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創作ノート 54.

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型+血→形 (かなもじ論に思う)

 前号に続き、めったにないことですが、表題のエッセイを紙ベースで発表しました。 初出は 「しけんきゅう」 150号 (発行日:2008年6月1日) です。 (6月21日 記)
 


 
−かなもじ論に思う− 
 
型+血→形
 

    ある詩集出版記念会で
    遅れて来た来賓の大学教授があいさつに
    たまたまその著者がかなもじ論者であったことにつけて
    自分のローマ字論を開陳し始めたとき
    「先生 講義は教室でやってください」 と末席から
    さわやかな声で叫んだ尾崎徳
    あれは確かに 「詩人の声」 だった


 これは衣更着信さんによる尾崎徳への追悼詩 「詩人」 の一部である。 (初出 「しけんきゅう」 107号 1986年2月発行) この大学教授は今で言うKY (空気読めない) か。 かなもじ論者は当然じっこくさんのことだろう。 興味深いのは、衣更着さんと尾崎徳が、じっこくさんのかなもじ論に対して同じ考えを持っていたと想像できることだ。

 (私は尾崎徳を直接には知らない。 この詩の影響で私の頭の中ではどうしても尾崎徳に敬称が付かない)


 「詩研究」 (101号以降「しけんきゅう」) 創刊者じっこ くおさむ (十国修) さんは、第2次世界大戦でビルマに従軍し、日本兵の8割が犠牲になったというインパールを経験している。 軍隊の立て直しができるまでラングーン日本語学校で教壇に立ち、教科書も作る。

 この時、漢字教育の困難さを思い知る。 漢字には読み・意味・形に一貫性がないため覚えてもすぐ忘れてしまうのだ。 例外の背景には文化があるものだが、数が多すぎる。


 なお、ここでの日本語教育はビルマ人の強い希望で行われたもので、文化の侵略ではない。 当時、日本とビルマは友好国であり、日本兵とビルマ人との関係は良好で、学校の雰囲気も良かった。 (政策はどうであれ)

 戦後、日本ローマ字協会に入り、強い影響を受ける。 そして独自にかなもじ・分かち書きの表現を工夫することになる。


 じっこくさんのかなもじ論は私には分からない。 特に漢字をシナ文字と呼び、かなもじは日本独自の文字である、というのは無理があると思う。 漢字は日本で長年使われているのだから。

 ご自身も、「自分のモジ体系を自分で批判することは,自分の虫歯を自分で抜くほどむずかしい。 ただ,国の外へ出てながめると,自分が病気であるという自覚だけはできるのである」 と、 「ある少年のことば」というエッセイの中で書いている。 もじ論に賛同を得られないこともあったのだろう。


 じっこくさんの詩は理屈ぬきで素晴らしいし、他の人にかなもじを強要することはなかったので、作品をかなオンリーで表現することに問題はないはずだ。

 むしろ、ローマ字にならって詩を横書きにしたことの方が議論を呼んだようだ。 「詩研究」 を横書きにしてしまったので、ここで発表するものは原則として横書きになる。 同人、誌友に外国語に詳しい人たちがいたため、内部では受け入れやすかったようだ。


 私が山下さんから 「しけんきゅう」 の事務局を引き継ぐことになった時、じっこくさんからいただいた手紙には、次のような一文がある。 「思い切った編集をしてください。何をやってもいいけれど、横書きだけは当分の間守ってください。 本当は国字の問題の方が大切なのだけれど……」

 なお、国字にどういう問題があるかは書かれていない。


 昔、古武道の先生から、 「型は効率的に稽古するためのもの。 型に血が通って形になる」 とうかがった。 ただし、形の向こうにある天衣無縫の世界のことは、安易には口にしない。

 詩人の血は、確実にじっこくさんの中にある。 自分はローマ字の型を基本に詩の形を作れるが、普遍性は? 知識と正義感が苦悩を生んだことだろう。

 じっこくさんの晩年の戯歌 「ムリとムダかかえてこの世地獄鍋 ムリとムダ捨てて宇宙を一人旅」 は、やはり天衣無縫の世界を夢見ていたことを教えてくださっているような気がする。


 まとまりのないことを書いている。 的外れのこともあるだろう。 言い訳をさせてもらえば、じっこくさんは詩人なので、じっこくさんのかなもじの解釈は、詩の解釈が自由であるのと同じように自由だと思う。

 戦争のことなど無関心で、漢字や難しい言葉は辞書を引くのが面倒なのであまり使わず、横書きのレイアウトを楽しむ私に、 「うらやましいなあ。 僕もそんなふうに書いてみたいなあ」 とおっしゃっていたことを思い出す。


 「このままでは、じっこくさんは忘れられてしまう」 と心配する人もいると聞いた。 お亡くなりになって11年。 そんなに軽いキャラではないはずだ。 実作者としては、じっこくさんから受けた影響が作品に出ればいいし、それぞれの作品がまた誰かに影響を与えればいいと思う。

