五右衛門風呂

     いつ頃だったのか記憶は曖昧だ。 まだ小学校に上がる前の事だったような気がする。  
     祖母の家の母屋を建て替える事になった。 祖母の家は昔ながらの農家。 牛を飼っていた
     こともあって、牛小屋、人間の住む母屋、蔵、そして『離れ』と呼ばれる別棟の家があった。 
     どういうわけだか、この建て替えの時期に母と二人で祖母の家(当時は祖父も健在だったし、
     叔父一家5人も住んでいた)に泊まりに行ったらしかった。 『らしい』というのは、母と祖母の
     家でお風呂に入った記憶があるからだ。

     その時、建て替え中の母屋はだいぶ出来上がっていて、祖父母や叔父一家は母屋に
     寝ていたのだけど、お風呂はまだ出来上がっていなかったのだろう。 臨時のお風呂が
     『離れ』の裏にしつらえてあって、母と二人、着替えを手に、母屋からサンダルを履いて
     外に出て、「寒いねぇ」なんて言いながら歩いて行った(ということは季節的に初冬くらい
     だったのかな?)。 ド田舎で、周りに家は数軒しかなく、一番高い場所に祖母の家はあった。 
     だから家の裏は山で、誰も覗く人なんていないから風呂もほとんど露天風呂状態だった。 
     服を脱ぐ場所がちょっとシートのようなもので隠されている程度だったように思う。 そして、
     にゃおが驚いたのは、その風呂だった。
     お風呂にプッカリと大きなナベのふたが浮かんでいたのだ。

     それは『五右衛門風呂』。 でっかいお釜のような浴槽の下から薪で火を焚く。 直接、風呂の
     底に触れると熱くて火傷をするから木の底板を敷いて入るわけだけど、その底板がちょうど
     ナベふたをひっくりかえしたような形をしていたのだ。 木だから浮力があって誰も入って
     いない時は浮いている。 これをそっと足で踏みつけて中に入るわけだ。
     母に抱っこされ、周りの鉄に触れないように、真中でじっとしながら、風呂の由来(五右衛門という
     盗賊が釜風呂で熱い湯につけられて処刑された話)を聞いた。 外は薄暗くなり始めた頃だった。

     祖母の新築の母屋には、ホーローの浴槽が備え付けられていた。 外から薪で火を焚いて
     追い炊きすることも出来るようになっていたけど、五右衛門風呂は姿を消した。


     にゃおが、それまで住んでいた埼玉から父の実家である広島に引っ越してきて数年後の事。
     小学校低学年の頃のことだ。

     伯母の家の裏手に親戚の家があった。 その家の風呂は家からほんの少し離れた場所の
     小屋のような中にあった。 ある日、どういうわけでだか、その家のお風呂に入りに行く事に
     なった。 やはり、母と二人で洗面用具や着替えを持って、暗い夜道を歩いて行く。
     親戚の家の庭を通り抜け、裏に出ると斜面に土を掘って作っただけの階段がある。
     その階段の先に小さな小屋があって、灯りがついていた。 屋根からは煙突が突き出ていた。
     中に入ると、すぐに洗い場になっていて、脱衣所のようなところはない。 隅っこの方で
     脱いで裸になる。 先に誰か入ったのだろう。 室内は湿気てほんのりと暖かかった。
     母が真ん丸い木の風呂ふたを取る。 ふぁ〜と立ち昇る湯煙の中、にゃおはまたしても
     ナベふたが浮いているのを見た。 五右衛門風呂!!  

     母がにゃおを先に入れてくれようとしたのだけど、子供だから、まだ大人ほどの体重は
     ないし、バランスを取るのも難しくて、どうしても底ふたがひっくり返りそうになる。
     うっかり風呂のふちに触れると火傷をするから、ヒヤヒヤものだった。 出る時も母が先に
     出るとにゃおが上手く風呂の中に残っていられなくて危ないし、にゃおを先に出そうとすると
     母のバランスが崩れそうになって(抱き上げて出すにはにゃおはもうブタ過ぎたんだな(苦笑))
     難儀したのを覚えている。
     風呂の中では母と唄を歌ったような記憶がある。 オレンジっぽい色を放つ裸電球の下で
     不思議で楽しくて鮮烈な印象を残した風景だった。

     今、五右衛門風呂が残ってる家ってあるんだろうか?
     わざわざ、備え付けたのではなくて昔ながらの五右衛門風呂。
     あの頃、にゃおんちは貧乏のどん底だったけど、子供のにゃおには、その状況はよくわかって
     いなかった。 だから楽しかったという思い出しかないけれど、母にとってはどうだったろうか。

     もう、あんな風にして母とお風呂に入ることはないだろう。
     それだけの年月が経ってしまい、年齢を重ねてきたんだなと思うと、なぜかしら涙が出る。

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