デパート(もしくは百貨店)の想ひ出

      子供の頃に親に連れて行ってもらうのがたのしみだったところってどこだろう?
      母によると、私が生まれた時、父はたいそう可愛がってくれたそうだ。 いろんなところに
      連れて行ってくれたらしい。 けれどそれは自分の記憶にほとんど残っていない。
      記憶が残るくらいの年齢のころには、そういったこと(どこかに出かける)ができない状態だった
      からかもしれない。 その頃にはすでに、ある事情で家庭は半崩壊状態だったから・・・
      今となっては、当時に撮った写真がその事実を語るのみ・・・ 

      そんな中で鮮明に記憶に残るのはデパート。
      父の実家のある広島の片田舎へ引っ越してきたのは小学一年生の時。
      母は一人で小さな文具雑貨店を切り盛りしていた。 だからどこかへ遊びに連れて行ってもらうとか
      旅行に行くなどということは望めないことだった。 回りになにも娯楽施設がない田舎にあって、
      たまに、唯一の公共交通機関であるバスに揺られて1時間半近いところにある市内中心部の
      デパートに連れて行ってもらえるのがとても楽しみだった。
      子供の自分にとってデパートは夢のような別世界。 きらびやかで、魔法の粉でもかかって
      いるかのように、なにもかもがキラキラと輝いて見えた。
      始めは母の用事にくっついてデパートの中をウロウロする。 お昼近くになると
      飲食店の建ち並ぶ「お食事フロア」の大食堂と呼ばれる場所での昼食。
      注文するものは決まって、ラーメンかカレーライスだった。
      その後はお決まりの屋上だ。 エスカレーターに乗ってどんどんと上がって行く。
      首が痛くなるほど上を見上げた時のあの言い表せない高揚感。 屋上の明るい日差しの中に
      飛び出した時の、なんとも言えないときめき。
      屋上にはいろんな乗り物があった。 わずかな財布の中身と相談しながら、どれにしようか迷う。
      母は小さな妹をかまいながらペンチに座っていた。 母の姿は小柄ながらに子供の自分でも
      自慢に思うほど上品で他の誰よりも美しく見えたものだ。 派手な化粧をするでもなく、
      装飾品を身にまとうわけでもなく、服も高価なものではなかったのに。
      あの頃の母は、父とのことで胸中はさぞかし波立っていたことだろう。 
      当時の自分にはそんな事情を知る由もなく、ただ自分の楽しみに没頭するのみだった。
      あの時、母の目はどこを見て何を考えていたのだろう。

      やがて、母が立ち上がり、帰りのバスの時刻が近づいたことを告げる。
      楽しかった時間は終わるのだ。
      疲れてバスの振動に眠気を誘われながら、もう当分、こんな時間は訪れないだろうことを
      子供心に寂しく思った。 遠ざかるビル群が後ろ髪を引くかのように長い影を落としていた。 

      やがて、友達とだけで出かけることができる年齢になリ、いつの間にか
      デパートは夢のような別世界から、もう少し身近な現実世界の一部になった。
      それと同時に屋上へ足が向くこともだんだんと少なくなって行った。

      時々、テレビで「巨大デパート24時」などと銘打った番組を見ることがある。
      地下食品売り場の活気溢れる映像や、テナントの生き残りをかけた従業員たちの
      懸命な姿を見ていると、ふいにあの当時のことが思い出される。 それと同時に、
      胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。 たまらなくデパートという空間に飛んで行きたくなる。 
      もう二十年以上、屋上へ行ったことがない。 今はまだ小さい子供がもう少し大きくなったらデパートの
      屋上へ連れて行ってやろう。 彼女はあの頃の自分と同じように喜んでくれるだろうか?
      自分はそんな子供の姿を心穏やかな微笑みで見守っているだろうか・・・?

      デパートには今もほのかな哀愁と涙が漂っている。

                  目次へ       HOME