 それは 「しけんきゅう」 や、やはりじっこくさんが精神的中心の英詩の会 「アスフォデル」 のような同人誌だけの仕事ではない。 文学のジャンルに限ったことでもない。 じっこくさんは教育者だったのだ。 「何か」 を引き継いでいる人はゴマンといるし、広がっているだろう。 当然、姿を変え、薄まっていくかもしれない。 でも、作品や記録や記憶が残っていれば立ち返ることができると思う。


    

膨大な犠牲で中国が変わる

 このごろの中国関係のニュースを見ていると、もし、この世に神仏があるなら、その大いなる力の意思は何なんだろうと思ってしまう。

 仏教で言う因果応報に、個人の日ごろの心がけや行いなんか関係ないんじゃないかと思う。 もしかしたら、ここ百年、前世の悪い人たちがチベットやその周辺に多く生まれているのかもしれないけれど。 どちらかというと、因果応報なら政治の方にあると思う。 例えば、災害救助の遅れの理由が政治的な都合なのだから。 政治のカルマ?

 旧約聖書のノアの箱舟の話は象徴的だ。 だいたい地上の良い人間がノア一家だけのはずはない。 大きく世の中を変えるために、多くの人や生きものが犠牲になったのだと思う。

 中国の人たちが積極的にボランティアしている。 献血、募金、そして危険な被災地に行く人たちまで。 混乱の中、政府の情報統制も緩んでいる。 人々が自分の頭で考え、行動しようとする。 中国の政治が変わる予兆かもしれない。 (5月20日 記)

   

護衛

 聖火リレーが長野で無事(?)行われたようでよかったです。 それにしても、聖火の護衛のすごさには興ざめです。
 
 比べるのも変ですが、ダライ・ラマ14世が日本に来ても、護衛はあんまりないみたいですよ。 これは、2000年4月にダライ・ラマ14世が来日し、公演した時のことを本にした 『ダライ・ラマ 知恵と慈悲』 を読んで知ったことです。 日本政府側の護衛はいっさいなく、ダライ・ラマは普通に新幹線に乗って移動したようです。 こういうこともダライ・ラマ人気につながっているのでしょう。
 
 今回、善光寺さんはお手柄だと思います。 リレーの時間に合わせて、暴動で亡くなったチベット人と中国人の両方の法要を行ったのですから。 リレーに流れ込む人たちをこっちに引き込むことも、ある程度はできたのではないでしょうか。 これはダライ・ラマの考えにも近いと思います。 (4月26日 記)
 
 

人々が必要としている間はダライ・ラマでいる

 チベットで大きな抗議活動があり、ダライ・ラマ14世が久々にマスコミに顔を見せた。 「暴動を指示していない」 ことに関連して、「暴動が続くようなら退位する」 と発言したとか。 この退位の言及は、政治家や会社役員の責任引退とは重さが違う。
 
 ダライ・ラマ14世のインタビューを読んだことがある。 その中の一文を思い出している。 「人々が必要としている間は、自分はダライ・ラマでいるが、必要とされなくなったら、一人の仏教徒にもどるまでだ」 ノーベル平和賞を受賞する前のインタビューだ。
 
 非暴力はチベット仏教の大切な教えなのだろう。 チベット人が暴力に訴えるようになったなら、それは自分が指導者としての役割を果たしていないことになる。
 
 輪廻転生を信じている人々は、憎しみの感情は深くならないと思う。 自分に拳を上げている人は、もしかしたら死んだおじいちゃんの生まれ変わりかもしれないからだ。 そういうことがありえるかどうかは別にして、そう信じている人ばかりが暮らしていれば、そこは平和な世界だろう。 (3月20日 記)

    

3人乗り自転車を予想してみよう

 “正式な” 3人乗り自転車ができるようですね。 本来は違反なんですけど、現実的な解決方法として、安全な3人乗り自転車を作ることになったらしいです。 現在の問題点は、バランスと前方の視界が悪いこと。 これを考慮して、勝手にどういう自転車ができるか予想してみました。
 
 ポイントは前の子供の座席だと思います。 前後にスライドできるようにすればどうでしょう。 まず、今まで通り前かごに近い所に座らせ、それから後ろにスライドし、母親に近い場所で固定するのです。 親子ともに安心感が増し、母親の視界も良くなると思うんですけど。
 
 何かにぶつかったり、転んだ時に安全であること……は完全には無理でしょう。 近い将来、警察主催で3人乗り自転車の講習会が開かれるかもしれませんね。 人形を乗せて練習をするんです。 これまでは、違法だったので講習会もできませんでしたからね。
 
 それから、興味があるのが外国への普及ですね。 将来、どういう国で流行るでしょうか。 (3月 4日 記)
 
 

外国語で暴言

 朝青龍が関西空港でカメラマンに 「死ね! このヤロー!」 と暴言を吐いたとか。 これ、日本語。 母語のモンゴル語ではない。
 
 去年の秋、謹慎中にもかかわら療養のためモンゴルに帰国中、「日本に戻ったら記者会見はモンゴル語でしたい」 と希望していた。 なぜなら、「日本語では自分の気持ちを正しく伝えられないから」、と。 実際は日本語をマスターしているはずだ。
 
