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創作ノート 53.

2007年12月
2007年11月
2007年10月



「鳥肌」 の間違った意味が定着

 今日、「ウイークエンド サンシャイン」 というラジオの音楽番組で、ピーター・バラカン氏が 「鳥肌ものでしたね」 と言っていました。 これで、「鳥肌」 に良い意味が定着したなあと思いました。 「とても感動した」、という意味に使われるようになったのは十年ぐらい前からでしょうか。 彼が日本に来たのは、それより前だったと思うのですが……
 
 「鳥肌」 は、皮膚が鳥の毛をむしった後のような状態になることを言うのですが、以前は悪い意味でしか使っていませんでした。 「鳥肌が立つ」 は、とても強い不快感を表す言葉でした。
 
 日本文化に詳しいガイジンさんは、むしろ昔ながらの日本語を使うものだと思っていました。 個人的には、ピーター・バラカン氏の話す日本語はとても上品に聞こえます。
 
 まあ、言葉は生きものですから変化はつきもの。 十年前は 「鳥肌」 を間違った使い方をしていても、今なら同じ使い方をしても正解なのでしょう。 (12月29日 記)

    

「いのち」 というテーマ

 「しけんきゅう」 も、次号は150号。 50周年記念号 (134号) 同様、特別なことはせず、みなでテーマを決めて書く、ということになりそう。 そのテーマは、おそらく 「いのち」。 「命」 ではなく、「いのち」。
 私は人と違ったものを書きたがるクセがあるので、「胃の血」 のようなものを 一瞬考えてしまう。 たぶん、「命」 の 「いのち」 を書くことになると思うけど。
 さて、明日はキリストの誕生日。 もっとも、実際は夏に生まれたという説があるが。 (12月24日 記)
 
 

朝青龍はいつ本音を話すのか

 朝青龍問題で 「再来日」 という言葉をよく使われていた。 で、今日 「再来日」 したんだけど……。 なんかトゲがあるんだなあ、この日本語に。 すごい距離感がある。 彼は日本とモンゴルを行き来していたわけだし……。 でも、中国語では、明日会う人にさよならを言う場合も 「再見」 だから、「再」 は軽いのかなあ。
 
 わりとどのスポーツでも、トップにいる選手って、人間的にも優れている。 よりによって横綱の人格が問われるのは、最悪。 要は、相撲界全体がおかしくなっているんでしょ、と言いたくなる。 まあ、どの世界も、汚い面はあるだろうけど。
 
 今更ながらの謝罪会見も良くなかったなあ。 それより、長い間、どうして黙り込んでいたかが気になる。 本当のことを話すのは何年も後のことだろう。 貴乃花も、引退後に別人みたいに喋りだしたし……。 もし、朝青龍が早々に引退してしまったら、すぐに話すかな? 相撲界の内情だけでなく、日本とモンゴルの国際問題にもかかわるかもしれないことがあるなら、難しいかな。 (11月30日 記)
    

宮沢賢治と時を駆ける子供達

 めったにないことですが、表題のエッセイを紙ベースで発表しました。 この文章を、故浜崎美景様に捧げます。 初出は 「しけんきゅう」 149号 (発行日:2007年12月1日) です。 (11月27日 記)

 
 
 このタイトルを見て、すぐに 「銀河鉄道の夜」 や 「風の又三郎」 などの童話を思い浮かべる人も多いだろう。 でも、今回はもっとマニアックな(?)話をしたい。

 ご存知のように、宮沢賢治に関する本はとても多く、常に誰かが出版しているようだ。 賢治ファンの同人、秋山さんの最近のお気に入りは、栗谷川 虹 
(くりやがわ こう) 著 『宮沢賢治 異界を見た人』 だそうだ。 その本によると賢治は空海並みの超能力者であり、ふとした拍子に、「こちらの世界」 から 「あちらの世界」 に行ってしまったりしたそうだ。 たとえば 「心象スケッチ」 は、賢治があちらの世界で見てきたものを、そのまま言葉でスケッチしたものらしい。

 もっとも、真偽のほどは確かめようがないので、こういう見方もあるんだなあと楽しみましょう、ということだ、念のため。 私は少し信じている。 素人考えだが、「心象スケッチ」 には、筆のスピードを感じるからだ。 迷いながら書いたのではない気がする。

 次に、秋山さんからいただいたメールの一部を紹介しよう。 これは、私の作品 「不都合な僕」 に出てくる多次元世界を相談したことから発展した話だ。


 賢治の童話に (異世界 → 人間界) への移行が描かれていますが、この主人公 (ペンネンネンネンネン・ネネム) は、ちょっと足を滑らしただけで人間界へ落ちてしまうのでした。 以下、「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」 から

 その時どうしたはずみか、足が少し悪い方へそれました。
 悪い方というのはクラレの花の咲いたばけもの世界の野原の一寸うしろのあたり、うしろと言うよりは少し前の方でそれは人間の世界なのでした。



