「忘れる人」と「忘れ去る人

   人間には「忘れる」という素晴らしい機能がある。 これがあるから嫌な事も次第に忘却の彼方へと
   押しやることができるし、前向きに進む気にもなれるってものだ。 だけど、なかにはとても特殊な
   「忘れ方」をする人がいる。
   そう、「自分にとって都合の悪いことは忘れ去ってしまう」部類の人たちだ。
   ここで問題なのは、「忘れる」のではなくて「忘れ去ってしまう」こと。 ただ忘れたのであれば
   思い出すこともあるだろう。 でも忘れ去ってしまったら、二度と思い出すことはない。
   知り合いにこの手の部類の人がいる。 果たしてその人にとって都合が悪いから忘れているのかどうかは
   確かめる術がないけれど。
   その人は、ある夏の日の夕方、財布を職場に忘れたから1000円貸してくれと言った。 
   職場から帰るときはどうしたのだろう? 今時、自分の家に1000円すらの現金がない家が
   あるのだろうか? まだその気になればキャッシュコーナーも開いている時間だ。
   いろんなことが頭を駆け巡ったけれど、1000円だから(この金額があとで問題になってくる)と貸した。
   なんどもお礼を言われて慌てて出勤してゆく後姿を見て、まぁ、人様のお役に立てたのだから・・・と
   思ったのだが・・・  数日経っても返しに来る様子がない。 忙しいのだろうし、1000円のことだから、
   そう目くじらを立てなくてもいいか・・・ 近所とはいえ、あまり顔を合わせることもなくて、貸したこちらも
   だんだんと忘れてゆく・・・ ある日、ふと思い出す。 あれ? そういえば1000円まだ返してもらってないや。 
   すでに一ヶ月以上の月日が流れている。
   「忘れてるな・・・」
   得てしてなんでも「してあげた」方は覚えているけれど、「してもらった」方は覚えていることが少ないという。
   しかも1000円。 お金をバカにするわけではないけれど、騒ぎたてるほどの金額でもない。
   ゴミを出す時にでも顔を合わせたらきっと向こうも思い出してくれるだろう。
   それからしばらくして・・・ 庭からゴミを出しに行く、その人の姿を見つけた。 急いで自分もゴミを
   出しに行く。 そしてさりげなく「おはようございます」と挨拶。 顔を見れば思い出すだろう。
   あ、そうだった・・・って。 普通は「あ〜〜〜 ごめんなさ〜い。お金お借りしてたのに忘れちゃっててぇ〜」と
   なるものだ。 忘れる部類の人間ならば・・・ でも反応はない。 「もう秋だっていうのに暑いですねぇ
   (おい、金貸したの思い出せよ)」  「(にこやかに)本当ですねぇ〜」
   ダメだ。 コイツは完全に忘れ去ってる。 相手の顔を見て思い出せないようじゃおしまいだ。
   やられた・・・ 1000円という微妙な金額。 これが5000円だったり10000円だったら自分も堂々と
   返してくれと言えるのに。 たかが1000円のことで・・・と思われてしまうのではないかというこちらの
   見栄の心理。 そしてこれからも近所付き合いをしていかなければならないことを考えたら事を荒立てるのも
   いかがなものか・・・という小心者の考え。
   この時、貸した1000円が永久に自分の元へは帰らないであろうことを悟る。

   「忘れる人」と「忘れ去る人」。 あなたはどちらなのだろう?
   あ! そうだ。 友達に250円を払うのを忘れてる!
   どうやら自分は「忘れる人」のようであった。

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