愛しのコンプレックス 

   

さや まりほ
 

 目の前にすると、エイコははっとするほどの美人だった。
 「いらっしゃいませ。 ドウロボの藤井さんですね。 あいにく所長の牧田は出かけておりますが…」
 僕はエイコの声にかぶせるように言った。
 「そう、ドウロボの藤井。 ドロボウの藤井じゃないよ。 もっとも、できることなら君のハートを盗みたいけどね」
 エイコは伏し目がちに小さく笑った。
 「将来、そう言われるようになるかもしれませんね。 どうぞこちらへ」
 軽く頭を下げて歩き出すエイコの後ろについて歩く。 どのドアもエイコが近づくと左右にすっと開き、僕が通ってしまうと、すっと閉じる。 歩きながらエイコの背中に話しかけた。
 「牧田先生は、マスコミに追いかけられてるの?」
 「そうなんです。 所長も藤井さんのような昔の教え子なら大歓迎なんですけど。 私もかなりの時間を接客に取られています」
 「どうせみんな逃げているんだろう」
 「私が一番、人を判別できますから……。 こちらです」
 招き入れられた部屋は応接室らしい。 僕は勧められる前にどかっとソファーに腰をおろして脚を組み、ふんぞり返った。
 「今、お茶を入れますから」
 エイコはしらばっくれてソツのない対応をする。
 「それにしても見違えたねえ。 すっかり美人になっちゃって。 8年前、牧田先生の研究室にいた君は身長120センチで二足歩行のデブ猫ロボットだった。 それもオス! ドラフィン、僕のコーヒーの好み、覚えてる?」
 エイコは右手の人差し指を上げてドラフィンの声で言った。
 「もちろんだよ。 藤井君」

 僕は大学一年の時、牧田先生のロボット工学の講義が好きだった。 一番尊敬できる先生だったけど、先生の造った家庭用ロボットのドラNがヒットしていて、そのお金で研究所を創ることになり、大学を辞めてしまった。
 先生が新たに始めた人の心を持つロボットの開発なんて、とてもじゃないが非現実的だ。 きっと先生は世間から距離をおいて研究したいんだと、友達と話したものだ。 ヒニクなことに、その先生は今、マスコミに追いかけられている。

 エイコがトレイにマグカップを乗せてきた。 マグカップにはストローがさしてある。
 「どうも……」
 僕はカップを取り、ストローをくわえる。 飲みごろの温度だ。
  「う〜ん。 確かに初めて好みを聞かれた時は、ホットでコーヒーもミルクもたっぷり、ストローを付けて、と言ったよ。 でもそれは君をためしたんだ。 熱いやつをストローで飲んだらやけどするかもしれない。 その判断ができるかどうか」
 「そうでした」
 エイコがほほえんでトレイを差し出したので、僕はストローをそこに置いた。
 「…失礼だったかな。 君はドラNがバージョンアップしたロボットじゃなくって、新しいロボットにドラNのデータを加えたんだよね」
 「私の方こそ失礼しました」
 「ほんと、タイミング的に悪かったな」

 世間では、自殺願望の強い人に対し、治療行為としての安楽死を認めるべきかどうかという議論が盛んだ。 牧田先生はむりやりテレビに引っ張り出されてしまった。 先生に最初に向けられた質問は一見まともっぽくて、毒を含んでいた。
 「性同一性障害の治療として、日本で性転換が認められた時、牧田先生は思春期でしたね。 どう思われました?」
 先生がちょっといやな顔をすると、さらに追い討ちをかけた。
 「あれも、心に体を合わせるという考え方でしたよね。 牧田先生のお父さんは精神科のお医者様でいらっしゃいましたし、お家の中でも何か話題になりませんでしたか」
 「あっちは生きるための治療でしょう」
 先生はいやいやながらも、それなりに話しだしたが、議論のための議論にだんだんうんざりしてきたようだった。 つい、論者の一人を偽善者呼ばわりしてしまった。 偽善者とはどういう人を指すのかと噛みつかれ、「弱者をカモにして、いい人ぶってる連中だ」と言ってしまった。
 テレビを見て拍手喝采をした人も多かったが、本気で怒った人も少なからずいた。




