第四章「崩れ去る信念、そして生まれる信念」
 私にとって、この信念は絶対のものであった。
父からそれだけを教えられた私にとって、それは「私」そのものだった。
「価値の無い人間は排除する。」
その信念は揺らぎ出し、今にも崩れ去ろうとしている。
私は、今なお信念にしがみつく自分と、
信念を、「私自身」を崩そうとする二つの自分の間で苦しんでいた。

 私からこの信念を無くしてしまったら、一体何が残るというのだろう。
いや、きっと何も残らないに違いない。
自分を失いたくはない。やはり信念を頼っていく方がいいのだろう。
いや、頼って生きなければいけないのだ。

 しかし、そう決めたとたんに、もう一人の私が口を挟む。
それでいいのか?何時までも父親の教えばかりを守る人間で。
お前には、自分自身で探し出した信念というものはないのか?
それとも、ただひとから与えられた信念を、
自分の信念であるかのように振る舞いつづけていくのか?

 すると、もう一人も言葉を返す。
うるさい!お前などに何が分かるというのだ!
今迄の信念、それこそが私であり、それのみが私の存在を証明しているものなのだ!
その信念をすべて捨てて、自分を無にしようとするのか!

 何時までも続く「私」と「私」の討論。
そして、今の私は、二人の間で、ただ小さくなって震えているだけだった。
現実から目を背けて、ただただ泣きじゃくる子供のように。
二人の「私」の声を聞こうともせず、ただただ耳をふさいでいる。

 父の教えをただ信じつづけ、他のものに罵声を浴びせる「私」。
 父の教えから抜け出そうと、必死にもがきつづける「私」。

 そして、その二人をただ震えながら見続ける「私」。

 一体、この中のどれが本当の自分として存在すべきなのだろう。

 そして、その時にふと思った。
こんな時、彼女ならどうするのだろう。
倉田佐祐理ならば。
親戚の事なので、佐祐理の弟、一弥が死んだという事実も知っているし、
その時に死を覚悟するほど落ち込んでいた事も何となく分かっていた。
それでも今は、笑う事が出来る・・・。
その笑っていられる理由を知りたい・・・。

 いや、ただ誰かに心の拠り所を求めているだけかもしれない。
そして、自分の中では近くにいるであろう佐祐理に
それを求めているのかもしれない。

 次の日、私は佐祐理に一つの提案を持ち出した。
それは、舞の復学と引き換えに、佐祐理がこちらがわに付く事。
断られればそれでもいいと思った。
しかし、佐祐理は要求を飲んでくれた。
良かった、これで拠り所とする人が出来た・・・。

 「本当でそれで良かったのか?
なんだかんだいってやっている事は前と変わらないじゃないか。」
「私」から声が聞こえる。

・・・分かっている。このやり方が前と変わらないやり方である事は分かっている。
だが、そうしてでも、私には拠り所が必要だったのだ。

 舞が復学した、その日・・・。
私は形式上だけはやっておかねばなるまいと思い、
生徒会に佐祐理を加える事を表明した。

 そこに走り込んできた影。
相沢祐一と、川澄舞。
祐一が叫ぶ。佐祐理が困ったような顔をする。

 と、その時。
私の顔に、何か一閃するものが見えた。
見ると、川澄が私の顔に手刀をつきつけていた。
そして、静かに言った。
「佐祐理に何かしたら、絶対に許さないから。」

 その時、私は気づいた。
間違っているのは、私の方ではないか・・・。
良く考えれば、分かるはずだ。
この世の中に、価値の無い人間などいるわけが無いではないか。

 いるとしたらそれは、かってに人を価値の無い人間としてみていた
私自身ではないだろうか。

 価値のうむなどという、本来分かるはずの無いものを相手に、
私は今までなにをしてきたんだ・・・。

 私は、どうしようもない人間だ・・・。

 打ちひしがれている私の横で、佐祐理がつぶやく。
「そんなことはないですよ。あなたは必死にその信念と戦ってきたのではないですか?
たとえその力が微弱であったとしても、
その信念を打ち破る力を捨てなかったあなたは、
まだ立ち直る可能性があるという事です。
きっと、まだ、これからなんです。
佐祐理も、祐一さんや舞も、そしてあなたも・・・。」

 そう・・・か。
まだ、これからなんだな。
今までしてきた事には、後悔しか残らないかもしれないが。
それをうめ直すくらい、一生懸命生き続ける事は出来るんだな。

 ・・・もう一度、自分を見詰めてみよう。
父親に縛られた自分ではなく、全てから解放された自分を・・・。

 大丈夫だろう。答えは一つとは限らない。
失敗したら、やり直せばいい。
疲れたのなら、そこで立ち止まって、少し休めばいい。
自分の人生だ。自分のペースで歩いてみよう。
自分がやりたい事をやり通し、そして自分の命が尽きる時、
後ろに付いてくるのが、自分の出した答え。
そして、その時いる所が、その答えの結果。
そんなものだ。生きている時には、答えは見えるものではない。
自分の人生だ。スタートラインはいくらでも引ける。
何度でも失敗して、その度に引き直せばいいさ。
周りを見渡す余裕もあれば、ただ前を向いて歩く事も出来る。
とにかく、行きつく所まで行ってみよう。
まだ時間はたっぷり残っているのだから。
見えるはずの無いゴールを目指して、ただただ一生懸命に・・・。

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