朝になっても『はな』の出血は続いていた。
荷台に新聞紙を厚く敷く。 女性の使う生理用ナプキンをおしりにあてがって
古いタオルで包んで応急のパンツにして乗せる。
『はな』は少し元気がないという程度であまりいつもと変わりはなかった。
持ってきた殺鼠剤を見せると、その箱の成分表を見て、一瞬、先生が眉間にしわを寄せた。
その殺鼠剤は食べると腸が溶けるのだという。 
『はな』の下血も腸が溶け出したせいだろうと。 
一応、預かって処置をしてみるけれど、万が一のこともあり得ますと言われた。

帰りの車の中で、母はずっと泣きながら「何で食べたんかね、ばかじゃね」と繰り返した。
母にもにゃおにも、恐らく『はな』が助かることはないだろうという予感があったけれど
それを口にすることはなかった。 
「なんとか助かるといいね」
気休めだけど、そうお互いに言い合った。

その日の夜、獣医から『はな』が助からなかったとの電話が入った。
やはり・・・という思いと、こんなにあっけなく・・・という思いの中、翌朝に
迎えに行くことになった。
病院で、『はな』はすでに天に召された子が入れてもらう箱に収まっていた。
少し舌が口からはみ出ていたけど、苦しんだ様子もなく、目を閉じていた。
「いろいろ手は尽くしたんですけど、難しかったです」
獣医の言葉を聞きながら、『はな』は安楽死させられたのだろうと思った。
丸々と太った『はな』は体力があるはずだから、昨日の今日で死んでしまうことは
考えにくい。 下血が止まらず、助かる見込みもなく、『はな』が苦しむよりは・・・と
処置されたのだろう。 本当なら安楽死をさせるなら飼い主の承諾を取るべきだ。 
勝手な病院側の判断で安楽死をさせるのは違法とも言えるだろう。 
ただ、その時、にゃおたちはそういうことに無知だったし、たとえ、安楽死を
打診されても、お願いしますと言うしかなかったはずだ。 
病院側も安楽死させたと言わないし、その旨を確かめてもみなかった。
もうこのままでいいと思った。 今さら何を言ったところで『はな』は還らない。

重い『はな』の入ったダンボール箱を母とふたり、抱えて車に積み込み帰る。
スコップで庭の片隅に穴を掘った。 デブデブの『はな』だから、縦横深さとも
大きな穴が必要だった。 1時間くらいかけて汗だくになりながら掘った。
「本当にバカ犬だね」
「いくら食い意地が張ってるからって、あんなものを食べなくてもよかったのにね」
母と泣き笑いしながら掘った。
穴の中にバスタオルに包んだ『はな』を入れてやる。 大好きだった犬用クッキーを
全部、入れてやった。 土をかけ、線香をたむけていると母がポツリと言った。
「昨日からずっと考えてたんだけど、『はな』は自殺したんじゃないかって思うんよ。
今まであんなものを食べようとしたこともなかったのに、急にじゃろ?
もう十分生きたからいいやって自分から死を選んだような気がしてならんのよ。
そうでないと、納得できんのよ」
そうかもしれない。 そうでないと、とても『はな』の死に納得ができない。
本当のことはわからないけど・・・

『はな』、長い間、野良犬として苦労したけど、少なくとも最後の数年間は
幸せだったよね。 お母さんにいっぱい可愛がってもらったよね。
あれから長い時が経ってるけど、今でも『はな』の情けなさそうな顔が
鮮やかに浮かぶよ。 本当に、本当に、おバカな犬だったね・・・




その後、『はな』はまるで自分の存在を忘れて欲しくないとでも言うように
自分が埋められた場所に無数のキノコを生やした。 そばには先代の猫が
眠っているけど、猫にキノコが生えたりしなかったので、母と笑ったものだ。
キノコは増えることもなく、一定の量が毎年毎年生えた。 12年近く経った今、
ようやくキノコは生えることをやめた。

そして、もうひとつ。
『はな』は死んでから、毎晩、還って来ってくるようになった。
これには『はな』の隣で眠っている先代の猫の話がからんでくるのだけど。
『はな』は鎖を外されてひとりで散歩に出かけた時(本当は放しちゃいけません)
帰って来ると勝手口の戸をドンと立ち上がって鳴らした。 それを合図に
戸を開けて鎖をつないでやるのだけど、死んでからしばらくして、戸がドンと鳴るのだ。
 風はない。 誰か来たわけでもない。 それでもドンと鳴る。
先代の猫が同じようにして還ってきてたので怖いとも不思議だとも思わなかった。
勝手口の戸を開けて、「おかえり」と言ってやる。 
そして戸を閉めるとドンという音はピタリと止むのだ。 
逆に戸を開けてやらないと、ドンという音はいつまでも続く。

こうして『はな』は先代の猫と一緒に数年間も還って来た
その後、満足したのか、次第に還って来ることが少なくなり、
やがて戸がドンと鳴ることはなくなった。

『はな』は恐らく、にゃおが経験する一生で一番、性のいい、優しい犬に違いない。




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