ゆとりの時間

     現代人は忙しい。 とにかく忙しい。 いつも何かに追われるように生きている。
     だから時間があっという間に過ぎてしまう。 そして過ぎた時間を振り返る余裕もない。
     世の中、不景気だっていうのに、どうしてこうも忙しいんだろう。 貧乏ひまなしとはよく言ったものだ。

     自分の時間も経つのが早い。 誰かが早送りしてるんじゃないかっていうくらい。 気がつくと
     もう一日が終わってしまっている。  どうしてかな? いつからこんな風になってしまったんだろう。

     忙しいのは大人だけの世界じゃないようだ。 子供の世界もなかなかハードらしい。
     朝、起きて眠い目をこすりながら学校へ行く。 一昔前はそれでオシマイ。 学校が終われば
     あとは暗くなるまで友達と遊んで夕食の準備のいい匂いを合図に家に帰った。
     ご飯を食べて、お風呂に入って、テレビを見て・・・ 宿題なんか、ちゃっちゃと終わらせて寝る。
     そんなカンジ。
     だけど今の子供たちは違う。 学校が終われば塾だの、習い事だのが待っている。
     終わって帰っても塾や学校の宿題などがたくさんある。 中学生くらいになると塾から帰るのが
     21時近くになったりするから、その分、寝る時間が削られて深夜族に変身していく。
     余裕がない、自由がない、時間にがんじがらめにされてゆく・・・


     十数年以上前から政府は、『ゆとりの時間』を子供たちに与える計画を立てた。
     それまでの学校は月曜日から土曜日まであったのだけど、この土曜日を休みにして
     週休2日制にしようとした。 長い間の検討を重ね、週休2日のモデル校なども作って
     ついに全国的に月1度の土曜日休校に踏み切った。 その後、月1度が2度になり
     今では完全週休2日が定着している。 完全週休2日制になるまでの間には、別の方法で
     『ゆとりの時間』をつくろうと授業数の短縮が計られた。
     にゃおが昔住んでいた地域の中学校なんて、一時期、木曜日は午前中授業、土曜日は
     3時間授業。 その他の曜日は6時間授業の日をなくして、すべて5時間授業にする・・・
     なんてことをやっていた。

     政府の狙いは勉強に追いまくられる子供たちに、精神的にリラックスしてもらい、
     もっと趣味の時間を持ったり、家族とのコミュニケーションを取る時間を持ってもらいたいと
     いうことだったようだ。
     さて、子供たちは『ゆとりの時間』を持つことができたのだろうか?

     答えは否と言わざるを得ない。
     それはなぜか。

     週休2日になることによって、当然ながら授業のコマ数が年間で100コマ以上減る
     それだけ授業数が減るのに、小学校なり、中学校なり、高校なりで勉強しなければ
     ならない内容はほとんど減っていないのだそうだ。 勉強しなければならない内容を
     こなすに十分な時間が取れない。 おまけに学校の行事や、先生の研修、出張だので
     さらに予定の年間授業数が確保できなくなってきた。 そこで各学校は土曜日休校で
     減ったコマ数を補うために、新たな授業数確保作戦を開始した。 例えば、それまで
     平均1日5時間だった授業をすべて6時間にしてみたり、始業式の翌日から、いきなり
     給食ありの6時間授業にしてみたり。
     自分が子供の頃は始業式の日は式が終わればすぐに帰れたし、給食も2〜3日くらいは
     なくて午前中授業で帰れたものだ(ひどいところじゃ、始業式の日から給食ありの5時間
     授業なんて学校もある)。 中学生以上になると中間や期末テストの最終日はテスト後に
     普通に授業があったりするらしい。 勉強時間がなくなるからと運動会や文化祭などの行事を
     なくすところもあるようだ。

     全国的に公立を中心とした学校は荒れている。 ひところのような学級崩壊なんていう
     凄まじいものは減ったにしても、その荒れ方は尋常ではない。 自分たちの頃だって
     荒れた生徒はいた。 でも今は、それとは想像もつかないくらいに荒れているらしい。 
     荒れる原因のもっともたるものは『学校が面白くない』 『勉強についていけない』こと
     なのだそうだ。
     子供にとって息抜きであり楽しみでもある行事がどんどん削られ、朝から夕方まで
     ビッシリ授業が組まれてたら、誰だってへきえきしてしまう。 学校がイヤになってしまう。
     さらには、そんな学校の勉強では足りない部分を補おうと塾へ通う子供も出てくる。

     先生の方も、本来の生徒に勉強を教えるという職務以外の、雑用に追われて
     授業の準備をすることもままらないようだ。 いくら生徒を惹きつける授業をしたくても
     十分な下準備の時間が取れなければどうにもならない。
     『ゆとりの時間』を持つどころか、逆に『ゆとりの時間』を作ったことによって、子供も大人も
     ゆとりが失われてしまっている始末だ。

     学校における『ゆとりの時間』っていうのは、個人的には一つ一つのことにもっと時間を
     かけることができる、スローペースの勉強であるべきだと思う。 ただ、子供にも個人の
     能力に違いがあるから能力の高い子はスローペースでは逆に授業が退屈になってしまう
     かもしれない。 それを解決しようとしたら、外国のように『とび級』だとか能力編成の
     クラスだとかを取り入れなくてはならなくなるだろうし、第一、今の受験のあり方(能力第一
     主義)を見直さなければ根本的には何も変わらないだろう。

     『せまいニッポン そんなに急いで どこへ行く』
     という交通標語がある。 今は、まさにこんな感じなのではないだろうか。
     そんなに、勉強だの習い事だのってやって、どうするの? 本人が望んで、本人が
     喜んでやってることならいざ知らず、おしりを叩くようにして向かわせるその先になにが
     あるというのだろう。 

     「子供の将来のため」

     大抵の人はそう答える。 自分だって同じことを聞かれたら、こう答えてしまうだろう。
     でも本当はそれは子供のためなんじゃなくて、大人(親)のためなんじゃないだろうか?
     ゆっくり考えてみたいけれど、考える余裕がない。 時間が自分を追い立てる。

     ああ、もっと、ゆとりを!!

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