貴方に花束を

                   あなたは、花を贈られたことがありますか?

     下手をしたら人生の折り返し地点に近いかもしれないなんていう年齢になる今日まで、自慢じゃないが、
     男性から花を贈られたのは、たった一度しかない。 それも「恋人」とかいう素敵な関係のもんじゃない。
     でもその想い出は自分の中では一生の宝物。 

     当時、自分は自宅で中学生相手に英語の塾を開いたばかりだった。 できるだけ1対1に近い
     授業を理想としていたので、1クラスは多くて4人。 それも大抵は女の子ばかりだった。
     そんな中、中学3年生の男の子が一人、勉強に来る事になった。 女の子3人のグループに
     入ってもらったのだけど、たまたまその女の子たちとも学校では会話をするような仲だったらしく、
     問題もなく授業は進んでいた。 彼はバレーボール部に所属していたらしい。 中学生というと
     自分の中では華奢な子供というイメージがあったのだけど、彼は身長もその時点ですでに
     170センチを軽く超えていて、ひょろりとしているにもかかわらず、夏の素肌に一枚着ただけの
     シャツからは意外なほどたくましい腕が覗いていた。 中学生でも3年生ともなると、もう立派な
     「男」の仲間入りをしてるんだな・・・そんな風に認識を改めさせられた。 下世話な話をすると彼は
     かなり自分好みのマスクをしており、それが妙なトキメキを誘ったものだ(ああ、私も若かった)。

     どちらかといえば無口な彼は、賑やかな女の子たちの中に混じって、マジメに授業を受けた。
     成績は飛び抜けるほどではなかったけど、一生懸命に努力して、私立高校受験の時には
     希望の学校への合格を手にしていた。 その高校は、学校サイドからは少し厳しいだろうと
     言われていたようだった。 自分は英語でしか実力を推し量ることが出来なかったけれど、
     英語で点数を伸ばせば、他の教科で多少失敗しても取り返せるからと、背中を押した。 大体
     試験は過去のデーターを分析すると大まかな出題の傾向が見えてくる。 それを重点的に
     教え込んだ結果、幸運にも私立の英語の試験では、まさに教えた個所がバッチリ出たのだった。

     あとで彼の母親がこっそりと教えてくれたところでは、彼はずいぶんと自分を信頼してくれたらしく、
     「あの先生信用できる」などと、教える立場の自分から見れば最大級のお褒めの言葉を
     母親に言ったのだという。 なんて、可愛いヤツ!! 人間なんて感情の生き物だから、
     そう言われて悪い気はしないし、その子が今以上にいとおしくなるのは当たり前。  公立高校の
     試験までに教えられることは全部教えてあげたい。 熱も入ったものだ。(だからと言って他の
     生徒と格差をつけたりはしなかったぞ)

     公立高校受験の直前、最後の授業の日のこと、他の女の子よりも少し遅れて現れた彼は
     部屋に入ってくるなり、大きな花束を差し出した。 突然のことでビックリした。 こんなものを
     もらえるとは思ってもいなかったし、ましてやシャイで無口な彼のこと。 きっと彼の母親が手配して
     くれたんだろう。 それでも嬉しくて、最後の授業だというのに何度も顔がにやけそうになった(苦笑)

     授業が終わり、帰って行く生徒たちを見送り、迎えに来た親たちとも挨拶を交わす中、彼の母親が
     現れた。 「今日はわざわざ気を使ってもらって素敵な花束をいただいてありがとうございます」と
     お礼を言うと、予想だにしなかった言葉が返ってきた。

      「いいえ、あれはあの子(彼のことだ)が自分から贈りたいって言ったんですよ」

     あの時の感動は忘れもしない。 彼はさっさと車に乗り込んでしまっていたけど、最後にもっと
     じっくり顔を眺めておけばよかったと心から後悔した。 もう会えないのに・・・

     それから本当に今日まで、一度も彼に会うことなく過ぎている。 今はすっかり大人になって
     順調にいけば結婚して子供もいることだろう。 ほんのりと甘酸っぱい想い出をくれた彼。
     あの時の花束は今も鮮やかに心の中で輝いている。

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