ナルシスへの伝言 



さや まりほ

 
 
 「ナルシスは自殺だと思いますか」
 牧田博士は、おだやかに口を開いた。僕は返事をせずに水仙の花に視線を移した。
 牧田博士と僕は応接セットのソファーに向かい合って座っていた。テーブルにはガラスの花瓶に一輪の白い水仙が生けてあった。
 
 ナルシスは水仙に生まれ変わったんだったな。湖に写った自分の姿に恋をした。
…… 湖に落ちたのは …… どうして僕はこんなことも知らないのだろう。人文系は苦手だな。
 
 「それとも事故だと思いますか」
 やっぱり僕は答えず、水仙の花を見つめたままだった。
 誰だろう。こんなわざとらしいことをしたのは。須藤舞子、きっと彼女だな。彼女が水仙の花を生けた、ナルシスの追悼のために。
 
 いつだったか、須藤舞子は耳たぶを赤くして僕のデリカシーのなさをなじった。
 「牧田先生は、今にきっと、あなたより人間らしい心を持ったロボットを造るわよ」
 彼女は何に腹をたてたのだろう。
 彼女は知らない。僕は子供のとき、何度も博士と会っていることを。
 
 10歳の時だった。僕はよく家庭用ロボット、ドラNのシステムをいじって遊んでいた。ある時、しくじって動かなくなってしまった。
 ドラNを開発した牧田博士は、ひどいショックを受けた。ドラNは感情表現の豊かなロボットだ。家族に近い存在のはずだ。値段もばかにならない。そのドラNを壊すとは、いったいどんな家庭だろう。博士は自ら修理のため、ロボットの引き取りに僕の家にやって来た。
 
 博士は複雑なシステムを壊したのが、目の前の小さな男の子であると知り、驚愕した。けれども優しく僕に話しかけてくれた。
 「このシステムさわるの、ものすごく難しいんだよ。君は頭がいいんだねえ。でも、ドラNは、君のともだちじゃなかったの」
 
 修理のすんだドラNを届けに再び家にやってきた博士が、両親に話をしているのを、こっそり聞いた。
 「しょせんロボットはロボットですから、あまり任せきりになさるのは、どうかと思います。
…… はあ、ありがとうございます。ですが、安くならないと思います。量産する予定がありませんので」
 
 ドラNは量産された。頭のいい子に育てるということで、急に需要が伸びたから。15年たった今も、僕のことはロボット業界と教育界で、語り草になっている。
 彼女は知らない。僕がかつてのあの少年だということを。そして彼女は知らない。博士が大学にいたころ、僕はしょっちゅう博士の研究室に遊びに行っていたことを。
 
 ドラNで儲けた牧田博士は、独立して研究所を持ち、人の心を持つロボット開発に本格的に取り組んだ。実用化は先でいい、とにかく博士は研究をしたかった。
 人の心の基本は自分を愛することだと、試作ロボットは「ナルシス」と名づけられた。
 メカとしてのデザインもスマートな、人型ロボットだ。
 
 この研究所に就職した直後の研修で、僕は簡単な心理学を教わった。
 人はみな、社会生活に必要な役割を演じるために仮面を持つようになる。ただし、仮面と心との間に不具合がおきると、かなりシンドイことになる。この「ナルシス」は、まだ仮面を持っていない状態だ
…… と。
 
 Photo by Jun Akiyama
 
 そうだ、須藤舞子が怒ったのは
……
 「プログラムで使う<命令>という言葉を<伝言>というようにしませんか」
 透きとおる頬を、ほのかに染めて提案した。「人の心を持つロボットなら」と。
 僕はまやかしだと思ったけど、あえて反対するのもばかばかしいので黙っていた。でも、彼女は敏感だった。
 
 水仙の花は、まっすぐ僕を見上げている。神話では、ナルシスの死後、湖のほとりに咲いて、いつまでも湖面に写った自分の姿を見つめていたようだけど。
 
 「ナルシスへの最後の<伝言>は、君がしたんですか。“あなたの仮面は湖の底にある。取りに行きなさい”」
 僕は、ゆっくり牧田博士の方を向いた。昔に比べて白髪が増えたな。それから皺も少し。今の方が、柔和な感じかな。博士の仮面は進化している。
 僕は唇をかんでうなづいた。
 
 湖の底に沈んだナルシス本体は、もう使いものにならないだろう。でも、感情の変化のデータはバックアップをとってある。
 そのデータは新しい体に組み込まれるだろう。死の記憶を削除して
…… 生まれ変わる? ロボットが?
 
 「君にはドラNの時にもびっくりさせられました。
…… 不思議ですね。ナルシスは<伝言>に対して、どういう判断をしたんでしょう。…… 仮面が欲しかったのは、君自身じゃなかったんですか。心との不具合をおこさない仮面が欲しかった」
 須藤舞子も思っているだろう。僕の精神年齢は、ナルシスと同じくらいだと。
 
 「じゃ、これからナルシスを引き上げに行きましょう」
 博士が立ち上がった。つられて僕も立ち上がった。
 「君の仮面は湖にはありませんよ。地上にあります。それに協力を求めるなら、ロボットではなく人間にすべきでしょう」
 
 僕は博士の背中を追ってドアに向かったものの、テーブルの水仙が気にかかる。ナルシスのために、花を持って行くべきだろうか。
 廊下には、須藤舞子が水仙の花束を持って立っていた。


 

 


画像は、Jun Akiyamaさんが撮影・加工したものに、画像処理(ミラージュ)をほどこしました
(初出:サイト 『Creator's Synopsis』企画 SS競作 第6回テーマ「花見」 2001年4月1日)
(『しけんきゅう』137号に掲載 発行日:2001年12月1日)