夢の後始末

さや まりほ


 

やさしさとは こんなもの
なんていう 思い込み
それとどっちが ましかな
私はいつも うろたえてばかり

やさしさにも 技術がいるみたい
とっさの言葉と表情

                  コワイ夢ヲ見タヨ


本当のことを教えて と
それがうまく言えなくて
でも 本当のことなんて 私自身が知っている
知っている私がいることを
私は知ってて 忘れているだけ

                 トテモ コワイ夢ダッタ


だから あの人にあやまらなきゃいけないと
知っていることを思い出したし
あの人も 私がこわい夢を見たことを
きっと知っている
知ってて 気づいていないかもしれないけれど

丘にも登ったことのない私が
いきなりアルピニストになる
山の知識はなくても
山で事故の起こらないことを知っていたから
それを確かめるために
山に行ったような気がする
そして山では 夢を見ないことも

                    夢ッテ ナニ?


何もかも知ってて
奥にひそむ もうひとりの私が
ふっと 出てくる
でも 私が私をつかまえられないでいる

                トテモ コワイ夢ダッタ


一歩一歩 次はどこに足を置こうか
それだけを考えながら歩いている
穂高では この夏すでに二人死んでいる
一歩 踏みまちがえたら
三人目になるかもしれない

生き物には 身を守るための本能があるのに
なぜ 言葉には
正確な キョウフシンがないのだろう

                  コワイッテ ナニ?

美しい景色にであうとき
もうひとりの私は 部分的に
私と とけあっている感じがする

                 コワイ夢ダッタケドネ

あの夢は一度だけで
もう 二度と見ないけど
キョウフシンが何かを教えようとしている

そして 私はあの人にあやまる言葉が
まだ わからないでいる
たぶん あの夢は
もうひとりの私が 私を催促したものなのに

                  ヒキズルノハ イヤ

山で もうひとりの私からメッセージを受け取って
その時は 納得したけれど
今になって とまどっている
“言葉をさがすことが間違っている” なんて


(『しけんきゅう』124号 1994年11月発行)