 面白いことに気がついた。 「一寸うしろのあたり」 と 「少し前の方」 が同じポイントである。 これが成立するのは、4次元以上の世界だ。 これは、2次元 (平面) では重なる線も、3次元 (立体) ではぶつからなかったり、反対に図面では平行な二つ線も、物体をいろんな角度から見ればぴたりと重なることがあるのと同じ理屈だ。
 童謡 「かごめかごめ」 の中の 「夜明けの晩」 や 「後ろの正面」 という一見矛盾した表現も、時を駆けて遊ぶ子供達にとっては、おそらく何の不思議もないのだろう。

 元同人の浜崎美景さんが西国に旅立たれた。 その国は普通の人間からは見ることができない。 けれども故人の作品を読めば、私達はいつだってタイムトラベラーになれる。

 
  
 
   

不眠症のカエル

 秋に狂い咲きしていタタンポポも、さすがにもう花は咲いていません。 そのタンポポの茎や葉がごそごそと動いています。 あ、これは夏に見る動き……もしや……と思っていたら、カエルが飛び出て来ました。 何回かジャンプを見せてくれた後、草むらの中に消えていきました。
 
 暖かい秋だったので、このカエルはまだ冬眠に入っていないのでしょう。 もしかしたら、季節を間違えたタンポポに付き合っていたのでしょうか。 (11月17日 記)
 


冷凍赤福でも良かったかも

 食の安全については、日本人って本当に神経質だと思います。 製造年月日、賞味期限、消費期限にとてもうるさくって、有名店、大企業がごまかすと国中がひっくりかえるほど騒ぎます。 そして、その会社は社会から抹殺されてしまうことがあります。 まあ、嘘はいけないんですけどね。
 
 それにしても、赤福の 「冷凍→解凍」 のお餅と、作ったばかりのお餅の区別がつかないというのは、ある意味、素晴らしいです。 特別な技術はいらないかもしれませんね。 私も、和菓子を冷凍して、後で自然解凍して食べたことがありますが、おいしかったです。 もっとも、その時に、「新鮮な」 ものと食べ比べたことはありませんので、もしかしたら味が落ちているかもしれません。
 
 いっそ、冷凍赤福も販売すれば良かったんじゃないかと思います。 素人考えですが、2〜4個をワンセットにして、冷凍食品として全国のデパートに置くと、売れたような気がしますけど……。
 
 実害のなかった不正に対して、厳しすぎるような気がします。 実害があるのにそのまま横行している不正がたくさんあるだろうと思ってしまいます。 食糧自給率の低い日本です。 将来は、期限切れであっさあり処分する方が非難されるようになるかもしれません。 「大切な食料を有効利用する努力を怠った」 という理由で。 (10月28日 記) 
 

すずめの落穂拾い(?)

 刈り取りの終った田んぼに、雀がたくさんいました。 きっと、残っている稲の実を食べているのでしょう。 ミレーの絵の中で 「落穂拾い」 をしているのは貧しい人達です。 私の目の前にいる雀達には、きっと明日の不安はないのでしょう。 今現在を生きることだけに一生懸命なのでしょう。
 
 あぜ道には、季節はずれのたんぽぽが咲いていました。 季節はずれに咲く花は、たいてい小さくて遠慮がちにうつむいています。 愛おしい姿です。 (もし、大輪でわ〜っとたくさん咲き乱れていると、気象変動かと不安になります)
 
 なお、ミレーの 「落穂拾い」 の 「穂」 は麦の穂です。 (10月13日 記)

        

何から何を判断するか?

 検索サイトで、「沖縄 教科書 集団自決 人数」 というキィーワードで検索すると、「集会に集まった人数は11万人より少ないだろう」 という内容のページに多くヒットします。
 ある掲示板 ( http://turenet.blog91.fc2.com/blog-entry-2074.html ) での書き込みに、
ウヨ側 6000人→2万人
サヨ側 11万人→8万人
だんだん値切り交渉みたいになってきた
 というのがありました。 そのうち、航空写真を拡大して人数を数える人が出てくるかもしれません。 (すでにいる気がします)
 
 当然のことですが、集会の人数だけから、戦時中の沖縄で何が行われたかが正しく判断できるわけではありません。 怒りや悲しみの大きさ深さは、人数に大きく影響されるでしょう。 後、シビアーに、言論の自由の度合い、交通機関、会場の環境などなどで変わってきます。
 
 私は、集団自決に日本軍は深く関わっていたと思います。 手榴弾を使ったのが本当ならば。 軍は貴重な武器弾薬を住民に渡したのですから。 これは私の少ない知識の中からの想像ですけど。
 
 中国での残虐事件のことも、長年いろいろ議論されています。
 おそらく、何らかの残虐行為があったのでしょう。 中国側は犠牲者の数を多く言ったのでしょう。 日本側は事件そのものがなかったと言ったのでしょう。 そして、お互いの言い分の矛盾点をついているうち、複雑さが増していったのでしょう。 (10月12日 記)


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