母の日のプレゼント

     どんな子でも、母の日や父の日には、なにかしらプレゼントをした記憶があると思う。
     子供の時代の一番ポピュラーなプレゼントと言えば、「お手伝い券」だの「肩叩き券」じゃ
     ないだろうか? あとは似顔絵とか手紙とかね。 もちろん、カーネーションだって買っただろう。

     不思議なもので、親っていうのは、そういう「券」をもらっても決して使おうとはしないんだよね。
     子供としては使ってほしいのだけど、どういうわけか、一度も使ってもらったことがない。
     (もちろん、ちゃんと使ったよっていう親も多いだろうけど、少なくともにゃお家ではそうだった)
     こっちも、あげた甲斐がなくて、そういうタイプのプレゼントは止めてしまった。 

     その後、にゃおは手作りの品物をあげようと思い立ったのだ。 フェルト地で作る「鍋つかみ」
     確か小学3年生かそこらで、やっと家庭科という形で裁縫を習っていたからだと思う。
     それにしても、なぜ鍋つかみだったのか、その動機はどうしても思い出せない。
     ミトンのような形にフェルトを切り抜いて、その端を単に糸で縫うだけのもの。 それくらいの
     技術しかない子供だった。 にゃおは汗っかきだ。 手にもすぐに汗をかく。 針なんか汗で
     すぐに錆びてしまうくらい。 縫い始めてしばらくすると、もう汗で針がすべって思うように
     縫えないんだから始末が悪い。 それでも一生懸命、母に内緒で作ったのだった。

     母の日のプレゼントとして、それを渡した時、母はすごく喜んでくれた。 今度使う時まで
     大事にしまっておくわね・・・と、タンスの一番上の引き出しに大事そうに入れた。
     そして、鍋つかみは一度も使われることがなかった。 あとあと考えてみたら、当時は
     にゃお家にオーブンみたいなものなどなく、鍋つかみという代物自体を使う必要がなかったのだ。
     いわば無用の長物。 的外れなプレゼントだった。 だけど、その頃のにゃおには、そんなことに
     考えが及ばず、単純に、どうして鍋つかみを使ってくれないのだろうと思うばかりだった。

     月日が流れて・・・ 
     母に鍋つかみをプレゼントしたことすら忘れていたある日のこと。 
     何かを探してにゃおはタンスの引き出しをあれこれひっかきまわしていた。 そして引き出しの
     奥の方から、数年ぶりに「鍋つかみ」が出てきたのだった。 青いフェルトのミトン型のそれ。
     自分の手に取って、苦笑いしか出ないほどの出来栄え。 2枚のフェルトを重ねてその回りを
     波縫いしてあるだけ。 縫い目も踊っていて、お世辞にも良い出来とは言えない。 しかも何を
     考えたのか、縫った糸に白糸を使っている。 顔から火が出るくらいの、こっぱずかしい品物
     なのだ。 こんなものをもらって、母はさぞかし困ったのだろうな。 そうでなくても使い道が
     ない上に、この小汚さ。 使う気も起こらんわな(笑)

     にゃおは、そっと元の場所に戻した。 そして、またその存在を忘れたままで月日が流れた。
     再び何かの用事で引出しをひっかきまわしていた時、ふと、鍋つかみのことが頭をよぎった。
     けれど、そこには、もうそれはなかった。 きっと母がもう要らないだろうと始末したに違いない。
     時効だ。 にゃおもそのことには触れなかった。 

     2002年現在、5歳のにゃおの子供。 そのうち母の日なんてことで、にゃおと同じようなことを
     するのかもしれないな。 例えそれがどんなものであっても、大げさに喜んでやろう。
     あの時の母のように・・・

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