Photo by Eriko



 すうっとドアが開いた。 ……うわっ、かわいい! エイコより美人度は落ちるけど、やっぱり人間の女の子がいい。
 「お待たせして申し訳ありません。 ドウロボの藤井さんですね。 私、須藤と申します。 シールをお持ちしました」
 僕はソファーから飛び上がった。
 「こちらこそ、お忙しいところ申し訳ありません」
 僕はドギマギしながら須藤さんの白い手から小さな銀色の箱を受け取った。
 「今度ウチの会社がやるイベントで、ロボットにこの美人判定ソフトを付けようと思いまして」
 本当は、上司からそのイベントに牧田先生とエイコをお招きするように言われているけど、その交渉はこの後だ。
 「どんなロボットですか」
 須藤さんは目を丸くして僕を見つめる。 心臓の鼓動が速くなるのが分かる。
 「あ、持って来ています。 コブちゃんて言うんですよ」
 「コブちゃんて、形が昆布かタンコブに似てるんですか」
 「う〜ん。 まんざら似てなくもないですね」
 僕ははりきって持ってきたカバンから自慢のコブちゃんを取り出した。

 蛇のコブラの姿をしたロボットを見て、須藤さんは 「あ、そうなんだ」 と、小さく言ってくすくす笑いだした。 よし、これはうけるぞ。 コブラのコブちゃんが子犬のようにしっぽを振ってじゃれつくしぐさは、意外性があって評判がいい。
 僕は銀色の小箱を開いて美人判定ソフトの入ったシールをコブちゃんの背中に貼り付けた。 コブちゃんは、まるで肩のこりをほぐすように頭を回す。 さあ、これからだ。 しっぽを振り振り、エイコに向かって突進し、じゃれつくはず……だったが、嘘だろう! 須藤さんに飛びついた。
 「きゃあ」
 須藤さんはしりもちをついた。
 「うわっ、コブちゃん、やめろ。 こっちへ来い!」
 でもコブちゃんは子犬のように須藤さんにじゃれついて離れようとしない。 エイコが素早くコブちゃんの背中からシールをはがした。 須藤さんは、胸元に手を当て呼吸を整えながら起き上がった。 僕は彼女の視線から逃げるように頭を下げた。
 「す、すみません。 暴走しちゃったみたいです」
 「何よ、このロボット。 まるでボーダーレスパーソナリティ障害みたい!」
 そう言い捨てて部屋から出て行く須藤さんを、僕は呆然と見送るしかなかった。 足元では、コブちゃんが小首をかしげて僕を見上げている。

 「申し訳ありません。 須藤は少し不器用なところがありまして」
 謝ってくれるエイコに甘えたくなってしまう。 アブナイかな。 僕はソファーに戻り、冷めたコーヒーをすすった。
 そう言えば、牧田先生の研究室には、思いっきり不器用そうな少年が出入りしていた。 ドラNバージョン1の育てた天才少年。 きゃしゃな体で、きれいな顔立ちをしていた。 当時16か17だったはずだけど、どこかの大学の二年生。 彼がしゃべるところを見たことがない。 彼は心を閉ざし、牧田先生以外の、この世の全ての人を軽蔑しているように見えた。
 




Photo by Eriko



 すうっとドアが開いた。 ……えっ、まさか……。 あの少年だ!
 いくぶん大人びたけれど、やっぱり小柄で整った顔をしている。 僕はゆっくり立ち上がった。
 彼はためらいながら口を開いた。
 「あの、美人判定プログラムですけど」
 しゃべった!
 「人間の体は、左右に歪みがありますから、あまり顔が左右対称に整いすぎていますと、人工物と判断してしまいます」
 必要なことはしゃべるようにようになったのか。 僕はトゲのある言葉を選んだ。
 「分かりました。 今、マスコミの注目を集めているエイコを、好奇の目にさらしたくない、ということですね」
 返事をしない、と思ったが、
 「それだけではありませんけど……。 プログラムに修正の必要があればおっしゃってください。 私は三島です」
 ふん、まともっぽいことを。
 「検討しておきます」

 三島のきゃしゃな後姿がドアの向こうに消えると、僕はソファーに深々と体を沈めた。
 気になる。 須藤さんが出た後でやつが来た。 つまり、須藤さんは三島のところに駆けつけた。 あのソフトはやつが詳しいんだろうけど……まさか仲がいいのか。
 もしかして、二人は共通の心の傷でもあるんだろうか。 もっとも、心の傷なら誰にでもある。 ない方がおかしい。

 「コーヒー冷めてしまいましたね。 新しいのを入れましょうか」
 優しく問いかけるロボットのエイコが人間以上に人間らしく思える。 じゃあ、お言葉に甘えて……、口から出そうになった言葉をとっさに飲み込んだ。 これは「そろそろ帰れ」という意味かも知れない。
 
 


 
初出:『しけんきゅう』145号 2005年12月1日発行)
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