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創作ノート 48. |
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【創作ノート】の更新が急速にペースダウン。 こういうのって習慣ですね。 書いていると、日常に感じたことを、頭の中で文章にしています。 更新を怠っていると、それがなくなってくるんです。 でも、「しけんきゅう」に発表する作品は、期日にあわせて書いていますので、創作意欲がなくなったわけではないです。 本当に習慣ですね。 (3月13日 記)
1月20日拝受 発行日:2005年12月15日 編集製作:スタジオ・クレイ 表紙絵:水戸晶子 領価:2200円 白河左江子さん詩集 『もういいか〜い まあだだよ』
主に岡山の同人誌 「黄薔薇」 に発表した作品をまとめた詩集です。 岡山の大詩人、故永瀬清子さんの教えを受けた方です。
とむらい
白河左江子
とっぷりと暮れた帰り道
車が照らす明りの端を
さあっと横切った白い生き物
ああっ と
心がすくむとほとんど同時に
ぐにゃっとした衝撃
どこかでこれと似たような
……
確かに同じような
……
今朝だ
この目で轢(ひ)いたのは
あの子がそおっと出そうとした気持ち
昼(ひる)
ことばで殺したのは
あの子がやっと見つけて言おうとした答え
ついさっき
さようならを言って
半殺しにしてきた子
せめて
一瞬の間(ま)の死であればまだしも
手を裂き
足を折り
たらたらと血を流す
何人殺(や)っても逮捕状はこない
次の日
道には何もなかった
ルビは( )で表記しました
人を殴ったり蹴ったりしたら、自分には肉体的に衝撃が来ます。 言葉や態度で傷つけた場合も、衝撃が感じられることがあります。 その感覚を不可思議に表現して、リアリティに伝わってきます。
通常、傷つける側と傷つける側 (いじめる側といじめられる側) は、決して対等ではありません。 傷つけられた人は、一日中、そのことに心が占領され、とらわれてしまう。 でも、傷つけた人は、涼しい顔で他のことに夢中になれることもあります。 相手の痛みに対して想像力が働かない。
傷つけても平気でいられるのは、楽ではあります。 想像力が豊かであることは、時にシンドイ。 けれども、痛みに対する想像力が摩滅すると、世の中はどうしようもなく殺伐としてしまうでしょう。 そんなことを思いました。 (2月26日 記)
前回(一か月以上更新していないけど)の佐々木伊織さんについて、思うことを付け加えます。
これを読めば、佐々木さんは共産党員じゃないかと思われるでしょうけど、党員ではなかったようです。 というより、党員だったけれども離党したんじゃないかと思います。 よく分かりません。
詩人は政党に所属しない方がいいと思います。 各問題ごとに、言いたいことがあれば言う、というのが楽でしょうね。 なぜかというと、政治で使われる表現と、芸術で行われる表現は、全く違いますから。
詩に限らず、芸術的作品は、結論などなく問題提起する場合が多いです。 作者自身も気付かないものが多く含まれていて、それが作品を分厚くしています。 受け取る人によって、全く違う感想を持つこともしょっちゅうです。
詩人が政治活動をしなければいけない時代というのは、とても不幸だと思います。 (2月21日 記)
「詩研究」 「しけんきゅう」 の創刊 (1950年) に深くかかわり、長年、同人でもあった佐々木伊織さんが去年の9月にお亡くなりになりました。 享年94歳。 いろいろ思うこともありますが、とりあえず、以前、私が書いた駄文を転載して追悼したいと思います。 二年前、佐々木伊織さんがとても喜んでくださったものです。
「このごろ、命が惜しいと思うようになりました。 昔は命が惜しいとは思ったことなかったけどなあ」
92歳になった佐々木伊織さんが夜の片原町駅でぽつんと言った。 佐々木さんはあの戦争を阻止するために命がけの地下運動をした人である。 6月、ひさしぶりにお会いし、戦争の話をいろいろ伺った。 けれども一番印象に残ったのは上記の別れ際の言葉である。
佐々木さんが詩作から離れて長い。 今は俳句を書いている。 もし、綾野竜という俳号を見つけたら、命が惜しいなどと言っていられなかった時代を生きた人の、現在の心境を読んで欲しい。
(2003年12月1日発行 『しけんきゅう』141号 「広場」より)
この後、手紙と電話のやりとりはしましたが、お会いしたのはこれが最後になりました。 もっといろいろ伺いたかった。 とても残念です。 (1月17日 記)
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