っているから――
 美由希は、更に言葉を紡いでいった。
「でもね、もっと良かったなって思えるのは――」
 ――詠うように。
「恭ちゃんと、出会えたこと。
 恭ちゃんと、こうして過ごせること。
 恭ちゃんと、一緒にいれること」
 恭也を見つめたまま。
 笑顔で。
「本当に、良かったなって――思うよ」
 その言葉に対する恭也の反応は、すこしだけ美由希の予想通りで。
「――そうか」
 でも。
「――俺も、だ」
 少しだけ、違っていた。
「俺も、美由希に会えて――
 美由希とこうして過ごせて、良かったと思う。
 それに――」
 恭也はそこで言葉を止めて。
 美由希の頭に手を伸ばし。
 優しく微笑って。
 優しく撫でて。
「嘘はない」
 こう、言った。
 その言葉は――美由希の想像とはあまりにも違って。
 それでも、恭也がほんの一瞬隙を見せたから。
「隙ありっ!」
 恭也に飛びかかって――
 唇を、奪った。
 ほんの一瞬とは言え、キスしたことには変わりない。
「な・・・な・・・」
 自分の唇を押さえつつ、目を白黒している恭也。
 その様子があまりにも見慣れないものだったので、美由希は――
「あははっ!油断大敵だよ、恭ちゃん!」
 笑って。
「でもね、恭ちゃん?」
 少しだけ真面目な表情で。
「他の娘に、こんな隙見せちゃ駄目だよ?」
 恭也を見つめて、右手を伸ばした。
 伸ばされた右の手は、小指以外は折られていて。
「はい、約束!」
 つまりはそう言うことで。
 恭也は少し躊躇た後。
「善処する」
 少しだけからかうつもりでこう答え、力の限りに殴り倒された。
「美由希・・・今の、閃・・・」
 ほんの少しだけ涙で目を滲ませた恭也に、美由希は鋭く。
「善処するじゃなくて、約束!」
 はい、とばかりに小指を差し出して。
 恭也は少しだけ苦笑。指を伸ばして――
「約束、する。俺が――」
 絡まれた指が嬉しかったのだろう。
 一瞬隙を見せた美由希に不意打ちのキス。
「こんなことするのは、美由希だけだ」
 微笑って。
 強く、強く抱きしめた。
 恭也は腕の中に温もりを感じながら、空を見上げた。
 腕の中には護るべき、大切なひと。
 柔らかく優しく抱き留めるような風。
 穏やかな色を湛えた銀色の月。
 そして、祝福するかのように惜しみなく光を降らす満天の星。
 例えば、こんな星の綺麗な夜。
 恋を確かめ合うのも――いいだろう。
 恭也は腕に更に力を込めた。