ミシン

     にゃおが子供の頃、母は「ママさんバレーボール」のチームに入っていた。
     そこに、近所のミシン屋さんを営む奥さんも参加していた。 それが縁で、母はそのミシン屋さんで
     「ミシン積み立て」なるものを始めたのだ。
     それは月々何千円かづつ、お金を積み立てて、満期になると、ミシンと交換するというものだった。
     母はにゃおの嫁入り道具にと思ったらしい。 その当時、すでに父との関係は破綻し、月々の
     生活費を、母自身が経営する雑貨店の売上でまかなわなければならない状態だった。
     その中で月々2〜3千円という金額はかなりの負担だったに違いない。 それでも母は長い間
     積み立てをしてくれたのだ。

     やがて数年が過ぎ、小学生だったにゃおが中学生か高校生になったばかりの頃に、とうとう
     「ミシン積み立て」が満期を迎えた。 にゃお家に運ばれてきたミシンは当時では最新式に近い
     もので、それまで、足踏みの漕ぐミシンしかなかったにゃお家には衝撃的なものだった。
     ミシンが卓上に置けるのだ。 持ち運び自由。 そしてフットコントローラーと呼ばれるものが
     あって、それを踏むと、ミシンが動くのだ。 針の速度は手元のスイッチひとつで替えられる。
     中学校になってからは、家庭科室にこのタイプのミシンがあったけれど、それよりは縫いパターン
     などが多くて、多彩な機能がついていた。 

     これからは冬の寒い時でも、暖かい部屋でミシンを使うことができる。 これぞ文明の利器!!
     もともと裁縫の好きな母は特に喜んだ。 だって、にゃおの嫁入り道具にとは言っても
     まだまだ実際に結婚するには年月が要ったし(実際にゃおは晩婚だったわ(・m・ )クス)、
     それまでは母も使えるわけだから。

     早速、試し縫いをしてみる。 ウィーンという音とともに軽快に動き出すミシン。
     素敵、素敵、素敵!!
     だが、それは、つかの間の喜びへと代わってしまうのだった。

     いつの頃からか、ミシンの調子が悪くなり始めた。 買ってそんなに月日が経っているわけ
     ではない。 それなのに、上手く縫えないのだ。 かみ合わせが悪いというかなんというか・・・
     上手く説明できないけど、とにかく、ちゃんと縫えないのだ。
     母はすぐにミシン屋に修理を頼んだ。 もちろん保障期間内だから無料で修理をしてもらえる。
     そうして調整されたミシンが戻ってきたが、やっぱり使っているうちに不調になるのだった。
     おかしい・・・ 再び、ミシン屋に見てもらい、今度はメーカーにまで出しての修理となったが、
     戻ってきたミシンは、やはり不調だった。
     ママさんバレー友達でもある、ミシン屋の奥さんだけに、あまり文句も言えなくて、半ば、泣き
     寝入りのような形で、ミシンは押入れで深い眠りについた。

     数年後、ミシンを手広く扱うというミシン業者がセールスにやってきた。 修理も行っていると
     いうので、母が例のミシンを見せると、その業者は、なにか根本的な部分が狂っているから
     入院治療が必要だと告げた。 部品をごっそりと交換しなければならないとかで、見積もりでは、
     かなりの金額になるようだった。 母はそのミシンをあきらめた。

     今考えてみても、ざっと計算しただけで30万近くもしたミシンということになる。 20年以上も
     前の30万近い値段のミシンがどれだけ高価なものだったかということは簡単に想像できるだろう。
     そして、母がそれこそ、苦しい生活を切り詰めながら積み立てた、その高価なミシンは、ただの
     粗大ゴミとなったのだった。 そのミシンは今も、実家のどこかで眠っている。
     母も、もうその場所を思い出せないのだという。

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