トラウマ?

     子供が保育所へ通うようになって、嫌でも思い出される記憶・・・

     母によるとにゃおは2年保育ということで幼稚園に通い始めたらしい。
     初めての幼稚園は、お寺の境内に併設されたところ。 かなり広い敷地内に平屋の幼稚舎と
     お寺の本堂があったっけ。 見上げるほどの大木が何本も立っていて、夏になるとセミの声が
     うるさかったのを覚えている。 にゃおはその場所へ引っ越してきて、途中入園という形で
     入ったのだそうだ。 当然、友達はいない。 しかも、すでにクラスでは、ある程度の仲良し
     グループが出来上がってる。 それまで母親と二人で密着した生活だったから、そこから
     切り離されて、異空間に放り込まれたことは受け入れがたい現実だったのだろう。
     朝、母親と手をつないで幼稚園までの道のりを歩く。 その時は問題がなかったらしいが、
     ひとたび門前で、母親の手から離れ、母親の姿が見えなくなると同時に、どうしようもなく
     涙が溢れて仕方なかったのだ。 あの涙はなんだったのかな? 寂しさもあったろうけど
     やっぱり誰も知らない人の中にいることへの不安が涙として溢れたのだと思う。 

     4歳〜5歳のころの子供にはまだ、途中からやってきた見知らぬ子に積極的に手を差し伸べて
     親切にしてあげる・・・ということは難しいことだ。 遠巻きに様子をうかがってさりげない無視が
     繰り返される。 特にクラスにはボス的存在の女の子がいて、何かにつけていやみを言ったり
     にゃおと仲良くしてはいけないというようなことを他の子供たちに強制していた。 その空気に
     耐えることが苦痛で一日中泣いてばかりだった。 ただひとつ、泣き止んだのは先生によって
     一日一度は行われる本読みの時間。 その時になると、泣き止んでじっと先生の話に聞き入り、
     終わるとまたシクシク泣き始める・・・ これが毎日繰り返されるのだ。 

     一日のうちでもっとも苦痛だったのはお昼の時間と帰る時の時間。
     お昼は給食だったのか定かではないのだが、とにかく幼稚園でパンが出るのだ。 中身は
     クリームパンとチョコレートパンとジャムパン。 パンの入った箱が運び込まれるとみんな
     我先に箱に飛びついて目当てのパンを手にする。 にゃおはいつもみんながパンを取り
     終わってから行っていたので、箱の中には当然人気のないジャムパンしか残っていない。
     にゃおはジャムパンが嫌いだ。 今でこそなんとか食べられるけど、その頃は一口も食べることは
     出来なかった。 結局ジャムの周りのわずかなパンだけを食べて残りはそっくりお持ち帰りだった。
     今思うと、幼稚園のその対応はおかしい。 そんな風に差をつけると当然、争いが起こることを
     予見できなかったのだろうか・・・誰もが等しく同じ物を得られるような配慮があって当然だったろうに。
     今なら保護者の間で大きな問題となるだろうが、当時はおおらかだったのか、その辺に
     どの親も鈍感だったのか、問題は一向に解決された記憶がない。

     行きは母親と登園したが、帰りは幼稚園バスで帰った。 家から離れた場所が降車場で
     そこへ母親が迎えにくるのだ。 ただし、この幼稚園バス、二人一組になって手をつないで
     乗るのを待たないといけなかった。 だけど、誰もにゃおと手をつないでくれないのだ。
     それぞれお友達が決まってるからその子と手をつなぐ。 つないで二人一組になった人から
     列に並ぶから、にゃおはいつまでも列に並ぶことが出来ない。 最後にようやく先生に
     気がついてもらって、誰かと組ませてもらうか、一人のまま乗り込むかだった。
     最後に乗るから当然座る席がない。 いつも入り口に立って、ただじっと外を眺めていた。
     これも今だったら考えられないことだろう。 子供を車内に立たせた状態で車を運転するなんて。

     すべては自分に積極性がなかったせいなのかもしれない。 自分から「手をつなごう」と
     言うことが出来たら状況は変わっていたのかもしれない。 でもどうしてもできなかった。

     そんな苦痛に満ちた日々が1ヶ月以上も続いたある日、決定的な転機が訪れた。
     折り紙の時間。 各自が与えられた折り紙で好きなものを作るのだ。 その時にゃおは
     通称「パクパクくん」というものを折った。 今は折りかたを忘れてしまったけど、母親と
     家で折り紙の本を見ながら覚えたもので、折りあがると下から両手の親指と人差し指を
     入れることで前後左右に折口がパクパク動くのだ。 どの子も簡単な花もどきや
     舟を折る中で、にゃおの折り紙は群を抜いていた。 たちまちみんなの注目と尊敬を集めて
     しまった。 折りかたを教えてくれとみんなが群がり、一躍主役の座へと押し上げられたのだ。
     ボス的女の子もこれにはどうすることも出来ず、それ以後、まるで立場が逆転したかの
     ようになったらしい。 なぜかこれ以上の記憶はどうしても思い出せない。 この後、家の事情で
     また引っ越すことになるのだが、それまでの記憶はすっぽりと抜け落ちている。 これからしても
     いかにそれまでの時間が心身的に影響していたかがわかるというものだ。

     それから30年以上経った今、自分の子供が同じような環境にいる。 幸いに他の子供と
     同じスタートラインからの出発だし、保育環境もにゃおのころとは比べ物にならないほど配慮が
     なされている。 でも友達が誰もいないという状況は同じだ。 しかも自分から積極的に入って
     いけないのもにゃおそっくり。 朝、送っていっても別れる時に泣き喚いて寂しがる子供。 
     泣かないまでもポツンと所在なさげに一人で立っている子供を見ると胸が痛む。 昔の自分の
     姿が重なって、あの時の自分の痛みを子供にも味あわせているのではないかと罪悪感を
     感じる。 子供にも早く、転機が訪れるといいな。 今の思いが保育所の想い出になって
     しまわないように・・・

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