甘枝りりとMissYのかしまし映画雑談 Vol.4

差出人:甘枝りり <nasusu@do.enjoy.ne.jp>                    宛先:MissY <rocknroll@104.net>

件名:「たまには夜を流してみるのも悪くない」な映画                送信日:2002年5月7日(火)

■「たまには夜を流してみるのも悪くない」な映画 『ナイト・オン・ザ・プラネット』

MissYさん

甘枝です。こんにちは。広島はGWの半分が冴えない天気でした。天気に罪はないところがもう罪作り。

さっそく前回のレスですが、MissYさんの初映画デートは『家族ゲーム』でしたか。
それはまた・・私の「はらわた」に負けず劣らず難のあるセレクトというか・・・いやでも、はらわたよりはまだ思い出し甲斐があるというか・・・なんといっても優作だし。なんといってもこの世に生きている人の話だし(笑)
『家族ゲーム』は友人のカジと同居していた頃に観ましたね。私は宮川一朗太の名演(あの役はあの時の彼にしかできないでしょう。最低にのらりくらりとした演技が最高に冴えてました。皮肉じゃなく)に目を奪われ、カジはカジで横に移動するサラダキャスターにいたく心を奪われていたのを覚えています。 同じ映画でも人物を見る人、物を見る人、様々ですね。

けして後味の良い作品ではないけれど、ああいうフィルムも一本はあって良いと思います。                関係ないけど、『家族ゲーム』というとつられて思い出すのが『逆噴射家族』(1984年 監督 石井聰亙)。        あれこそ「なンじゃこりゃあ!!」ですよ。小林克也のお父さん、末恐ろしいです。克也が演ると小林よしのりの原作なんてたいしたことないように思えるところが末恐ろしい(笑) スネ−クマンショーのファンは別として、”小林克也のアメリ缶”を愛聴していた人の感想が知りたいところです。特に「あれで私は英検一級を取りました」という人。あなたの克也像をお聞かせください。(募ってどうする)

それはそうと、『(ハル)』。 この作品は公開よりずいぶんのちにビデオで観ました。内容を知って「これはパソコンを買ってから観る方が良いかも」と思い、その通りにしたわけです。といっても、私が初めて買ったMacはモデムが外付け式で、やる気を出さない限りはネットにつながることもなく、結局はネットへのモチベーションを上げる見方となったのでした。    その後ネットがつながって見直した時は、MissYさんと同じく新たな視点からじーんときましたね。まあ、ネットをやらずに観てもじーんと来る作品ではあるので、そういう意味でも使用前/使用後とそれぞれに観られたのはラッキィだった気がします。
同じ題材ではトム・ハンクスとメグ・ライアンの『YOU'VE GOT MAIL』(1998年 米 監督ノーラ・エフロン)が有名ですが、ほんとに同じ題材なのでしょうか。いや、たぶん違いますね。『YOU'VE GOT〜』はたしかにメールのやりとりが出てくるけど、記憶に残らないもん。メグ・ライアンが嫌いなわけではないのだけれど、ビデオ屋で彼女の作品が並ぶ「ハリウッド女優恋愛ものコーナー」みたいなところの作品は、どれも筋が覚えられないので(恋愛ものとわかるだけ)食指が動きません。   テレビでやっていた時に観るくらい。これは好みの問題で、善し悪しを問うものではないのですけど。
余談ですが、『YOU'VE GOT MAIL』ってよく片仮名で『ユーガッタメール』と表記されますよね。あれを見ると「ユーガッタチャンス」「レガッタ」などの言葉が浮かんでしまうのは私だけでしょうか。 私だけでしょうね・・・

