ポットン便所

     にゃおが広島に引っ越してくるまでに住んでいた家のトイレは、どれも汲み取りの和式トイレだった。
     記憶にあるのは2つのタイプ。 ただの平面の床がくり抜かれて便器が据えられているものと
     一段高いところに据えられているタイプのものだ。 前者はどちらかというと、古い木の家に
     よくあるタイプで、床も板張りだったりする。 農家の家のトイレは家の外にしつらえられている
     こともよくあり、踏むと床がきしんだりする。 時には板の隙間から下が透けて見えたりして
     子供心には恐いものがあった。 後者は少し新しい家になると、床がタイル張りだったりして
     木の板ほどの恐さはなかった。

     ただし、どっちにしても、一番イヤだったのは、あの便器の中を覗いた時の暗い空間なのだ。
     どこまでも深くて吸い込まれそうなあの穴。 見なきゃいいのに、ついつい見てしまう(笑)
     そして見ると、必ず頭の中をよぎる悪い予感。

     スリッパを、落としてしまうかもしれない・・・

     そう、あの便器をまたぐ時、あの段を上がる時、履いたスリッパを穴の中に落としてしまいそうで
     気が気じゃない。 落としたらいけないと思えば思うほど、逆に足からスリッパが脱げ落ちそうに
     なったりで、いつもいつも緊張を強いられるのだ。 おまけに、母から聞かされた子供時代の
     ポットン便所話。 母の妹(にゃおの叔母)がポットン便所にハマった話を知っているだけに
     スリッパだけでなく自分までもが落ちてしまいそうな気になる。

     慎重に便器をまたいでも安心しちゃあ、いけない。 だって、出る時も、もう一度またがないと
     いけないんだからね。 用を済ませてほっとしても気は抜いてはいけないのだ。
     もう一度慎重に慎重に・・・ 無事にまたぎ終わって、スリッパも自分も無事だった時の
     安堵感は忘れられないものなのだ(笑)

     そこまで慎重にしてたって、どうしても失敗ってヤツはついてくるものだ。
     にゃおもある日、自分の家のトイレでスリッパを落としてしまったのだ。 暗い穴のそこの方に
     片方の赤いスリッパが見える。 自分の顔が青ざめているのがわかる。 どうするんだ?
     こんな深くて暗い穴からスリッパを引き上げることなんてできやしない。 だけどスリッパが
     ないとトイレに入れない。 母にこの事実を告げなくては。 でも、怒られちゃうだろうなぁ。
     いろんな思いが交錯して、にゃおは恐いのも忘れて、穴の中のスリッパとしばらくの間
     にらめっこをしていた。 そこへ不審に思った母がトイレを覗く。 青ざめて片っぽだけの
     スリッパを履いたにゃおを見て、母はすぐに悟ったらしい。 そこからの母の行動は
     素早かった。

     どこからか長〜い針金を持ってくると、その先を曲げて、ヨーヨー釣りよろしく、スリッパを
     吊り始めたのだ。 思わず、にゃおも穴の中を覗きこむ。 何度か途中まで吊り上げては
     落としてしまうことを繰り返して、とうとう赤いスリッパは救出された。 ああ〜!!

     その後、その赤いスリッパが再び、トイレの中で活躍したことはいうまでもない。 うえぇ〜

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