 それでも本気の本気で感情的になっていたなら、モンゴル語が出るだろうから、暴言は意志を持ったメッセージかしら。 なあ〜んて意地悪を言いたくなるほど、朝青龍はヒール役にはまっている。
 
 横綱の品格を疑うような報道も、挑発の結果が含まれているだろう。 一連のマスコミ報道には、相撲協会も困っているだろう。 でも、今の相撲界に朝青龍のヒールキャラは必要だろう。 品格を重んじる相撲界としてはこの矛盾をどうするか? (2月28日 記)
 
    

【期限切れコーナー】 あるいは 【自己責任コーナー】

 中国から輸入した冷凍食品に農薬が入っていて、食べた人に被害が出ています。 去年の数々の食品偽装なんか吹っ飛んでしまいそうな事件です。 賞味期限・消費期限、原材料が違っていたと言って大騒ぎしましたが、実害はありませんでした。 病気になったり、お腹が痛くなった人なんかいなかったし、おおむね味の評判が良かったですよね。 まあ、嘘はいけませんけれども。

 で、食糧自給率の低いことが、ついでに取りざたされています。 放置された農地を会社経営で耕作するとか、エチゼンクラゲの利用方法を開発するとか、やることはいろいろあると思うのですが。

 とりあえず、すぐにできる無駄を減らして欲しいです。 食のMOTTAINAIは、自己責任 (と丈夫な胃腸) から。

 スーパーに 【期限切れコーナー】 を作って欲しいです。 賞味期限切れの食品なら半額、消費期限切れ (直前!) なら8割引きぐらいで。 後、材料などの表示偽装が発覚したものも、安全なら回収しないで格安で売ればどうでしょう。 元が安全なものなら、後は自己責任。
 これらは買いだめできませんから、冷蔵庫に古い食品をためこむ、という無駄も少しは減るでしょう。 また、少し遅れて買うのですから、危険な商品なら、買う前にニュースになるかもしれません。

 通常の商品の売り上げが下がる (かもしれない) くらい、いい企画だと思います。 ただ、これはどの店でもできることではないでしょう。 コンビニだとスペースが苦しいでしょう。 後、店や商品のイメージが下がるからダメ、という場合もあるでしょうね。 (2月 1日 記)

 <注>  賞味期限とは味を、消費期限とは安全を保証する期限です。
 

ヒール役は横綱

 大相撲は白鵬の優勝でした。 よかった。 よかった。 朝青龍と白鵬の千秋楽対決は迫力がありましたねえ。
 それにしても、白鵬ってあんなに人気があったのかなあ。 優勝インタビューの時の声援はすごかったです。 たぶん、朝青龍に勝たせたくなかった、という気持ちが大きいのでしょう。 白鵬はその期待に応えた、ということでしょう。
 どのジャンルでも、ヒールがいるといないでは、盛り上がり方が全く違います。 でも、相撲のヒール役が横綱、というのはちょっと…… (1月27日 記)

 PS  「あさしょうりゅう」 は、変換してすぐ出るけど、「はくほう」 は出ないなあ……
    

歴史というより国語の問題かも

 沖縄の集団自決を歴史教科書にどう記述するかが、去年はずいぶん問題になりましたね。 あちこちに配慮して、微妙な表現になった文章をニュースで見ました。 私には、「時代の空気を読む」 力を問われる文章に思えるのですが…… 高校の教科書ですから、これが試験問題になる可能性があるわけです。 たとえば、次のような問題。
 
問1 沖縄住民の集団自決において、日本軍の関与はあったかなかったか?
   A あった  B なかった
 
 この場合、正解はBでしょう。 次に
 
問2 沖縄住民の集団自決において、日本軍の命令はあったかなかったか?
   A あった  B なかった  C 地域によって違う
 
 正解はCか、それとも第4番目以降の答えがあるでしょうか。 「調査中」 か 「調整中」。 こういう微妙なことは、大学以上でやったらどうでしょう。 転校生や、去年の流行語大賞ノミネート (KY) のように、空気を読めない生徒が損をするような試験はしない方がいいと思います。
 
 それに、体験者の中には、こんな単純な表現に直されてしまったことを、快く思わない人もいるでしょう。 「時代の空気を読む」 ことが出来るのは、体験者にはかないません。 「空気」 を伝えるのは、体験談や文学や映画などの方が向いています。
 
 将来、私たちはこの問題に揺れた今の時代をどう振り返るでしょうか。 誰の発言権が強かったか? が重要なポイントになります。 戦争中にしろ、後になって戦争をどう解釈するかにしろ、やはり 「空気を読む」 ことは避けて通れないのでしょう。
 
  蛇足ですが、国語の試験問題は、けっこう 「空気を読む」 力が必要です。 作者の意図、主人公の気持ちを問われて、素直に考えていては点は取れません。 出題者の意図や気持ちを考えなければいけません。 (1月 2日 記)


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