いつもと変わらない教室の風景。

香里の席には香里が居て…。
名雪の席には名雪が居て…。
北川の席には北川が居て…。

俺の席には…俺でない俺が居る…。



先生の話は全然耳に入ってこない。
黒板の字を写す気にもならない。
ただただ、呆然と外を見つめるだけ。

何を願っていると言うわけでもなく……。
ただただ、呆然と外を眺めているだけ。



校舎の裏にあたる場所…。
人なんてめったに見かけない場所…。

そこに俺はなにかを求めていた。



なにを…?

栞か…?


「おい!相沢!」
突然後ろから声をかけられ少しびっくりした。
「…北川か…」
声をかけてきたのは北川だった。
「どうしたんだよ?朝からぼけーっとしちゃって…」
周りを見てみるとお弁当を広げている生徒の姿が目に入ってきた。
「ああ…もう昼休みか…」
「そうだよ。お前どうせ弁当持ってきてないんだろ?食堂行こうぜ」
「……ああ…」
俺は短く北川に言葉を返すと、静かに席を立った。
「美坂と水瀬も行くか?」
「ええ…」
「うん」
そして俺達は教室をあとにした。




食堂についてそれぞれ席に座る。

俺はたいして食欲も無かったからパンを一つだけ買った。
香里にいたっては紙コップのジュースだけだった。
そんな俺達を不思議そうに見る名雪と北川。

「おい。一体なにがあったんだよ、二人とも…」
「そうだよー。朝からおかしいよ…」
そう聞いてくる名雪と北川に、香里が静かに答えた。

「栞の病気が…再発したの…」

一瞬にしてさっきまでの空気が消える…。
忙しなく動いていた手も止まっている。
そしてさっきまでと明らかに違う北川と名雪の顔。
悲しい顔。
絶望の顔。

そんな重苦しい空気の中、最初に口を開いたのは北川だった。
「でも…あれだろ?またすぐに良くなるんだろ?」
「さぁ…」
力無く答える香里。
「どうなんだよ相沢?」
「…わからねぇ…」
俺の言葉にも力が無い。
「栞ちゃん…完全に治ってなかったの?」
名雪が言う。
その質問に香里は静かに答える。
「わからないわ…ただ…なんで急に治ったのかも良くわからなかったし…」
「奇跡は…起こってなかったんだね…」
名雪がそうつぶやいた…。

「お、お前ら!なにそんなに落ち込んでんだよ!」
北川が叫ぶ。
「相沢!美坂!水瀬!まだわかんねぇだろ?奇跡が起こるかもしんねーじゃねーかよ!」

奇跡…。
今一番聞きたくない言葉…。

「北川…奇跡はな…起きないから奇跡って言うんだぜ……」
そう言った瞬間俺の顔面に激痛が走った。


ガスッ!


俺は椅子から転がり落ちていた。

「相沢!お前までなに言ってんだよ!お前が奇跡を…栞ちゃんの回復を信じないでどうすんだよ!」


信じる…?
栞の回復を信じる…?


俺はゆっくりと立ち上がると北川に向かってこぶしを振り上げた。


ドゴッ!


俺のこぶしは北川の顔面をとらえていた。

周りを見ると食事をとっていた連中が集まってきている。

俺は床に倒れている北川に向かって叫んでいた。

「俺だってなぁ…信じてーよ!奇跡を信じてーよ!だけど…だけどなぁ…」

北川が起きあがって俺の方に近づいてくる。
そして、俺の襟元を掴んで言った。

「だったら信じれば良いじゃねーか!少なくとも俺は信じるぜ。奇跡を…いや、栞ちゃんが病気に勝つってことを…!」


ガスッ!


いてぇ…!

いてぇけど…。

栞はもっと痛いんだよな…。


「栞ちゃんなー、戦ってるんだよ!奇跡がどうとか関係無いんだよ!」


そうだ……。

そうだよ……。

奇跡を口実に俺は……。

「逃げていたのか……」
俺が言うと北川が倒れている俺に手を差し出してきた。
「そうだ…信じるんだよ。それが、奇跡だろうとなんだろうとな…」

「私も…奇跡に頼ってたのかもしれない……」
香里がつぶやいた。
「相沢君、私これから栞の病院に行くわ。少しでも側に居てあげたいから」
香里が言うと北川が俺の肩をたたいた。
「相沢。お前も香里と一緒に病院に行け。先生には俺から言っておくから」
「わかった。色々と…サンキューな」
「なに…ちょっと痛かったけどな」
「お前の方が実は一発多いけどな」
俺がそう言うと北川は少し笑って言った。
「お前と栞ちゃんの結婚式まで貸しといてくれ」
「ああ。そうしてやるよ」

俺はそう言うと周りに集まっていた連中をかきわけて食堂を出た。









学校を出るところで香里が俺に話しかけてきた。
「北川君に助けられちゃったわね」
「ああ…俺達、大事なことを忘れてたみたいだな」
俺がそう言うと香里は少し笑みを浮かべながら言った。

「信じるってこと…ね」

俺はそれに首を振って答えた。










病院に着くと、栞の病室の前で香里の母親が座っていた。
香里の母親は俺達に気が付くと駆け寄ってきて言った。

「栞が…昏睡状態に入ったわ…。やっぱり今日が峠になるみたい…」

香里の母親の声は、今にも消えてしまいそうな声だった。





栞…。

頑張れ…。

今の俺には願うことしか出来ないけど…。


それでも…。

この想いが栞に届くなら…。





俺はずっと信じ続けるぞ…。

それが奇跡なんていうありふれた言葉だったとしても…。

その言葉に意味が無かったとしても…。

俺は信じ続けるぞ…!



だから……。


頑張れ……!