名誉の負傷?

     自慢じゃないけど、にゃおの家は裕福とは、程遠い位置に存在していた。
     両親とも裕福な家庭の出身なのになぁ・・・ ま、これはみんな「パパうえ」が悪いんですけど(~_~;)
     それはともかく・・・

     幼稚園や保育所で言うところの「年中さん」のころ、にゃお一家は古い平屋の賃貸の一軒家に
     住んでいた。 確か今で言う、2DKだったと思う。
     初夏の頃、にゃお家に『カキ氷器』がやってきたのだった。 それは当時、真中に穴の開いた
     アルミ製のカップに水を入れて氷を作り、カキ氷器の心棒にその氷の穴をはめ込んで
     ハンドルを回してカキ氷を作るというタイプのものだった。 すでにそれが一般家庭では珍しく
     ないものだったのか、やっと普及し始めたものだったのかは定かではない。 とにかく店以外で
     カキ氷が食べられるなんて言うのは画期的なことだった。

     まだ5歳かそこらのガキんちょ。 このすばらしい文明の利器が嬉しくて仕方なかった。
     隣の家に住んでいた、1歳年下の女の子が遊びに来たので、にゃおはこのカキ氷器を自慢しない
     ではいられなかった。 まだ一度も使っていないカキ氷器を箱から出して見せびらかす。 
     女の子の羨望のまなざし。 気をよくしたにゃおは、どうやってカキ氷を作るのかという素朴な
     質問をした女の子に実演して見せることにしたのだ。

     「ここに氷を入れてね、これをまわすんだよ」

     子供っちゅうのは、なんとアホたれなもんだろうか? 
     こともあろうににゃおは氷が削られて落ちてくる空間の下側から左手の人差し指を覗かせて、
     ハンドルを回したのだ。 それだけならたいした問題はなかった。 ただ回したハンドルが
     どういう弾みでか覗いた指に当たって、鋭い刃の方へと押しやったのだ。 
     一度も使ったことのない新品のカキ氷器の刃。 切れ味は抜群・・・

     あ!?  っと思う間もなく、指先から血が溢れ出した。 痛かったのか記憶にない。 自分で
     呼んだのか、女の子が呼んだのか、母が慌ててやってきて血の吹き出る指を握った。 握った
     指の間から溢れてしたたる血。 脱脂綿だか、包帯だかを指にあてがうそばから、それが
     真っ赤にそまって、やがてはそこから血が滴り始める。

     泣いたのかもしれない。 あまりにものことに泣くことすら忘れていたのかもしれない。
     すっぽりと抜け落ちた記憶の中、小さな指先からこれほどまでに大量の血が出ることへの
     不思議さで、指先から目が離れなかったことだけを覚えている。

     のちの母の証言では、指先は相当鋭利に深く切れていて、指の半分くらいが切れていたのでは
     ないかということだった(それって骨まで行ってるってことかい?)  でも医者には行かなかった
     んだそうだ。 その話を聞いた時はふうん・・・くらいにしか 感じなかったけど、そんなに深く
     切れてたんなら神経が切れてたかもしれないじゃん。 それって怖いぞ? 
     「あの時は血が止まらなくてもうどうしていいかわからなかったわよ」 って母は言ったけど、
     だったら医者へ連れてけよ。 左手とは言え、人差し指よ?  神経切れてて動かなくなったら、
     後の人生変わってたね。

     それから四半世紀以上の月日が流れた今も、左の人差し指には傷が残っている。
     ずいぶんと長い間、通称「きっぽ」と言って、傷口が盛り上がったような感じだったけど、今は
     触ればわずかに感じる程度だ。 パッと見ただけじゃ、そこに傷があるかなんてわからない。
     よく傷を見ると真横に切れたのではなく、指と平行するような向きで1センチ程度の傷が第一
     関節と第二関節にまたがるようについている。 そうかぁ・・・ こういう切れ方だったから
     神経を損なわずに済んだのかもしれないね。

     にゃおってば、相当運がよかったのかも・・・ ものすごく痛かったろうに、その痛みの記憶の
     カケラもない。 ただ、今でも傷口にふと意識が行くと、痛くないはずの指がかすかにうずく。
     にゃおの記憶には残ってなくても、指先はあの時の痛みを覚えているんだろう。 

     もし、指に人格があって意思疎通することができたら、一生、ネチネチとあの時のことを
     持ち出されては愚痴られていただろうなぁ。 ま、気持ちはわかるけど・・・(~_~;)
     だけど、それだったら、カキ氷器に指を突っ込んだ段階で注意してくれっての(苦笑)

     ちなみに・・・ そのカキ氷器はにゃおが小学校中学年になる頃まで使われていたのだった(笑)

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