続 スーさんの似顔絵


さや まりほ


 自分は小さなアリであります。考えながら歩くアリであります。メビウスの輪の上をただひとり歩くアリであります。体は隊列の中にいますが、魂はひとりメビウスの白い輪の上を歩き続けているのであります。

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 自分は昔、人間でありました。弱者愛護の精神を、法で定めた政治家でありました。生きとし生けるもの全てに対する愛を、行政の世界で実現させようと理想に燃えた政治家でありました。親孝行でありました。ちょっとしたインテリでもありました。けれども犬公方とあだ名されました。親しみをこめてではなく、やゆされて……であります。

 下々の者に自分の思いが伝わらず、悲しみがこみあげ、膳をひっくり返したこともあります。恥ずかしながら八つ当たりでありました。今思えば、タンパク質不足からくるイライラもあったのでありましょう。

 けれども考えてみてください。貧しくて食べられないのではないのであります。食べようと思えば、いくらでも贅沢できるのに、自ら清く律して食べないのであります。尊いとは思いませんか?

 また、みなさん方のダイエットや成人病対策とも違うのであります。

 そういえば、自分の回りには過食症の者がたくさんおりました。食べ物に対してではなく、地位とか名誉とか金とかに対して、であります。悲しいことでありました。

 まさか、自分は違います。自分は死ぬまで将軍の座を約束されていたのでありますから。えっ、跡継ぎでありますか?

 それは、母の望みでありましたから。自分は親孝行でありましたので。

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 西洋の教えに「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」というものがあります。だからと言って、自ら望んでアリに生まれ変わったのではありません。自分たちにそんな選択の自由はないのであります。

 ただ、宮沢賢治の存在を知り、うらやましくなりました。将軍ほどではないにしろ、豊かな暮らしを捨てた人であります。学者であり、教育者であり、芸術家でありました。後世に名を残し、長く人々に慕われた人であります。死後に「雨ニモマケズ」の詩がメモ書きの形で発見された人であります。

 (実は、自分もいろいろ書いたのでありますが、そういう風には扱ってくれないのであります。)

 彼は針の穴を通れたでありましょうか。「……ソウイウ人ニ、ナリタァーイ!」ということは、心の奥でソウイウ人になりきれない己とたたかっていたのではないでしょうか。浮世の評価が違うだけで、本質は自分と同じであります。

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 彼もきっとメビウスの輪の上を歩いているのでありましょう。目には見えませんが、たくさんの魂たちも、いっしょに歩いているのでありましょう。

 同じ輪か、別の輪か、自分には分かりません。けれども自分たちは時空を超えた世界で繋がっていると思うのであります。想像でありますが、おそらく、メビウスの輪は無数にあって、複雑に絡み合うクサリのように繋がっていると思うのであります。

 自分たちは小さなアリであります。考えながら歩くアリであります。メビウスの輪で繋がった道を歩いている、無数のアリであります。


(『しけんきゅう』132号 1999年5月発行)

    

メビウスの輪に関する文章を、【創作ノート 7】 に書いています。興味のある方はどうぞ!
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