それにしても『(ハル)』は、パソコン通信がまだ普及していない頃の、あの頃ならではの良さが感じられる作品ですね。  今のネットの世界は、言葉が身体を覆い隠してしまって(或いは乗っ取ってしまって)身体的な接触どうこうは問題じゃない感があるけれども、『(ハル)』の頃はまだ確実に身体が活きてるのね。 生身の自分と「ハル」や「ほし」の自分との間にたしかな隔たりがあるのを「それはそれ」として割り切れていない頃のお話。                        だからネット上でつながっていても、それで全てにならない。身体が言葉から取り残されている。それゆえ、必然的に会いたさが募り出す。直に接触をもちたいと思う。でも、先に述べたような隔たりが自覚として強くあるから、容易にはいかないのね。ラストで「ほし」(深津ちゃん)が電車とビデオというクッションを置いて接触を試みるけど、それですら相当な勇気がいったのだろうなと思います。現在の状況でネット相手に会うというのとはまた趣が違う気がする。 相手と自分、ネット上の自分と生身の自分、それぞれの間にある距離。その不安定さ、切実さ。それらがひしひしと伝わってくる作品です。        何も異性じゃなくても、ネットで知り合った相手は常に「会ってみたくなるような人」であるのが理想ですね。言葉を超えて。そういう私はネット恋愛、実践、どちらも手広く請け負えます。へへん。 けれど相手がついてこれなくなるんだな・・・・・なんでかな。ついておいでよ(笑)
ところで、『(ハル)』にはザ・ブームの宮沢和史が出てますね。役者としての彼はあれで初めて観ました。びっくりしたよ。釣りしてたね。

さて、本題へ(これから!?) 今回は『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991年 米 監督ジム・ジャームッシュ)の話を。ウィノナ・ライダーのジャケットが印象的なあの作品です(あの写真は本編の印象を過大評価させる気がするが、いかしてる)この作品は正直、どうってことないような小品なんです。途中で寝てしまいそうだし、何度も繰り返し観たい感じでもないし。でもね、日々の中でごくごく稀に「ああ、今この時、この感じが『ナイト・オン・ザ・プラネット』!」という、活字にするとさっぱりわけがわからない(笑)ヒットポイントがあって、そのたびに寝ることなく繰り返し観てしまう、不思議な映画です。たとえば、なんとはなしに目が冴えて迎えた朝方。いや、正確にはもっと前の4時頃。観終わった頃に夜明けとなる時間。それぐらいの時間帯に観ると、すごくいい。 この作品は「一夜同時進行型」のオムニバスで、5つの都市(ロス、N.Y.、ローマ、パリ、ヘルシンキ)それぞれのタクシードライバーを主人公にしているんですが、深夜のロスに始まってとんとん話が移り変わり、5話目のヘルシンキまで来るとラストがちょうど明け方になるんですね。                      だから同じような時間設定で観ると、タクシードライバーが夜を流すのに添って自分も夜を流した気分になれるという仕組み。 観終わってそのまま、しらじらと明けてゆく高速を飛ばしたくなります。車があればね(ない)タクシーがいればね(いない)

話はどれもちゃんと観れば面白いです。あたりまえか。 ウィノナ10代の悪ガキぶり(煙草吸い過ぎ、ガム噛み過ぎ、ファッキンファッキン言い過ぎ)と、それでいて将来設計に堅実なところ(ヤンママは必至と思われる)は不良に国籍がないことを教えてくれるし、それ以上にオチが堅実でまっとうなのが溜飲が下がる思い(何に対して?)                N.Y.のドライバー(チェコスロバキア出身。元ピエロ。運転不馴れ)のエピソードは、途中まで『奇人たちの晩餐会』みたい。観て笑える人と笑えない人がきっぱり分かれるでしょうね。私は『奇人たち〜』で死ぬほど笑ったクチです。        そして、パリ話に出てくるベアトリス・ダル(盲人の役)はものすごく気味が悪い。『ベティ・ブルー』でもそうですが、不安定な役をさせたらピカイチですね、この人。 誉め言葉です。                             他にも、乗せた客が司教だったため運転ついでに懺悔したら、救われるどころか救いようのない災難が返ってきたローマの話、客が不幸ならドライバーもまたそれ以上に不幸な人で泣かせるヘルシンキの話など、ちゃんと観ればちゃんと面白い話ばかり。客観を貫いた描き方が夜明かしの疲れ目に楽です。 俯瞰して淡々と眺めながら流せる、流しそうめん的映画(いや違う)  あと、トム・ウェイツの曲で朝を迎えるのも、なかなかたまにはいいものだ、と。 グッド・オールド・ワールドの歌。

・・・というわけで、前置きだけが異様に長くなってしまいましたが、MissYさん、懲りずに次もよろしくお願いします。

甘枝りり

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