たこ焼マンボ

     にゃおの実家のある町は、4つの地区に分かれている。 それぞれの地区ごとに
     秋祭りというのがあった。
     にゃおの住んでいた地区では、その地区の一番賑やかな場所に小さなお宮のような
     ものがあって、そこから、少し離れた小山の中にある神社まで、神輿が出る。 かなり大きな
     神輿で男衆が大きな掛け声とともに神輿を担いで神社まで練り歩くのだった。
     神社は小山のてっぺんにあり、そこまでは急な石段が何段もあった。 お祭りの時期には
     その石段のふもとや、境内にたくさんの屋台が出た。 子供はお祭りといえば、この屋台が
     目当てだった。
     神輿が出発するお宮周辺には、屋台は出ていなかったように記憶している。 そのかわり
     その近くにある商店がこぞって、お祭りセールをしていた。  にゃおも一張羅のベルベットの
     ワンピースを着せてもらい、わずかなお金をサイフに入れて、お祭りに出かけた。 他の子供と
     変らず、屋台をのぞいて歩くのが楽しみでしかたなかった。

     商店街の一軒に、アイスクリームの卸をしている家があった。 その家は町のメイン道路に
     面した場所にあった。 道路に面した壁になんの変哲もない、すりガラスの窓があった。
     そして祭りの時になると、その窓が開くのだ。 中では、たこ焼が作られていた。
     なぜアイスクリームの卸をしている家の人が、その時だけたこ焼を作っているのかは謎だけど、
     お祭りの時になると、そこには長い行列ができた。 そこのたこ焼は絶品だったのだ。

     当時、そこで売られているたこ焼は、なんと串にささっていた。 それも4つ。 値段は
     10円か20円くらいだったと思う。 発泡スチロールの入れ物に、串にささったたこ焼を入れて、
     ソースを塗って青海苔をふりかける。 家に帰り着く頃には、たこ焼はすっかり冷めているの
     だけど、それでも十分、美味しいたこ焼だった。 にゃおは毎年、このたこ焼を心待ちに
     していた。

     年月が経つにつれて、たこ焼も少しずつ変化しはじめた。 
     最初はたこ焼がひと串4つついていたものが、3つになった。 値段は据え置き。
     それが、今度はひと串30円、50円というように値上がりしていった。 最後には串がなくて
     今のポピュラーな形のたこ焼になった。 さらに数年後、だんだんと祭りそのものが昔の
     活気を失って、訪れる人も減少傾向になった頃、あの窓は祭りの時も開かなくなった。

     窓のそばを通って家に帰る途中、何度となく、窓を見た。 窓の中を背伸びするような
     格好で覗いていたにゃおの視線は、そのうち、窓の中を見下ろせるようになっていた。

     やがて、その家が改築をしたことによって、懐かしいたこ焼の窓はなくなってしまった。
     当時、一緒にお祭りに行って、たこ焼を買った友達に聞いても「串にささったたこ焼」や
     謎に満ちた「窓」のことは覚えていないという。 時々、自分でもあれは記憶違いだった
     だったのではなかったかと疑ってしまうほどだ。 懐かしい記憶は薄れゆくばかり・・・

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