百恵伝説

     にゃおの父は、人に使われることがキライな人だった。
     だから、いつも自分で会社を興していたのだけど、残念ながら経営能力がなかったんだよね。
     最終的には行き詰まり、倒産(閉鎖)。 借金だけが残るという有様だった。
     父の興した事業の内容は種々様々だったけれど、その中に「オートフォギー」というのがあった。

     今で言う、芳香剤の走りだったかもしれない。 スプレー缶の香水みたいなもので、
     それを専用の箱のようなものにセットして、ボタンを押せば、シューと芳香剤が出る。
     今じゃ、保育所のトイレなんかに、そのタイプの芳香スプレー缶が備えてあったりする。
     家にも何本かあって、香りを試してみたけど、子供のにゃおには、ただの臭い匂いだった(笑)

     さて、そんなある日のこと、父がいいものを持って帰ったぞぉ〜と言って、パネルにした
     大きな一枚の写真と色紙を持って帰った。 のぞきこんでみると、写真には父とケバケバしい
     印象の女性が「オートフォギー」の缶を真中に置いてカメラ目線で握手をしていた
     子供のにゃおは知らなかったけど、当時の人気のある女優さんで「大信田礼子」という人だった。
     その後、何度か名前を聞いたけど、今では顔も思い出せない。
     「すごいじゃろう?」
     得意そうに見せる父の顔をよく覚えている。 自分の商品を有名な芸能人を使って宣伝できる
     ということが自慢だったにちがいないね。
     「これは、『くん(当時のにゃおの愛称)』にやる」
     そう言って、手渡されたのが一枚の色紙。
     「○○さんへ(父の会社の社名)」と文字が入っていて、そのそばに丁寧な文字で漢字が
     書いてある。 当時のにゃおにはなんと読むのか難しかったので母に尋ねると
     「『やまぐち ももえ』って書いてあるよ」 という答えが返ってきた。 
     そう、『やまぐち ももえ』とは、あの『山口百恵』。 百恵ちゃんなのサイン色紙だったのだぁ!!
     確かではないけど、その百恵ちゃんと父との2ショット写真も見たような気がする。 それは
     普通のサービス版だったはずだけど・・・
     丁寧に一文字ずつ書かれた漢字の名前。 恐らくデビューして間もなかったんだろうな。
     そうでなかったら、どう考えても父の会社の商品の宣伝なんかねぇ・・・(笑)

     にゃおは、もらった色紙を部屋に飾った。 無造作にカーテンレールの上に乗せた。
     それが、のちにどれだけのお宝になるのかなんてことも知らないで。

     やがて、百恵ちゃんは中3トリオとして人気が出始め、歌番組にドラマにと大活躍するように
     なった。 そして、21歳という若さで、当時同じく人気があった若手俳優と結婚して
     あっさりと芸能界を引退してしまったのだ。 その後、ファンや芸能界の熱いカムバックの
     願いも虚しく、現在に至っている。 

     百恵ちゃんの色紙は・・・
     部屋に差し込む陽射しに黄色く変色し、それでもなお、部屋に飾ってあった記憶があるのだけど
     何時の間にか、なくなってしまった。 捨てた覚えはないから、どこかに仕舞いこんだのかもしれない。

     ああ、なんて惜しい事を!!
     「お宝ブーム」の到来で、今だったらあの色紙、貴重なものになってただろうに。
     保存状態が悪くて、しかも特定の人に宛てたものは金銭的な価値としては低いらしいけど、
     それでも、父があの百恵ちゃんと会ったことがあって、色紙をもらったことは大いに
     自慢できることだったのに。

     そう言えば、百恵ちゃんのレコード(LP版ってやつね)も何枚かあるけど、あれも、お宝に
     なるのかしら? こっちは今でも実家にあるぞ( ̄ー ̄)ニヤリ

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